タイトル未定2026/10/22 20:50
逃れていた主人が旅籠の変わり果てた姿を見ると口をぽかんと開け呆然と立ち尽くしていた。
宗盛は励ますつもりで主人の肩を叩き相すまんと声を掛けた、すると主人は商魂逞しく応えるのだ。
「なぁに本陣には手狭でしたし、建て替えるにも取壊しの手間が省けました」
主人は内藤の言葉を真に受けているのか、将又、嫌味を吐いたのか宗盛はわかりかねていた。
するとそこへ杉に背負われ内藤が戻ってくると、またもや収まりのつかぬ事を言い出すのだ。
「主人、取壊しの手間が省けて良かったではないか、どうじゃ、ここら一帯買占め本陣に恥じぬ旅籠にしては」
「さすが新撰組副長で御座いますな、先見の明に長けておられる、わたくしもそう考えておりました」
「そうか、入用であればそこの者へ申せばすぐ用立ててくれるぞ、おい宗盛、書付でも残しておいてやれ」
貴方が言い出した事ではありませんかと宗盛は不服そうに口を尖らせると、渋々、主人へ小紙と筆を持って参れと告げ、主人の姿が消えるや内藤に葛野では用立て出来ませんのでとだけ伝えた。
本陣となれば作事料は千両近くはなるであろう内藤はその様な金須を葛野藩如き小藩に用立てできようかとわかっている、ただ、宗盛という男は生真面目な奴であるなと考え及ぶだけであった。
孝江は若衆の手を借り荷車を表へと廻すと早々に立ち去る事を進言した、内藤はであるなと頷き、己が残してきた三郎太の武具の回収をその若衆へと頼んだ。
そこへ主人が小紙と筆を持ち来て宗盛へと渡し頭を下げた、宗盛が書き記す間、もう出立で御座いますかと聞く主人に孝江は、はいと申すと主人はしばしお待ち下さいと旅籠へ舞い戻って行った。
しばし後、主人は竹の皮に包んだにぎりめしを厨は無事でしたのでと喰えぬほど持してくれた上、良きところまで若衆を遣ってくれとまで言うのだ、ああ見えて奴らは喋ってならぬ事は墓まで持っていく連中ですと、此方の心中まで察してくれるのだ。
「一切合切、かたじけのうござる」
宗盛は主人に一礼をくべると駿府を後にした。
申し合わせし刻限より三日後、夕闇迫る約束の地にて集いし夜鷹衆、されどその中に是貞の姿はなかった。
誰しも胸の内には同じ痛みを抱えながら、あえてその名を口にする者はない、口にしたが最後、ようやく踏みとどめているものまで崩れてしまいそうであった。
孝江はただ一度、三郎太、是貞が来るはずであった方へ目をやったが、やがて何事もなかったように顔を上げ、参りましょうとだけ言った。




