8 . 何の成果も得られないんだけど
ボクは馬鹿かな?
何のために、血族魔法を使おうとしたかも忘れて、ついつい習慣化していたダイモンウォッチングに夢中になってしまった。
しかもそれをダイモンに見つかってしまった体たらく。
反省したボクは、当初の目的である、レムの事件から調べることにした。
調べる場所は決まっている。
学園の敷地内でも最も古びた棟の一角にあるその場所は、埃と古紙の匂いが独特の重さを持って漂っていた。
荘厳な石造りの天井まで届く書架が幾重にも連なり、そこには王国の歴史を刻む膨大な蔵書が眠っている。
貴族や学者でなければなかなか足を踏み入れないような聖域だ。
当然、シャヘル王女が現れればその存在感は圧倒的だった。
「シャ、シャヘル王女殿下!? 本日はどのような御用向きで!?」
カウンターに立つ老齢の司書官が、慌てて深々と頭を垂れた。
普段ここを利用するのは教授か、余程勉学熱心な貴族子弟くらいなもので、しかもそれはほとんど男子ばかり。
ましてや王族の令嬢が、それもシャヘル王女自らが訪れることは皆無に等しかった。
女性の権利が主張されてきている昨今だけど、まだまだ女性が読書や勉強することすら、よくは思われない。
だけど、ボクには王女として相応しい成績を求められ、その割に裏では女として変人だと扱われる。
こんなふうに、好奇と畏怖の入り混じった視線が、遠巻きに集まってくるのだ。
「少し調べたいことがありますの」
シャヘルは悠然と微笑み、淀みない手つきで貴族年鑑の最新版と数年前の版を指定した。
司書官は恭しくそれらを丁重に運んでくる。
個室の閲覧室を案内される前に、「構いませんわ」とシャヘルは言い放ち、ホールの中央に設えられた重厚なテーブルへと優雅に腰を下ろした。
背筋を伸ばし、扇を膝の上に置く。
まるで玉座に座しているかのような風格だ。
周りの生徒たちは慌てて視線を逸らし、息を潜めた。
誰もが彼女の機嫌を損ねることを恐れている。
まずは名前から探すしかないか。
ボクは、革表紙を開いた貴族年鑑のページをめくっていく。
公爵家、侯爵家と続く名簿。
レムという名前はすぐに見当たらない。
レオルド? レノックス? 音は似ているが全くの別人。
旧姓や家紋も一応チェックするが、該当なし。
次第に眉根が寄ってくる。
こんなにすぐわかるような情報なら、ピーノがあれほど大騒ぎするはずがない。
そもそもシャヘル王女が知らない時点で、相当マイナーな情報のはずだ。
「…レム…レム」
心の中で何度か唱えてみる。
どこかで聞いたことはないか?
じゃあ何でアレス殿下は知ってて調べてたんだよ。
しかも何年も。
疑問が疑問を呼ぶ。
年鑑を捲る手が焦れったくなり、パラパラと適当なページに目を通す。
【事故死】
【未解決事件】
そういった項目が目に留まった。
まさかと思い、詳細を読んでみる。
しかし、そこに載っていたのは全く異なる事件の概要だった。
期待した答えはない。
ただ、王族や貴族の間では『不可解な死』が少なくないことが察せられるだけだ。
暗澹たる気持ちになった。
ふと、背後に人の気配を感じた。
振り返ると、数人の生徒がこちらを盗み見ている。
シャヘル王女が人目のある場所で貴族年鑑を熱心に調べているのが珍しく、そして怪しいのだろう。
「…お邪魔ですわね」
シャヘルは妖艶な笑みを浮かべて彼らを一瞥し、再び貴族年鑑に視線を落とした。
しかし、このままでは埒があかない。
シャヘル王女らしくない『粘り強く地道な調査』という行為は、彼女のキャラクターから大きく逸脱していた。
諦めかけたその時、司書官が近づいてきた。
「シャヘル王女殿下。もしやお探しの内容は、少々古い年代の記録かもしれません。現在の年鑑ではなく、過去の史料編纂資料室に何か痕跡があるやも知れませぬ」
その言葉は光明だった。
ボクはシャヘル王女として完璧に微笑んだ。
「それは有益なお知恵ですわ。ぜひ拝見させていただきたいものです」
「ですが殿下、あちらは一般公開されておらず、閲覧には許可が必要となります」
司書官が申し訳なさそうに言う。
王女のボクでも?
と傲慢にも思ってしまうが、実際王族の閲覧できない書物とは何ぞや。
ボクより上の立場…国王陛下ぐらいしかいなくなるが。
ボクは嫌な予感がした。
アレスが昔から知っていて、王女のボクですら許可が必要になるくらいの情報制限がかけられている冊子に、レムの情報がのっていた場合、これは国同士が絡む大事なのではないか。
これ以上詮索するのが正しいのか。
「そうですの。では致し方ありませんわね。せっかくのご親切に感謝いたしますわ。ですが、今日のところはこれまでにしましょう。また改めて参ります」
立ち上がると、周囲の生徒たちが明らかに安堵したように息をついた。
司書官もホッとした顔をしている。
シャヘル王女の靴底がコツリと床を打つ音がやけに響く。
…やっぱり気になるなあ。
教室でのピーノの怯えた顔。取り巻きたちの狼狽。
あれは単なる勘違いや作り話ではなかった。
彼らは真実を知っていて、それをシャヘル王女に告げることの危険性も悟っていた。
アレス殿下もなぜ?
なぜ今更ピーノを使ってまで、レムを探るのか。
ボクはふと思った。
ピーノが『共犯者』ではなく、『囮』あるいは『情報を餌にシャヘル王女を釣るための撒き餌』だったとしたら…。
図書館を出る頃には、すでに日が傾きかけていた。
空気が冷たく澄んでいる。
ボクはシャヘル王女の優雅な歩調を崩さず、しかし内心では重苦しい予感を抱えたまま。
まだ何もわかっていないはずなのに、まるで冷たい手がボクの背筋に触れたかのような不吉さを伴って脳裏に焼き付いていた。




