5 . 我が物顔の皇子に苦言を呈したいけど
シャヘルが教室へ向かって歩き出した途端、前方から数人の女生徒たちがこちらへ視線を向けた。
彼女たちは顔を見合わせると、露骨に嫌な笑みを浮かべながら、シャヘルの進路を塞ぐように立ち並ぶ。
「ごきげんよう、シャヘル様。ちょうど良いところでお会いしましたわ」
中央に立つ女生徒、侯爵家の令嬢が猫撫で声で話しかけてきた。
しかし、その瞳には嘲笑の色が浮かんでいる。
「何のご用かしら?」
シャヘルは足を止めることなく、彼女たちを一瞥した。
「いえね、今朝の騒ぎですわ。ルカ様とピーノ嬢のこと。私たちも少々困っておりますの。あの平民の娘が騒ぎ立てるものですから」
「左様ですか。わたくしには関係のないことですわね」
「まあ!冷たいこと」
別の生徒が声を上げる。
「シャヘル様は次期皇妃としての威厳を見せるべきではありませんこと?あの騒ぎを放置していては、殿下の評判に関わりますわ」
ダイモンといい、この連中といい、どうして他人の問題をわざわざボクに押し付けてくるのか。
シャヘルは足を止め、ゆっくりと女生徒たちに向き直った。
その顔には、冷酷な微笑みが浮かんでいる。
「あなた方の心配はごもっともですわ。けれど」
シャヘルはわざとらしいほど優雅に首を傾げた。
「騒ぎを起こした当人がルカ様を巻き込み、更に騒ぎを大きくしたようですわね? でしたら、責められるべきはピーノ嬢ではなく」
そこで言葉を切り、シャヘルは女生徒たちの顔を一人一人見渡した。
「最初に火種を作った人物の方ではございませんこと?」
侯爵令嬢の顔がサッと青ざめる。
周りの女生徒たちも息を呑んだ。
「な、何を仰いますの!?私たちが一体何を」
「あら、何もしていないと?」
シャヘルはくすりと笑う。
「そうですか。でしたら、騒ぎを大きくしたのはピーノ嬢のみということで。わたくしは何も見ていませんし、知りませんわ」
シャヘルはそう言い放つと、再び女生徒たちの間を縫うように歩き始めた。
彼女たちは凍りついたように動けない。
シャヘルの背中に向けられた怨嗟の視線が突き刺さるようだ。
教室の扉に手をかけると、中からピーノの声が聞こえてきた。
「だから、私はただ真実を言っているだけなんです!」
どうやらピーノの騒ぎはまだ続いているらしい。
深いため息をつきながら扉を開けたボクの目に飛び込んできたのは、教壇に立つ教師と、その前で仁王立ちになっているピーノの姿だった。
「あら」
遅刻した?と、シャヘルなら言わない。
ボクは優雅を心掛け、一挙一動見守られながら、教室に入る。
「シャヘル様」
「ごきげんよう、皆様」
シャヘルは完璧な淑女の礼をする。
「授業の妨げになっていますわ。席におつきになったらいかがかしら?」
教師が安堵したように息を吐き出す。
ピーノは何か言いたそうに口を開いたが、シャヘルの冷たい視線に押されて俯いてしまった。
その時だった。
「おい、ピーノ」
低い声が響いた。
全員が声の主を探す。
扉の近くに、アレスが腕組みをして立っていた。
かっこつけ、堂々としてるが、この男も遅刻である。
ボクらはピーノに遅刻を有耶無耶にさせられたことを感謝すべきなのかもしれない。
そもそもの遅刻の原因はピーノに起因する騒ぎからきてるんだけど。
こんなクラスを任せられた先生が可哀想だ。
「昨日の今日で、また騒動か。貴様、少しは反省というものを知らないのか?」
呆れたような物言いに、ピーノが弾かれたように顔を上げる。
「殿下! 私はただ…!」
「言い訳は聞きたくない。貴様のその短絡的な行動が、どれだけ周りに迷惑をかけているか分からないのか?わからないだろうな。分かっていてやっていたとしたらどうしようもない愚者だ」
「迷惑って、私が一体何を!」
「あら、如何に図々しい平民とて、全く心当たりがないなどと、ふてぶてしくもおっしゃらないわよね?」
シャヘルが割って入ると、アレスとピーノの視線が同時に突き刺さる。
ボクとて、こんな悪寒を感じる空間に自分から突っ込むなんて正気の沙汰じゃないことしたくないけど、とちらりとアレスを伺う。
シャヘルの行動として、アレスが関わっていて、何も口を出さず、椅子に座って授業を聞く体勢を作るなんてありえない。
「シャヘル。口を挟むな」
アレスの声は一段低くなり、シャヘルを射抜くような鋭い視線が向けられた。
しかし、シャヘルは眉一つ動かさず、むしろ挑戦的な笑みを浮かべた。
おっしゃる通りにできたら苦労はない。
「あら失礼。ただ、この教室は殿下とそこの平民だけのものではございませんことよ。ピーノ嬢の言動がこれ以上続くならば、授業そのものが成り立ちませんわ。それは殿下にとっても不都合ではございませんこと?」
アレスは一瞬、言葉に詰まったように見えたが、すぐに不愉快そうに鼻を鳴らした。
「貴様はいつも…何でも自分が最善の策を持っていると思っているな。その傲慢さは一体どこから来るんだ」
「わたくしは単純に状況を判断しているだけですわ。殿下は考えすぎではなくて?その威圧的な態度を止めたら、冷静に物事を考えられるようになるのでは?」
シャヘルの容赦ない言葉に、教室の温度が一気に下がった。
生徒たちは固唾を飲んで二人のやり取りを見守っている。
教師はもはや自分の領分を超えたとばかりに、震える手で教科書を開いたまま固まっている。
アレスの眼光がさらに鋭くなる。
「はいはい、そこまでだよ」
落ち着いた、しかしよく通る声。
入口に立っていたのはダイモンだった。
「まったく、殿下、オレを置いてかないでよ。オレが収拾つけてる間にさっさと行っちゃうんだからさ」
「それが貴様の仕事だろう」
「違いますけど!?殿下はオレを何だと思ってるわけ!?大体、今は授業の時間でしょ。まずは授業を優先すべきだね」
アレスはしばらく黙ってダイモンを見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「…分かった。だがピーノ、貴様とは後で話がある」
そう言い残すと、アレスは踵を返して教室を出て行った。
そう、我が物顔だったけど、他クラスなんだよな、アレスは。
張り詰めていた緊張の糸が切れたように、教師は大きく息を吐き出し、慌てて授業を再開する。
「ごめんごめん、お騒がせしました」
さっきまでのアレスとの対峙も忘れたかのように軽薄な態度だ。
ダイモンは悪びれる様子もなく、ヘラヘラしながらシャヘルの隣を通り抜けようとする。
パチリと目が合う。
ダイモンはなぜか狼狽え、少し躊躇ってから、さりげなくボクに向かってウィンクした。
自分でやっておいて、赤面したのが恥ずかしかったのか、足早に教室を出てしまう。
何だったんだ。
ボクはダイモンの赤面が移ったようで、バクバクする心臓が出ないように口を抑えて、固まった。
「アレス様ぁ!」
悲壮な顔で叫ぶ、ピーノに改めて感謝する。
思わず、王女に似つかない、ピーノのように悲鳴を上げるか唸るかするところだった。
バクバクする心臓を必死に制服の上から押さえつけながら、なんとか王女としての体裁を保つ。
「…縛り首にされたくないなら今すぐその口を閉じなさい平民」
必死に平静を装い、教室全体を見渡す。
生徒たちはまだ固唾を飲んでいるし、平民から成り上がった教師は、自分のことじゃなかろうかと、冷や汗を拭いながら教壇に立っている。
ピーノは何か言いたげに口を開いたが、アレスの姿が消えたのを見て諦めたようだ。
心臓の音がいつになく耳障りだった。




