10. 婚約者はいらない
「お慕いしております。お付き合いして頂けませんか?」
絞り出すような声が静かな裏庭に響いた。
教師の控室から食堂に向かう途中のフェリシアは足を止めた。周りを見渡すと先日エリザベスと見かけた告白シーンが展開されていたあの木の下に少女が見えた。少女は背を向けていたので、フェリシアには気付いてはいないようだった。
「まさか、ね…」
少女の視線の先には告白相手である少年が立っていた。
「やっぱり、ノア…」
無表情で立っている少年はヴィルノアだった。
フェリシアは告白を偶然とはいえ立ち聞きしてしまったことに気まずさを覚え、足早に立ち去ろうとした。視線を逸らそうとした時、運悪くヴィルノアと目が合ってしまった。うわぁ、気付かなかったことにしてっ!とは心の中で叫んだものの、無視するわけにはいかず、小さく手を振った。
「シア、少し待ってて。」
ヴィルノアはにっこり笑った。いや、ダメでしょう、と両手を肩の高さに上げ、首をフルフルと振った。ヴィルノアは全くフェリシアの行動を気にすることなく、すっと表情を消して少女を見た。
「君に興味ないし、誰とも付き合う気ないから他当たって。」
冷たい言葉が聞こえてきて、フェリシアは目を瞠った。聞きなれないあまりの冷ややかな言葉にフェリシアはヴィルノアに視線を戻した。再び目が合うと、ヴィルノアは嬉しそうに微笑んだ。
「シア、お待たせ。食堂行こう。」
告白した少女などいなかったかのようにヴィルノアはフェリシアの元にやってきた。
少女はこちらを向き恐ろしい顔でフェリシアを睨みつけていた。フェリシアは顔を顰めた。
「ねぇ、告白されている最中でしょう?こっちに来ていいの?」
「もう話は終わったから。」
冷めきった物言いでヴィルノアは答えた。
「彼女は終わっていないんじゃないかなぁ。」
ちらっと少女に視線をやると恐ろしい目と視線が合ってしまい、フェリシアは直ぐに視線を逸らした。
「僕は終わったよ。」
「いいの?」
「いいよ。シアと過ごすランチタイム以上に大事なことなんてないよ。」
「う、うん…そうだね。お腹空いたら午後の授業つらいものね。」
フェリシアはうんうんと頷いた。
「うん、さすがシアだね。そんなとこも好きだよ。」
「うん、知ってる。」
フェリシアは満面の笑みを浮かべた。
サッと歩き出したヴィルノアの後ろを慌ててフェリシアは追った。フェリシアは背中に強い視線を感じ、いたたまれない。
「ねぇ、やっぱりもう少しきちんと話をした方がいいんじゃないかな?」
「呼び出されて迷惑なだけだから、これ以上話すことなんてないよ。」
「うわぁ、冷たっ!」
「そう?本当に迷惑なんだけど。」
「うわぁ、モテる男は言うことが違うね。」
フェリシアはヴィルノアの冷たい反応に居心地が悪くなってしまい、つい茶化すような言葉を吐いた。
「モテるとかどうでもよくない?」
フェリシアの言葉にヴィルノアは冷めた態度を崩さず、話し続けた。
「あんな呼び出して告白されてって、ハッキリ言って時間の無駄だよね。僕に婚約者がいないからって、がつがつと。王子で唯一婚約者がいないって、そんなに狙い目に見えるのかなぁ。本気で好きなわけじゃないでしょう。そんなの迷惑以外言葉が浮かばないよ。」
「そんなことないんじゃないかな。まぁ、中には利己的な子もいるとは思うけど、全員がそうではないんじゃないかな。本気の子も多いと思うよ。だって告白って相当勇気がいるじゃない?どうでもいい人に告白なんてしないし、できないでしょう?」
フェリシアはヴィルノアの物言いに悲しくなり、俯いた。ヴィルノアは横目でフェリシアを見た。
「まぁ。中には本気で好意を持っている子もいるかもしれないね。でも僕からしたらどちらでも迷惑だ。
だって結婚する気がないんだよ。それどころか恋人だっていらない。だから告白なんて迷惑なだけだよ。」
ヴィルノアは無機質な顔をしていた。
フェリシアは初めて聞くヴィルノアの結婚観に驚いた。
「結婚する気ないの?結婚って王族の義務みたいなものじゃないの?」
「まぁ、政略的な利用価値のある物だよね、王族の結婚なんて。幸い僕には優秀な兄上が二人もいる。それにこの国は外交も内政も上手くいっていて平和だ。僕一人結婚しなくたって何の支障もないよ。」
「そういえばノアだけ婚約者がいないよね。」
「そういう話がなかったわけじゃないけど全部拒否した。」
「拒否って、断れるものなの?」
ヴィルノアは第三王子とはいえ一国の王子だ。婚約者候補として名が挙がるのは高位の貴族令嬢や隣国の姫達だろう。それを断り続けてきたというヴィルノアはある意味怖いもの知らずではないかとフェリシアは思った。
「決してお互い幸せになれないと分かっている結婚なんだから、断るしかないよね。」
「な、なんで幸せになれないって分かるの?」
あまりにさらっとハッキリと言い切るヴィルノアの態度にフェリシアは困惑した。
「最初は政略結婚だとしても、結婚後に緩やかに愛を育んでいく場合も多いと思うよ。私の両親みたいに、ね。」
フェリシアは今も仲睦まじい両親を思い浮かべた。
「うん、そういうのもあると思うけど、それってお互いほかに想う相手がいなかったから成せることだよね。僕には無理。婚約者になる子を愛せないのだから、結婚してからも愛せるわけないよね。」
「そんなぁ…」
「僕はね、結婚するからにはお互い想い合って大切にしていきたいと思っている。シアも兄上とそうなりたいって言っていたよね。同じだよ。でもね、僕にはずっと好きな子がいるから、その子以外と婚約しても愛せない。その子以外の子を好きになることはないのだから、もし僕に嫁ぐことになる子がいたらかわいそうだよ。どんなに僕に愛情を傾けても、僕は決して応じないのだから。」
ヴィルノアはどこか寂し気な色の瞳でフェリシアを見た。
「好きな子いるの?だったらその子とは婚約できないの?」
ヴィルノアは王子だ。相手がよっぽど身分に差がなければ問題なく、差があったとしてもどこか良家の養子になるなど遣りようはいくらでもあるだろう。いくらでも希望は通りそうなものだ、とフェリシアは内心思った。
「うん、無理。彼女には婚約者がいるんだ。」
ヴィルノアの瞳はフェリシアを見つめたまま寂しげに揺れた。
「僕が彼女と知り合った時にはすでに婚約者がいたんだ。婚約者と彼女は仲がいいから、婚約者から奪いたいとは思わないんだ。」
苦笑いを浮かべながら話すヴィルノアに、フェリシアは何か力になりたいと思った。
「その子を諦めてほかの子に目を向けることはできないの?」
「うん、無理。」
ヴィルノアは間髪入れずに答えると、きれいに微笑んだ。
「会う度に前よりもっと好きになるんだ。他の子になんて考えられないよ。」
あまりに幸せそうな笑顔を浮かべるヴィルノアにフェリシアは目を奪われた。でもこのままだとヴィルノアが幸せになれないとフェリシアは悲しくなった。
「その子に会わないようにして、熱を冷ますっていうのはどうかな?届かない思いを抱えたままなんてツラすぎるよ。このままじゃノアが幸せになれないよ。」
涙目になったフェリシアの訴えにヴィルノアは穏やかに微笑んだ。
「シアは優しいね。でもね、思いが届かないのは確かにつらいけど、会えないのはもっとつらいんだ。手に入らない女の子だって分かっていても、会いたいんだ。彼女が楽しそうに笑っているのを見ると、僕は幸せな気持ちになるんだ。それが婚約者に向けられたものだとしても、ね。思いが伝わらない、伝えられないつらさを上回る、幸福感なんだよ。彼女の毎日が楽しく幸せならそれでいいんだ。それにね、僕は彼女の婚約者も大好きなんだ。彼女は婚約者と仲良くしているよ。そんな二人を見て全く辛くないと言えば噓になる。だからといってそんな二人の関係を壊したいと思ったことはないよ。彼女が笑顔ならそれでいいって思うんだよ。」
ヴィルノアはにっこり笑った。
「今日も好きだよ。」
フェリシアはその笑顔にこれ以上何も言えないと思った。
「いいなぁ、恋をしているの。私も恋をしたいとは思っているんだけど、そもそも恋の好きが分からないんだよね。お兄様たちを好きって思うのとは違うのだろうとは思うの。物語ではあんなに簡単に恋に落ちるのにね。」
フェリシアは眉を下げ、しゅんとした顔になった。
ヴィルノアは優しい微笑みを浮かべていった。
「シアはゆっくりでいいんだよ。エリック兄上は弟の僕が言うのもなんだけどとても魅力的な人だよ。まだ結婚まで2年以上あるんだから、シアのペースで心を寄せていけばいいんだよ。」
「そう、かな?」
「それにエリック兄上に魅かれるかもしれないでしょう?」
悪戯顔でヴィルノアは言った。
「それはまずいでしょう。」
フェリシアはあわあわと慌てて言った。
「心がどう動くかなんて予測できないものでしょう?」
ニヤッと笑ったヴィルノアは少しだけ大人びて見えた。
「それにしてもノアにそんなに想われる子は幸せだね。」
フェリシアは感慨深げに言った。
「はは、シアにそういってもらえると嬉しいな。」
ヴィルノアはきれいな顔で笑った。その笑顔が寂しげに見えて、フェリシアは涙が込み上げてきた。
「かわいいノアには、幸せになってほしいな。何か私にできることない、かな?」
「本当にシアは優しいね。ありがとう。そうだなぁ…うん、笑っていて。」
「ん…」
フェリシアは涙目のまま口角をあげて、無理やり笑顔を作った。そんなフェリシアを見てヴィルノアは優しく微笑んだ。
「大好き」
「うん、知ってる…」
ヴィルノアは幸せそうに微笑んだ。




