136. ヴィルノアという人⑨
冬休みは兄上の手伝いで毎日、朝から晩まで兄上の執務室に缶詰めだった。
兄上の仕事はとにかく多い。兄上はいつもにこやかに飄々と仕事をしていて、何の苦もないような顔をしている。大変な業務の量なのに、だ。少しでもその負担を減らせるなら、僕は頑張ろうと思っている。まだ、あまり戦力にはならないけど、そのうちエリック兄上の様に仕事を任されるようになりたい。
冬休みみたいな長期休暇は集中して仕事を教えてもらえるチャンスだ。
ただ、そんな確固たる思いとは別に、仕事を手伝う長期休暇はシアに会える機会が格段に減る、という僕にとって拷問のような時でもある。シアが婚約者ではなかった頃は、それが当たり前で、会えるのはラッキーな出来事だった。会えた日は気分が高揚して眠れなかった。でも僕のシアになってからは、会えない日が続くとやる気は起きないし、眠りも浅くなる。無気力と倦怠感で、不機嫌にもなる。完全な『シア不足』だ。
この冬休みはシア不足がひどくなる前にシアが会いに来てくれた。忘れていたけど僕の15歳の誕生日が冬休み中にあって、兄上達からのサプライズプレゼントとしてシアとの時間をくれたのだ。最高のプレゼントだ。兄上達ありがとう。
シアが来てくれただけでも嬉しいのに、シアは手作りのハンカチをくれた。よく見るとシアの指先は傷だらけで、痛々しい。シアにはけがはして欲しくはないけど嬉しかった。シアは女性的に見えてかなり指先が不器用だ。そんなシアが一生懸命作ってくれたハンカチは一生の宝物だ。
シアが膝枕をしてくれた。本当はシアを堪能したかったんだけどシア不足で寝不足になっていたのと、ほんのりと伝わってくるシアの体温が心地良くて、気が付けばぐっすりと眠っていた。ちょっともったいなかったけど、寝起きにシアの腰に抱きつけたので良しとしよう。シアは柔らかくて、いつもいい匂いがする。幸せはこんな近くにあったんだ。
シアに結婚しようと言ったら、速攻で断られた。あれは思い付きの様に言った僕が悪い。いつも思っていることだったから、するっと思わず口にしていた。シアはロマンチストでべたな乙女チックなものが大好きだ。お姫様と王子様の出るラブロマンスとか、大好物だ。だから自分のプロポーズにも心ときめくシチュエーションを夢見ている。そんなことはよく知っていたのに、寝起きにシアの膝の上に居た僕は調子に乗っていたんだ。シアの夢は全て叶えてあげたいと思っていたのに・・・うん。まだ時間はある。シア好みの二人の思い出に残る素敵なプロポーズを考えて行こう。
シアは仕事の邪魔はしたくないと、直接会いには来てくれなかった。その代わりに毎日二通の手紙をくれた。いつもかわいいことを書いてくるから楽しみで仕方がない。仕事を終えればシアの手紙が読める、と思うだけですごく仕事に集中できた。
シアがくず石をもったいないというので有効活用の道を考えたら、兄上からその仕事を中心となってするように言われた。その仕事をするついでと言ってはどちらがついでだか分からないのだけど、シアにくず石を使ったブレスレットを作った。シアがすごく喜んでくれたので、職人に彫金を習っておいてよかったと思った。シアには自分で作ったものをあげたいんだ。
冬休みが明けてからは、学園に言ってもシアに会えないという呪われているのかと思われる日々が続いた。
すべての元凶はあの女だ。
だけど、僕にも非が多々ある。一番はよく確かめもせずに手紙を託したことだ。シアが僕のクラスの令嬢と親交があるのは知っていた。それが誰だかまでは興味がなくて、記憶していなかった。シアからの伝言もシアにしては積極的だなと思うくらいで、偽りのものだとは思いもよらなかった。だってそれらは何のメリットも感じられない行動じゃないか。そんなことして何になるんだ。
他の人に宛てた手紙を読んで何が面白いんだろう?
兄上達からは危機管理がなっていないと叱られた。その通りだ。その結果、シアに不愉快な思いをさせた。これからはシアの交友関係もしっかり押さえて行こうと思う。
それにしてもシアに暴言だけではなく、暴力まで振るうとは・・・あの女、どうしてやろう。しかも『ノア』って呼んでもらえないなんて・・・許せるわけがない。あの女の一番嫌がる方法で制裁を加えたい。もちろん、シアには分からない形で、ね。
うん。テオ兄上に相談してみよう。エリック兄上は真っ直ぐな人だから、こういうことには向かない、優しい人だ。
そうエリック兄上は優し過ぎる。
馬車の中でのシアとの濃密な時間をくれたのも、僕のことを気にかけて婚約者だったシアに手を出さなかったのも、兄上が優しいからだ。まあ、恋心を持っていないと無邪気なシアには手を出し辛かっただろうけど。それでも、兄上の優しさは天下一品だと思う。エリック兄上も自慢の兄だ。
無邪気さは時に罪だと思う。僕の上着をダボっと来て、ふわふわと動き回るシアは、何と言えばいいのか分からない破壊力のあるかわいさだった。ずるっと落ちる肩とか、ぶらんと垂れ下がった袖先とか、すっぽり隠れるからだとか・・・どこを取ってもぐっときてしまった。こんな凶器的なかわいいシアを、このままにしてはいけないとすぐに上着を脱いでもらった。それをシアが気を使ってくれて着せてくれたんだけど、シアの体温とか匂いとか大きさとか・・・もろもろのことを意識してしまって、柄にもなく赤面してしまったんだ。
シアはその存在自体が、僕には危険なんだ。
平常心って何?ってなるのもシアだけ。理性が吹っ飛びそうになるのもシアだけ。心が強く動かされるのもシアだけ。
兄上にほどほどにねって言われてるし、ジルベール殿に婚前男女の適切な距離をって言われてるし、エリック兄上には呆れられてるし、シルビアにはゆっくりって言われてるし・・・うん、頑張ろう、僕の理性。負けるな僕の理性。でもシアもいけないんだ。あんな格好したり、キスの後にあんなとろんとした大人の女性のような色香漂う顔をしたり、頬を僕の胸に摺り寄せたり・・・かわいいシアがいけない。でも負けるな僕の理性。
学生のうちは、そう結婚するまでは口付けまでだよね。
シアの全部が欲しいけど、ずっとほしかったシアの隣に立つ権利とシアの心が手に入ったんだ。あとはゆっくりでいいんだ。
今日もシアがかわいい。きっと明日はもっとかわいい。
今日は・・・そうだ手紙を書こう。あの女に盗まれた手紙なんてもうシアには渡したくない。あの女を思い起こさせるものはもういらない。うん。新しく手紙を書こう。大好きなシアへ、で始まって、シアのヴィルノアより、で終わる手紙を。




