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タイトル未定2026/08/29 00:03

 泰夫は新政府軍の夜襲を警戒し未だ山頂に護衛の新撰組隊士と共に駐留していた、弥生三月、季節の上では春なのだが朝晩は冷込み標高が高くなれば季節の到来は半月は遅れる、泰夫のいる場所は然程標高の高い場所ではなかったが周りには遮蔽物が少なく夕刻から吹き始めた風をまともにうけ凍える様に寒かった、共にいる隊士は堪らず火を起こすがそれを泰夫から戒められていた。


「斎藤さん駄目ですって相手から悟られるじゃないですか」


「泰夫、誰もこんな処迄登ってくるかよ、このままじゃ凍え死ぬだろ侍はせめて戦で死なせてくれよ」


 開戦前、最前線へ喜び勇んで向かう斎藤を大久保は呼び止め奇妙な男の護衛を頼んできた見れば肌は陽に焼け浅黒く貧相で明らかに百姓の類と自分が出張る程の重要性を見いだせず断った、しかし大久保は言った『この戦いを左右する存在』と、斎藤はフンっと鼻で笑ったが二人は表情一つ崩さず真剣そのもの、それに押された訳ではなかったが斎藤は護衛を渋々承諾した、奇妙な泰夫の出立は気にはなるがまぁどの道、斥候程度がいい処であろうと改めて前戦へ向かおうとしたがその男はあろう事か前線とは逆方向へ向かうである、待て待てと斎藤は泰夫を呼び止めるも遠長しの狙撃が自分の任務であるとだけ告げ反対方向へ歩みを進めた終いには小高い山に登り始めるのだ、大久保をどの様に誑かし(たぶらかし)金須を頂戴したのかは知らないが狙撃ならば前線であろうと刀を抜いあ、すると泰夫は太腿にある下げ袋から何やら取り出すとそれを斎藤へ向けた。


「斎藤様、申し上げ難いのですが貴方の太刀は届きません、試してみますか?」


「はんっ短筒かよ」


 斎藤は鼻で笑った、百姓にしては良く言ったものだと関心はすれど信用には値しない、斎藤は関孫六を上段に構え摺り足で泰夫へ近付く、泰夫は横の摘みを下ろすと斎藤は強張りを解し笑いながら納刀した、新撰組に凄まれ立っておる町人など見た事はない普通、額から血が滲むほど頭を地に擦り付け詫びるのが常であった余程手にする物が我一太刀より秀逸なる物かは知らぬがどの道この先この男の言う事に方便あれば斬る機会など掃いて捨てる程あると刀を納めたのであった。


「わかった、わかった、何処へでも行けば良い」


 痴がる(おこがる)斎藤の額には赤い光点、それを感じる事は出来ないし見つけたところで気にもしないであろう、斎藤が太刀を浴びせるには三歩、新撰組一番隊組長、沖田総司程の突きがあればあるいはであったが泰夫のそれはその前に斎藤の額を間違いなく穿つ反面斎藤の刃はよしんば届いても泰夫の装具に阻まれ水泡に帰す唯一の可能性は指先程の隙間の喉元であったがその様なこと知る由もない運命は泰夫の心持ちひとつと言う状況は不動の物であったが斎藤は己に利があると意気揚々と泰夫の前を肩で風切り通り過ぎていった、実際、利は泰夫に十二分にあるのだがその後ろ姿に当て言もなく斎藤に付いて行く、今、泰夫を満たす物は今から自分が人を殺める(あやめる)と言う心咎め(こころとがめ)それだけであった。


 山頂へ到着すると斎藤は岩に腰掛け薄らと浮かぶ額の汗を袖で拭った、泰夫は遠眼鏡を手にして孝江に言われた三方を見通せる場所を探した、すると斎藤は泰夫が手にする遠眼鏡に興味を抱くとそれを奪い覗き込んだ。


「ちょ、ちょっと斎藤様⋯」


「おぉ絶景かな絶景かな、まっ櫻満開にはちと早いか」


 斎藤は歌舞伎『楼門五三桐』の石川五右衛門名台詞に準え(なぞらえ)戯けてみせた、泰夫は何度も取り返そうとするも流石と言ったところか遠眼鏡に触れさえも出来ないでいた泰夫は諦め大きく溜息をつくと孝江に連絡を入れた。


「すまん孝江、もう暫く掛かり⋯

⋯あぁすまん⋯いや、無理ではないのだが⋯

あぁ判ってる⋯」


 奪い取ろうと迫っていた泰夫が今度は立ち止まり何やらひとりでぶつぶつ呟き出すと今度は誰かと話している、斎藤は装束からして普通ではないと慮って(おもんばかって)いたが物狂いの類いだったかと泰夫が可哀想になり遠眼鏡をそっと差し出した、すると伸ばした左手と入れ替わる様に泰夫の右手が斎藤の耳へ何かを入れた。


「おい斎藤っ、貴様っ、貴様の所為で兵が無駄死にするぞ、余計な事はするなっ肝に銘じとけ」


 突如、耳元で局長の声が鼓膜を突き破らんと響いてきた斎藤は辺りを見廻すも大久保の姿は何処にもなく狼狽えていると更に大久保の声が届く。


「わかったか斎藤っ貴様はその男を護衛してれば良い、余計な事は一切するなっ」


 泰夫は狼狽える斎藤の目に遠眼鏡を当てる、遠眼鏡の中には新撰組局長、近藤勇が拳を突き上げ何か叫んでいた。


「か、否かっ」


「しょっ承知した」


 まだ納得には到底届かないが斎藤は後ろへ下がると先程の岩の上に腰掛け泰夫を黙って見届ける事にした泰夫は遠眼鏡を使い何かを探してるようで気にはなるが大久保との誓があるとその背中だけを見つめていた、すると泰夫の背には何か背負われているではないか今の今迄気付かなかったが斎藤はそれを見、背筋が恐怖する感覚を本能が教えていた。


「⋯それはライフル銃⋯なのか」


 それは問うているのか独り言なのか斎藤は蚊がなく様な小さな声で呟いた、鉄砲が日本へ伝わり戦の流れは大いに変貌を遂げた最近では米利堅や欧羅巴(ヨーロッパ)からライフル銃なる物も持ち込まれている実際、持ったことも撃った事もある斎藤であったが泰夫の持つそれは形こそ似ているが明らかに似て非なる物、それは昔、御伽草子で聞いた鬼が持つに相応しい、現に今、目の前で構えし男の背丈と然程代わりないのだ固唾を呑み改めて恐怖したが斎藤の中の武神がそっと囁く。


「泰夫、それは前装式か最新の後装式か」


 ようやく好位置を見出すと鉄砲の加減を急ぐ泰夫へ問いは届かず武神は諦め消え去るに思えたが歴戦の斎藤に宿る武神は易々とそれを許す筈もなく斎藤は腰を上げ泰夫に近付くと肩を叩いた、専ら(もっぱら)加減に気を取られていた泰夫は驚き身体を捻ると下げ袋の物を斎藤へ向けた、斎藤は咄嗟に泰夫の腕を押し下げるとその物は乾いた音を放ち何やら叢(くさむら)が騒めいた。


「もっ申し訳ありません斎藤様」


 咄嗟に詫びる泰夫、しかし斎藤は騒めく叢を見て全てを悟った、それは先程の自分の行為が如何に愚かしい事であったか痛感させられると斎藤は滅多に下げぬ、実際、近藤や土方さえ見た事がない頭を下げて泰夫に謝罪した。


「否、俺の方こそ数々の無礼許してくれこの通りだ、口惜しいが生殺与奪はお前にあったんだな誠に申し訳なかった」


 再三の謝罪に泰夫は困惑し頭を掻いた新撰組隊士の垂れた頭を直らせる言葉など百姓の口から出る筈もなく結局それを無視しゆっくり体勢を戻すと加減を再開した、斎藤も礼は尽くしたと頭をあげ元の場所へ戻ろうとするも武神は未だ諦め悪く隣で泰夫の一挙手一投足を見逃すまいと凝視していた。


「あぁでも誰を狙えば良いものか」


 泰夫が又、独り言を呟く、物狂いと見間違う行為も意味があるのだ自分も近藤さん相手に其れを演じさせられたと思い出し独り笑いした、思い起こせば自分も物狂いの類だろう何人の攘夷派浪士を斬った事か同志も斬った粛清名目で何人も、忘れもしない己を慕い愛してくれた同志もこの手で斬った。


『貴方で良かった⋯』


 今更に何が良いものかと斎藤は無意識に目を拭う、拭った手の甲はあろう事か濡れていた斎藤は首を振りこれは目脂(めやに)だと自分に言い聞かせ甲ではなく指で眼(まなこ)をなぞり泰夫に焦点を合わした、すると視界に現れた泰夫は顔を伏せ眠っているのだ斎藤は起こしてやろうと肩に手を伸ばす、しかし泰夫は眠ってはおらず目を開け大きく深呼吸していた長く強く吸っては吐き、吐いては吸うを規則的に繰り返す斎藤も釣られて深呼吸してしまい数回で泰夫と斎藤の呼吸は同調する、吸う、吐く、吸う、吐く、しかし突如規則が乱れ斎藤が吸った時、泰夫は吐き続け伏せていた顔をクッと上げた斎藤は当てつけかと泰夫の頭を叩こうとした瞬間、ライフル銃から耳を劈く(つんざく)雷鳴が鳴り響いた、斎藤は生まれて初めて腰を抜かし背後にもんどり打ち甲羅を下にした亀の如く情け無い醜態を晒した。


「なっ何事だ、雷、いや敵の砲撃か」


 斎藤は跳ね起きると泰夫に聞いたが泰夫は何事もなかった様に鉄砲の横にある棒を引く、ガチャと言う音と共に金色の何かがそこから飛び出してきた斎藤は壊れたのではと其れを拾い上げると余りの熱さに投げ捨て指に息を吹き掛け掌を振る泰夫を見ると再度あの深呼吸を始めていた今度は黙って見定める事にして斎藤は泰夫を凝視した、数回深呼吸を繰り返し長く息を吐く、泰夫の指が引金を引くとライフル銃は煙を噴き上げ轟音を放つ泰夫の身体がライフル銃から押され擦り下がると静寂の中、木霊だけが五月蝿くそこら中を飛び回っていた。


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