10年前の王宮庭園にて
夕暮れの王宮庭園。
薔薇の香りが漂う中、小さな影が噴水の陰に蹲っていた。
水晶のような大きな瞳からはとめどなく涙が溢れ、灰色のドレスの膝のあたりを濡らしている。
押し殺した嗚咽。
声を上げて泣けば誰かが気づいてしまう。
ここは少女の秘密の場所。
誰にも邪魔されたくない唯一の聖域だった。
胸が張り裂けそうに苦しくて悲しい。
大切なものを失ってしまった喪失感が小さな身体を締め付けていた。
その時だった。
「…どうしたの?」
柔らかな声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、自分と同じくらいの歳の少年が不思議そうにこちらを見ていた。
見覚えのない顔に、少女は怯えたように身を引いた。
王宮の奥深くにあるこの庭園に、自分以外の子供が入り込むなどありえないはずだ。
「 なんで泣いてるの?」
真っ直ぐな質問だった。
飾り気も遠慮もないその問いかけに、少女は一瞬ぽかんとして、
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
少年はきょとんとした顔で首を傾げた。
少女の謝罪は予想外だったのだろう。
「ごめんって何が? 泣いてたのを見て声かけただけだよ」
少年は一歩近づき、噴水の縁石に腰を下ろした。
二人の間にはまだ微妙な距離がある。
それでも、逃げないこと自体、少女にとって大きな勇気を必要とした。
「だって…」
少女は俯いたまま、ドレスの裾をぎゅっと握りしめた。
「勝手に泣いてたから、ごめんなさい」
「怒ってないよ」
少年は屈託なく笑った。
太陽みたいな笑顔。
「君が泣いてるのが心配だったから聞いたんだ」
少年の笑顔は魔法のように少女の閉ざされた心を解きほぐしていく。
涙はまだ止まらなかったが、不思議と不安は薄れつつあった。
少年はおもむろに立ち上がると、傍らに咲いていた薔薇を一本摘んだ。
棘を丁寧に取り除くと、少女に差し出す。
「あげるよ」
「え…」
少女は呆気に取られた。
王家の庭園の薔薇は手折ることを禁じられているはずだ。
「大丈夫。ここには俺たちしかいない」
少年は屈託なく笑う。
その笑顔があまりにも眩しくて、少女は咄嗟に俯いた。
震える手で受け取った薔薇の香りが優しく鼻腔をくすぐる。
(隠さなきゃ)
少女はじっと薔薇を見つめる。
(見つかる前に隠さないと)
「また来ていい?」
「えっ…」
少年は再び隣に座ると、無邪気な笑顔を向けた。
思いがけない提案に少女の心臓が跳ねた。
この秘密の場所を共有したいと思う人はいなかった。
けれど、この少年には、
「…うん」
小さく頷くと、少年の顔がぱっと輝いた。
「やった! じゃあ明日も来るよ!」
そう言って立ち上がると、少年は、
「じゃあね!」
と大きく手を振り、軽やかな足取りで庭園の小道を走り去っていった。
木漏れ日が彼の背中を照らし、まるで陽炎のように揺らめいて見える。
少女はしばらくその後ろ姿を見送っていたが、やがて手元の薔薇に視線を落とした。
赤い花弁が風にそよいでいた。




