タイトル未定2026/06/30 04:50
当然洞穴は然程時間は経っておらず適当に塞ぎ直した板は何となく体裁は保っていた、孝江は手早く板を外すと中へ入り未だ煮え切らない態度の泰夫を手招いた。
「孝江、こんな朝から何だよ⋯」
孝江は昨晩持ち帰った文を理解しようと徹夜で解読に努めていた、よく見れば若干やつれた表情にも見えたがその甲斐あってこの鉄砲についてほぼ理解できていた、孝江は早速それを泰夫に持たせ取り扱い方を指南したが終始泰夫は気のない返事であった正直泰夫には詳しく説明されても所詮、百姓には無用の長物に間違いはなかった、それでも熱心に指南する孝江の気持ちを鑑みてとりあえず最後まで聞くことにした、孝江は共にあった深緑色の箱を開けると泰夫曰く“金の筍”を取り出すと鉄砲の底部にある部分を抜き取った。
「おい孝江、大丈夫か壊れたんじゃないか?」
その問いに微笑みだけで答えると抜き取った物に金の筍を十本詰め、それを終えると孝江は更に説明を付け加えた。
「泰夫さん、よく聞いて下さいね…」
孝江はこの鉄砲について色々と丁寧に語ってはくれてるのだがやはり何も入ってこない理解しようとは努めているがまるで孝江が南蛮人か何かの様で口から発する言葉自体理解不能だった、泰夫はそんなもどかしさに痺れを切らし孝江に言った。
「孝江、これが鉄砲であるなら撃ってみよう」
それを聞いた孝江はハッとして合点がいったと手を打った、しかし洞穴の外へ出てはいどうぞとはいかない能力を備えている事を重々理解しておりそこで孝江は性能を確認する為、祠の裏山に上がろうと泰夫へ具申すると泰夫はそれを快諾、泰夫は鉄砲を担ぎ山の斜面を登り始めた孝江は頭陀袋から金槌と釘を取り出し洞穴を塞ぐ板を打ち付け元通りにすると泰夫の後を追った、丘に毛が生えた程度の低山に藪漕ぎにも慣れた泰夫達は半刻かからず頂上に到着した。
「ここら辺でいいか?」
孝江は眼下を見渡し首を振った、下には村が見える鉄砲の性能を把握している孝江はその鉄砲が放つ咆哮がどれほどの物か理解していた孝江は振り返り反対側を見渡すと幸いな事に反対側に村などはなく遠くに城下は見えているが五里は離れている聞こえても遠雷程度であろうと適当な場所を探した、鬱蒼と生い茂る雑木林の中に丁度岩が谷へ飛び出している場所があった、孝江は泰夫を岩の上に寝そべらして鉄砲を構えさせると改めて説明を始めた。
「泰夫さん、向こうの山に一本松が見えますね」
「ん、どこだ?よく見えるな」
「中腹よりちょっと上辺りの」
「あっ、あったあった、あれがどうしたんだ?」
「あれを狙ってみましょう」
「届くわけないだろう十町はあるぞ、それにどうやって狙うんだやっと見えるか見えないかだぞ」
孝江は鉄砲上部にあの錦眼鏡の様な物を泰夫に覗かせた、すると泰夫が叫んだ。
「何だこれは!昨日は何も見えなかったぞ」
泰夫が覗く錦眼鏡は実は遠眼鏡でありその中には一本松がはっきり写っていたのだ泰夫は松を掴もうと手を伸ばしたり素早く目を遠眼鏡から外したりしていたが松はやはり十町離れた山の中にあった、泰夫が落ち着きを取り戻すと孝江は金の筍を十本程詰めていた小箱を鉄砲の底部に戻した、それはガシャと心地良い音を立てて鉄砲に納まると孝江は抱える頭陀袋から半纏を取り出しそれを丸めて泰夫の肩と鉄砲の間に押し込んだ、孝江は大きく息を吸った。
「泰夫さん良いですか、今から撃ってみるのでしっかり聞いて下さい」
孝江は最後の説明をした、まず横にある棒をゆっくり引き前に押し戻す、肩にしっかり鉄砲をあてる、次に遠眼鏡の真ん中に松がくる位置に鉄砲を動かし目を離したら横の爪を下にさげる、まだ引金へ指を当ててはだめ指を沿わすだけだと説明すると孝江は数歩離れ耳を塞いだ。
「良いですか泰夫さん、凄い音がすると思いますけど慌てないで下さいね、では指を当てて三つ数えたら引き金を引いてください、いきますよ」
孝江は耳を塞いでるせいか必要以上に大声になり泰夫はそれが少し可笑しくほくそ笑みながら孝江の合図を待った。
「ひとつ、ふたつ、みっつ⋯」
山間に轟音が響き渡り鳥達が一斉に飛び立つと木霊がそこらじゅうを執拗に右往左往していた、しばらくして山間に静寂が戻ると想像以上の轟音に孝江は少し引き攣っていたが想像の欠片すらなかった泰夫は放心状態で鉄砲を抱えたまま固まり目の焦点は合わず口はだらしなく開いていた、何度目かの孝江の呼び掛けで我に返ると泰夫は肩に軽い痛みを覚えた。
「いっ痛ぁ、孝江ちゃんと…」
「泰夫さんどうです松に当たりましたか?」
孝江は泰夫の悲痛な叫びそっちのけで弾着の確認を急いだ泰夫は肩を摩りながら遠眼鏡を覗いたが写る松に特に変わりはないように思え泰夫は素直な疑問を孝江に聞いた。
「孝江、この遠眼鏡で松は見えるが流石にこの隔たりでは弾が当たってもわからないと思うぞ」
「いえ泰夫さん、この鉄砲の弾が当たると十町程度なら松の樹皮は抉れているはずです」
そう言われて泰夫は再度遠眼鏡を覗いた、しかしやはり松に変わりはない、すると孝江が代わってくれと言うので泰夫は立上り代わりに孝江が寝そべると遠眼鏡を覗いた、泰夫の言う通り松に変化はない孝江は頭陀袋から文の束を取り出し何枚かに目を通した、そして遠眼鏡の上にある摘みを回し次に横にある摘みを回すと最後に遠眼鏡の先を回転させると鉄砲を少し動かしひとり相槌を打つと泰夫と代わった。
「もう一度やってみましょう泰夫さん」
「そうだな、孝江の事を信じていない訳ではないが松に変わりがないと如何にも」
泰夫は寝そべり今度は半纏を調整して具合のいい位置にあて棒を引いた、すると先程は何も起こらなかったが今度は何かが鉄砲の横から飛び出してきた、壊れたのかと孝江の顔を見たが笑顔で首を振っていた泰夫は構わずに棒を前に押した、遠眼鏡を覗くと松が更に大きく見えてる様な気がしたがそれよりも中心から松が外れていた事が気になり銃を動かそうとすると孝江がそれを制止した、何事かと孝江を再度見ると頷いているので何か妙案あっての事であろうと遠眼鏡から目を離し孝江の合図を待った。
「ひとつ、ふたつ、みっつ」
再度、山間には雷鳴が轟き木々に戻っていた鳥達が又、慌ただしく飛び立ってゆく、木霊も鳥達と同じく迷惑そうに右往左往していた、泰夫は孝江に言われる前に遠眼鏡を覗き込むと一瞬の沈黙を置いて歓喜の声を上げた。
「やっやったぞ孝江っ、当たった松に当たってる」
「やりましたね泰夫さん」
十町先の一本松は長年着込んできた樹皮の一部を剥がされ若々しい幹を曝け出すと恥ずかしげに立っていた。




