タイトル未定2026/08/21 02:16
隊列は笹子峠を越え駒飼宿へ到着した、しかしここで鶴瀬の関所から急報が届く『新政府軍、甲府城へ接近、明日にも入城』大久保は大きく空を仰ぎ見ると急ぎ幹部を招集し対策を練った、喧々諤々論議が交わされるも内藤は状況不利と援軍の要請の為江戸へ戻る早馬を用意させた。
そんな騒動が起こっているとはつゆ知らず泰夫達は内藤が用意させた旅籠宿にて久しぶりの畳の感触を味わっていた、しかし孝江はその畳に転がる事なく皆の装備の点検に暇はなかった、宿の離れにある蔵に装備を広げると分解、清掃、組立と額に汗していた、分解図は頭に入っており手技も手慣れたものであったが戦場において誤作動でもあれば命に関わるとひとつひとつを丁寧にこなしていた、するとそこへ宗盛が慌ててやって来ると急報を孝江にも伝えた、孝江は手を止め暫く考えると決して装備には触らぬようにと宗盛へ告げ内藤のいる本陣宿を目指した、宿の前では丁度内藤が出立の準備を行なっており孝江は恐る恐る近付くと蚊の鳴くような声で内藤を呼んだ。
「なっ内藤様っ」
しかしその声は届かず内藤は馬の背に跨ると腹を蹴り駆け出す姿を孝江の視界が捉えた、孝江は無意識にその馬の前に進み出た、走り出した馬に女が跳ね飛ばされた宿場の誰しもがそう思った刹那、内藤はそれに気付き手綱を思い切り引くと馬は両前脚を跳ね上げた、その蹴り上げた脚は孝江の頭上目掛け下りてくる確実に頭が割れる場面であったが孝江は驚く事もなく紙一重でこれを躱した、内藤は怒鳴る事なく手綱を横に引くと孝江を馬の横に持ってきた。
「孝江か」
「はい、内藤様お待ち下さい」
孝江は内藤が甲府城へ単騎で突っ込んでゆくのかと心配したが内藤は援軍を請いに江戸に戻ると言う、すると孝江は前線の指揮は内藤がいないと儘ならぬと告げたが内藤は大久保さんがおれば事足りると孝江に告げた。
「では我々は独自に行動致しますが宜しいでしょうか?」
「あぁお前らと足並み揃えては戦えまい、一応近藤さんには伝えている挨拶でもしとけば『左様でございますか』って具合だろう」
「いつお戻りになられますか」
「わからん、手間取れば玉砕された後かもしらん、では行くぞ近藤さんの死目くらいは逢いたいからな」
内藤は笹子峠に向け駆け出した、見送る孝江の背後から泰夫が近付き肩を叩く孝江は内藤が見えなくなるとそっと振り返り泰夫の胸に顔を埋めた。
「どうした惚れたのか?」
「⋯違いますよ、なんか二度と会えない様な気がして」
「此処から東に敵はいないだろ、考えすぎだ」
「だと良いけど」
それから孝江は宗盛の元へゆき内藤の言葉を伝えると宗盛、佐治、泰夫、孝江の四人で大久保の本陣宿を訪ね主人に取次を頼むと宗盛達は部屋に通された、さぞかし陰鬱な雰囲気と思いきや表情こそ曇ってはいたが大久保は横になり酌婦に酒を注がせていた、襖が開き宗盛と目が合いやっと身体を起こし胡座座になると四人を手招いた。
「歳から聞いてる、入れ入れ寒くてかなわん」
大久保は横にある火鉢に手をかざす、宗盛と佐治は深々と頭を下げた、泰夫と孝江はと言うと豪勢な装飾に目を奪われ天井を見上げては感嘆の声をあげていたそれに気付いた佐治が慌てて泰夫の腕を引き頭を下げさすと泰夫も孝江の袖を引き頭を下げさした、その様を見た大久保は大笑い、曇った表情は火鉢の灰になったか急に上機嫌になり饒舌に語り出した。
「女、お前、歳に具申したらしいな、女子の分際でよく首と頭が繋がっておるわ、はっははは愉快愉快
ところで女、お前達何やら見掛けぬ武器を携えておるらしいな、あの歳を打ち負かすとは百姓風情が見上げたもんだ、今度見せてくれよ、あの歳をなぁ、いやぁ⋯
おっーそうじゃそうじゃ歳から伝言でな『彼奴等は自由にさせといてくれ近藤さん』って事だがそれで良いか、言うても五、六人の所帯だろ俺なら怖くて小便も行けんぞ、はっははは
おっーもうひとついいか、歳が言ってたがお前達遠くの者と話せるカラクリ道具持ってるらしいな俺にも拝借できんか戦場では絶対役に立つからな」
間髪入れず捲し立てられ皆は呆気に取られていた、やっと大久保の語りは途切れると孝江はひとり大笑いしていた、大久保は猪口を持つ手で宗盛を指すとその手が左へ動いた、宗盛が孝江を戒めた。
「だっ、だってうちの父さんみたいで面白くて、くっくく」
宗盛と佐治の顔はみるみる青ざめていった、二人の表情を悟り泰夫は孝江の頭を押さえつけ無理矢理謝罪させようとしたが大久保の反応は予想を反し共に笑いだしたのだ三人は孝江と大久保の間でなす術なく惚けるしかなかった。
「そうかそうか、流石に俺もこんな大きな娘はおらんが、あぁ⋯おるやもしれん、な、はっははは」
大久保は少し考えると自分の股間を打ち付け大笑いした、それを見た孝江は堪えていたが再度、火がついた様に笑い出す始末、宗盛は辛抱たまらず刀に手を掛け今にも孝江に斬りかかろうと片膝をついた、大久保は横目でそれを見たのか猪口を持つ手で宗盛を宥めた。
「いやぁ愉快愉快、鳥羽伏見以来周りは陰鬱で久々に笑わしてもらったわ、名は何と言う」
「くっくくく、たっ孝江で御座います」
「よし女、もし俺に何か具申する事あれば気兼ねなく何なりと言えば良い」
大久保は急に小声になると孝江に釘を刺した。
「但し、カラクリ道具の中だけにしてくれよ、他の者に示しがつかんからな」
四人は頭を再度下げ大久保の元を去ろうとしたが大久保は呼び止めた、孝江は襖の引手に指をかけたまま振り返ると大久保が宗盛に率いる隊名は何かと問うた、特に考えておらず宗盛はありませんと伝えると大久保は四人を舐める様に見渡すと酔狂な名を挙げた。
「"︎︎︎︎夜鷹"︎︎ってのはどうだい、歳から聞いたぞ、お前ら闇夜でも目が利くらしいな」
鷹と言うのは両手をあげて喜ぶべきであるが夜が付けば別物になる勿論、大久保なりに嫌味を込めた洒落のつもりであった、夜鷹とは夜な夜な町角に出没する最下級の遊女の事で宗盛は流石に拝命出来兼ねますと言い掛けたが孝江は別に良いじゃないですかと宗盛へ伝えた。
「あっ」
突如泰夫が口を開いた、あの日あの祠の上空を飛ぶ烏の事を思い出していた、しかしそれを伝える事もなく心に留めると大久保に頭を下げ部屋を後にした宗盛は改めて孝江を戒めていたが泰夫は軋む廊下の上を歩きひとり呟いた。
「身なりも真っ黒だし、烏が良かった⋯」




