タイトル未定2026/06/30 04:56
帰り道、泰夫は饒舌に孝江へ話し掛けていたが孝江にはまだ思う事があるのか心ここに在らずという具合で上の空、泰夫もそれには気付いていたが今は何より十町も離れた松を射抜いた喜びで孝江の事まで気が回らないでいた、しかし山の中腹、少し開けた場所で孝江は泰夫を呼び止め少し休みましょうと言ってきた、泰夫は背に担ぐ鉄砲を下ろすと胡座をかきその横に孝江がちょこんと腰を下ろした。
「泰夫さん、すごく奇妙奇天烈な話を聞いて貰えますか?」
「あぁ何でも言ってくれ」
孝江はゆっくりと語り出した、昨晩徹夜で共にあった文の束を自分なりに解釈すると多分その鉄砲は賜物で従軍する泰夫の為に贈られた物だと語った、あの鉄砲なら敵の弾の届かない遠目から敵を倒せ泰夫は無傷で戦果をあげ村に凱旋出来ると言うのだ、泰夫も男だ孝江の話を聞きこれ以上ない若気た表情で何かを想像していた、だが泰夫がひとりあの鉄砲を持参して従軍すれば多分その鉄砲は召し上げられ泰夫には出来合いの物を渡されると前線に送り出されるだろう、きっとこれが濃厚であると言われ糠喜びに終わったと泰夫は肩を落とし溜息をついた。
話は続いた、でも文にもあった五人であれば話は少し違ってくると言われた泰夫は今にも孝江の頬に接吻でもするのかと近付き聞き入った孝江は泰夫の方は見ずに正面を向き続ける、文には賜物を五日に一度置いてゆくと書かれてあった孝江は多分あの大きさの鉄砲なので一度には運べず数回に分け祠へ置いてゆくのだと考えていた、あと四度これで五人分揃い丁度召集日になると言うのだ、泰夫はあの鉄砲を持ち幼馴染の五人で戦果をあげ何なら馬の背に揺られ凱旋する自分達を想像し胡座のまま尻が五寸は浮いた心地良さだった、しかし孝江の表情は泰夫からは見えないが眉間に皺を寄せ憤怒の表情を浮かべていた。
『村へ戻るは杉ひとり』
文の締め括りに書かれていた一文、昨晩、孝江が涙した一文であるがいくら前向きに考えても自ずとひとつの結末へ至るのが普通だが何度も読み返した孝江は悲しみの鉾先が徐々に怒りへ向かっていた、神の御業であるならば何故辺鄙な村のそれも名もなきただの百姓に鉄砲一挺、酷い言い方ではあるが百姓ひとり気に掛ける必要性が見出せない、ならば戦争という野蛮な行為そのものを回避すればこんな回りくどい事をしなくても自ずと民は救われる筈と考えたのだ、それに救済の賜物と思わせ杉だけが生還するというではないか何故糠喜びさせるのか、そうかこれは神に近しい者の酔狂ではないのか亜米利加では悪魔という存在がいるらしい賜物に書かれたメリケン言葉、これなら納得がいくまだ国ができて百年やそこらの国が建国二千五百年以上のこの日の本相手に分をわきまえろと孝江は怒り心頭であったが、その日の本建国の末裔に仇なす朝敵こそ江戸幕府でありその幕府軍へ従軍する者こそ泰夫と言う怒りの鉾先が鈍る孝江だった。
敢えて孝江はその一文を泰夫に伝えず膝を軽く払い立ち上がった、肩で泰夫の顎を軽く突き上げてしまったが孝江は手を差し出して帰りましょうと告げた。




