タイトル未定2026/09/01 14:21
杉は意気揚々と二の丸へ向かう孝江の背中に疑問を抱くと問うてみた。
「たかちゃん、腹がすっかり凹んだけど大丈夫なのか」
孝江は振り返るとしばらく考えあっけらかんと言ってのけた。
「大丈夫でしょ」
確かにここから先出会う者は孝江が身重だった事は知らない、しかし先に会うた者に出会えば『先程、無事に』では済むまい、杉は訝し気な表情を浮かべながら懐へ忍ばせた物を軍服の上から入念に確認しつつ孝江について行った、二の丸前にも傷病者が溢れていた戸板に乗せられている者は幸いであるその他の者達は砂利敷の上に直接、傷を負った上に背中には砂利が食込む拷問の有様であったがそれに不平を言う者は誰一人いなかった、いや言えない方が正確であろうその前を孝江と杉は通り過ぎて行く、すると突然、孝江は足首を何者かに掴まれた杉は慌ててその者の手を払うもその手は孝江の脚にしっかり根を張り離れないのだ。
「⋯女ぁ、女ぁ」
死を目前にして色欲が湧き上がったのだろうかその者は孝江の脚を這い上がっている、するとどうだ周りにいた骸かどうかも判断のつかない者達までも亡者の如く『女、女』と呻き声をあげながら孝江に寄ってくるではないか杉は傷病人であるが危機迫る状況に蹴り倒して回ったが何度蹴り倒しても呻き声をあげ孝江に迫ってくる、正直、男性として機能するのか怪しい状態の傷病者が本能だけで孝江に迫っているのだろうか、そしてそれは辺りに伝播し亡者の輪は広がり既に二十人近くが孝江に迫っていた杉が振り返ると最初の男は孝江の上半身まで這い上がると孝江の胸を弄ってるではないか孝江は固まり何も出来ないでいる傍若無人な普段の振舞いは何処へ消えたか孝江は生娘の如くただ震えていた。
「貴様らぁ恥を知れっ」
二の丸前に男の声が突然響き渡る男は槍を手に憤怒の表情で肩を振るわせていた、輪の外側にいた者はそれで我に返ると何もなかった様に傷病人へ戻ったが四、五人はまだ目が醒めぬのか孝江へ集り押し倒す勢いであった、すると男は傷病者を構わず踏み付け最短距離で孝江に近付き今まさに孝江の唇に吸い付こうとする男の首元を槍でひと突きしてそのまま薙ぎ払った、それでも亡者は止まらない次は俺だと孝江に抱き付き唇が触れるか触れまいかした瞬間、その亡者の唇から大量の血が吹き出し孝江の顔を血で染めた、槍は亡者の背中から入り心の臓をひと突き槍先は孝江の既で止まっていた。
「申し訳ない」
男は頭を垂れそれだけ言うと孝江の手を引き二の丸へ誘った、亡者達は海が割れるように二手に分かれある者は槍を恐れある者は孝江の身体を欲する目付きで二人を見送っていた杉は難が去り一応胸を撫で下ろしたが今、孝江の手を引くは新政府軍正規兵だろう槍捌きからして手練、色欲まみれの亡者共は既に幕府も新政府もないであろうがあの男は違うこちらの正体が知れれば孝江とて容赦ないだろう杉は身震いし懐の物を再々度確認した。
一方、宗盛と三郎太は本丸地下にある穴蔵へ向かっていた、道中、三郎太は彼方此方で恨の丈を身体に刻まれていた、三郎太は捕縄され上半身の自由はなく受け身も取れずもし杉だったらと宗盛は三郎太の体躯の良さに感心していた地下へ降りる際も三郎太は背中を蹴られ階段を転げ落ちそうになるも宗盛は腰紐を引きそれを食い止めた。
「おい三郎太、お前の所為で刀が振れんぞ」
宗盛は小声で言うと腰紐を握る手を見せた、掌は荒縄で擦れ裂けていた三郎太は申し訳なさそうに頭を下げ自分が御守りしますと言ったが捕縄姿では説得力がないと宗盛は笑った、蝋が数本揺れ怪しく穴蔵前を照らしていたが薄暗く人手が足りぬのか監視もなかったこれ幸いと宗盛は蝋の先を摘み全てを消すと地下は暗闇、夜鷹の独壇場と化した宗盛は夜眼鏡を下ろす、腰縄を手放されていた三郎太は闇の中を彷徨い壁にぶつかるとイテっと声をあげていた宗盛はそれを気にする事もなく穴蔵を探す、緑色に包まれた空間にそれは簡単に見つかった、しかも入口は錠で閉ざされてはいたが横の柱に鍵が掛かってるではないか三郎太は相変わらず悲痛な声をあげていたが宗盛は急ぎ穴蔵の施錠を解くガチャと音を立て錠は外れ閂を横へ引いた、錆びつき滑りが悪く宗盛は何度も抉りながらそれを抜くと木戸を横にズラした、木戸も開きが悪い宗盛は身体を捩じ込める隙間を開け頭を入れた酷い悪臭の中には五人の姿が見て取れた三人は開く扉に視線を向けてきたが二人は身動きひとつ見せなかったが大体の想像はついた宗盛は視線を向けた者に幕府方か聞くと二人は頷き一人は首を縦にも横にも振らない、すると幕府方の一人が小声で言った。
「こやつはこの城⋯」
「間者、間者がいるぞぉ誰かっ誰かおらぬかぁ」
突如、返答のなかった者が叫んだ宗盛は懐に隠す物をその者に向けたが幕府兵が要らぬ世話を焼き体当たりをして黙らせようとした、絡れる二人に宗盛は狙いが定まらないでいると更に声が上がる。
「出合え、出合えー間者がおるぞぉ」
宗盛は木戸から頭を抜き三郎太の元へ急ぐと小刀で縄を切って三郎太を自由にした。
「敵が来るぞ」
三郎太は黙って頷くと夜眼鏡を装着して宗盛へ言った。
「爆薬を仕掛けます宗盛様は中の者をお願いします」
「しかし出口はここだけだぞ」
「うっ⋯ううん、何とかします」
宗盛は三郎太の間から根拠が無いことを悟り多少の覚悟はした、孝江が現状を知れば杉を引き連れ救援も期待できたが地下では連絡が取れぬ様でそれを伝える術はなかった。




