第2話 元婚約者は推し対象外です
騎士団の訓練場。
ノアは柵の向こうで、大きく手を振っていた。
「騎士様ー!」
「格好いいー!」
騎士団がざわつく。
「公爵令嬢だ……」
そのとき。
「ノア、やめろ!」
王子が駆け寄ってきた。
「なんでこんなことしてるんだよ」
「元婚約者、どうしました?」
「元じゃない!」
「婚約破棄してない!」
ノアは小さくため息をついた。
「推し活の邪魔をしないでください」
「推し活ってなんだよ」
「イケメンを応援してるんです」
「イケメンは世の中にたくさんいますから」
「そんなこと言わずに、ノア。今までみたいに――」
「浮気するくせに」
「浮気しない!」
「してないから!」
「清楚系ヒロインと幸せになってください」
「清楚系ヒロインはお前だろう」
「ノア以外にいるわけない」
ノアは呆れたように言った。
「何言ってるんですか……しっかりしてください、殿下」
「私はこっちで楽しく推し活するので」
***
「ルーカス様!」
「格好いいです!」
王子がルーカスを睨む。
ルーカスはさっと目を逸らした。
「ルーカス様ー!」
「素敵です!」
ノアの声が訓練場に響く。
「ノア……」
王子は小さく呟いた。
「俺の前で、やめてくれないか」
「……さすがに辛いんだ」
***
こんなに話したことが、今まであっただろうか。
婚約破棄と言われるまでは。
俺は、ただノアの話を聞くだけだった。
目も合わせられなかった。
それなのに今は――
少しでも会話できることが、嬉しいと思っている。
……馬鹿だ。
こんなことになる前に、話せばよかった。
伝えればよかった。
ノアがかわいくて。
ノアが大好きで。
だから、何もできなかった。
全部、伝わっていると思っていた。
慕ってくれているのだから、わかっていると。
なのに――
今、目の前で。
他の男に「格好いい」と言っている。
……俺は。
振られたのか。
***
「ノア」
ルーカスがびくっと肩を震わせる。
「……!」
王子が低い声で言った。
「俺の婚約者だが」
「元婚約者です」
「違う」
「いずれ破棄します」
「しない」
一歩、前に出る。
「俺は絶対に婚約破棄しない」
***
騎士団がざわついた。
「恋の戦争だ……」
そのとき。
ルーカスが、思わず顔を赤くしながら口を開く。
「エレノア様も……かわいいです」
「……!」
空気が凍った。
王子が一歩前に出る。
「……俺の前で言わないでくれ」
低い声だった。
「まだ俺の婚約者だ」
「婚約破棄するつもりもない」
視線をルーカスへ向ける。
「ルーカス、わかっているな」
「……はい」
「それと」
一拍置いて。
「そんなことをしてないで、練習に戻れ」
「……はい」
***
「ノア」
王子はゆっくりと言った。
「俺は婚約破棄なんてしない」
「だからやめろ」
「何をです?」
「推し活だ」
「嫌です」
即答だった。
***
「だって私は決めました」
「王子の顔色を見て生きるのはやめます」
――ああ。
そういうことか。
ノアは、俺に合わせていただけだったのか。
***
「騎士様、これからも推しますね!」
「……!」
王子の声が低くなる。
「俺は諦めない」
そして、少しだけ視線を落とした。
「それと……ちゃんと話をしよう」
本当に申し訳なさそうな顔だった。
「何も伝わってなかったみたいだ」
「俺は……全部、わかってくれてるって思ってた」
「誤解させたのは、俺のせいだ」
「だから、ちゃんと話したい」
一瞬迷ってから、続ける。
「それと……浮気はしてない」
「本当だ」
***
「これから浮気するんですよ」
「……よくわからないんだが」
王子は本気で困った顔をした。
***
「私、推し活するので」
くるりと背を向ける。
「元婚約者は推し対象外ですから」
***
「……俺は、対象外か」
小さく呟いた。
***
騎士団の空気が、微妙に変わっていた。
誰もが訓練の手を止めているわけではない。
だが、明らかに意識はこちらへ向いている。
「……殿下、本気だな」
小さな声が漏れる。
「公爵令嬢も、あんなに……」
「いや、あれは完全に推してるだろ」
「ルーカス、顔真っ赤だぞ」
ひそひそとした声が広がる。
ルーカスは剣を握ったまま、わずかに視線を落とした。
――かわいい。
さっき口にした言葉が、頭から離れない。
(俺が……?)
信じられない気持ちと、少しだけ嬉しい気持ちが混ざる。
だが――
ちらりと王子を見る。
その空気に、すぐ現実へ引き戻された。
(……いや、駄目だろ)
相手は王子の婚約者だ。
それをわかっていて踏み込むのは――
「……」
ルーカスは何も言わず、剣を握り直した。
だが、その手はわずかに震えていた。
***
一方で。
(……まずい)
王子は内心で呟く。
完全に、まずい。
ノアが楽しそうに笑っている。
それが、何よりまずい。
今まで自分の前で見せていた笑顔とは違う。
あれは――
「俺に向けられてない」
ぽつりと零れた。
胸の奥が、じわりと重くなる。
***
ノアは振り向かずに手を振った。
「騎士様ー!」
「ノア、やめろー!」
王子の声が響く。
王子は頭を抱えた。
「……俺の婚約者が、騎士団で推し活している」
一拍。
「……しかも、楽しそうだ」
ぎゅっと拳を握る。
「……絶対に、取り戻す」
今回、ついにノアの推し活が始まりました。
そして、王子はかなり追い詰められています。
「かわいすぎて目が合わせられなかった」
結果、婚約破棄されかけています。
だいぶ重症です。
さらに今回は、ルーカスも巻き込まれ始めました。
ただ騎士団で訓練していただけなのに、
突然、公爵令嬢に「格好いいです!」と言われています。
災害です。
一方でアレクシスは、
「推し活をやめろ」
と言っていますが、完全に手遅れな気もします。
次回も騎士団側を含めて、さらにざわついていく予定です。
楽しんでいただけたら嬉しいです!




