2 . 意味深な言葉じゃなく、説明が欲しいんだけど
噂をしたらというやつだ。
その一声で体が臨戦態勢をとろうとした。
それはボクに流れる血がそうさせているのか、その男を認識するよりも先に体が反応する。
だけど、シャヘルはそんなことしない。
一瞬で体の緊張をほどき、先ほどまではなかった微笑みを浮かべた。
「アレス殿下」
「アレス!」
この子すごい!
ボクだって怖くて、心の中でしかアレス呼びできないのに。
あまりのことに言葉を失くす、まじまじと改めて平民の女の子を見る。
肩まで伸ばした桃色の髪の毛はふわふわとしていて、垂れ目で泣きぼくろまであるし、異性であれば庇護欲をそそるかもしれない。
こんなかわいい子なのに心臓はマッチョ。
ボクとは大違いだ。
腰まで伸ばした紫色の髪の毛が視界に入る。
紫は高貴の色と呼ばれ、カナン国の王族である象徴の一つだ。
それに気の強そうな目つきと薄い唇と、細身の体形。
気にはしていないが、平民の女の子の豊かな胸と腰つきを見る。
遺伝子とは時に残酷である。
「ピーノ」
婚約者よりも平民の女の子に反応する皇子にも驚きである。
噂には聞いていたが、ピーノという女の子の手腕は見習いたいものがあるな。
といっても皇子に好かれるのも、背筋がぞっとする。
軍属にした方が良いのではないかと皇帝にも言われるほど、肉体派であり、建前の身分を取っ払っても、実力で皇位をとれると言われるほどの根っからの凶ぼ…悪ら…思考ですら、悪口は言えない…。
大体筋肉もある巨体で、しかも初陣を7歳で済ませ、反乱分子を自らの手でつぶしてきた実力者で、本当に17歳だよね?そもそも人間だよね?
美形だけど、人を殺せる鋭い眼光と、人の血を浴びたせいで赤くなったと言われる髪の毛が相まって、異国の物語にある鬼を連想させるのだ。
もちろん、戦闘だけでなく、頭も切れるし、常識も持ち合わせているので、苛立ってもシャヘルに手を上げたことは一度もない。
ないが、視線では何度も締め上げられている。
今も、とボクが視線を向けると、温度の感じられない雪国の冬のような寒々しい目と目が合ってしまう。
「シャヘル、貴様何をしていた」
「あら、ご挨拶ですこと。仮にも婚約者に向かって、貴様呼ばわりですの?」
ボクの怯えも何のその、シャヘルの強気な態度は尊敬に値する。
これだから、猫というか虎を被るのをやめることができない。
皆から望まれる像を演じ続けた結果、作り上げられたシャヘルという仮面の完成度は異様に高い。
二重人格を疑うほどだけど、王女であるシャヘルならこうするだろうなと想像してボクが動いているから、シャヘルに意思はない。
いわゆる一種の内弁慶の亜種なのだろう。
それだとただの弁慶か。
猛禽類と猛禽類の縄張り争いのような体をなしてきた。
実際歴史的にもボクたちは対立関係にあるわけで、だからこそ、カナン王族との婚約が必要なわけで、それにはアレスも納得していたはずだ。
それがどうだ。
編入生で平民のピーノに会ってから、アレスは変わった。
出会ってから一か月も経っていないはずなのに、アレスやピーノ周辺のごたごたは様々な媒体で噂されている。
今回もその噂の一つになるんだろうな。
国が関わるから、ボクとアレスは下手に対立しない方がいいんだけど、どうやったってシャヘルとアレスは対立してしまう。
人には相性というものがあるから仕方がないんだ。
「アレス、この人が女の子を泣かせていたの!」
アレスはピーノの指の先、床に座り込む女を見遣る。
呆然としているその顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで悲惨だが、アレスに見つめられた瞬間、体をビクッと震わせ、頬を紅潮させる。
そして夢見るような、期待するような眼差しをアレスに向けた。
「平民ごときが慣れなれしいぞ!」
「その女が悪いのよ!」
野次を飛ばす観客は完全に無視である。
ボクたちを止めたり、話に入ってはこれないので、本当野次を飛ばすだけだ。
君ら何のためにいるの?
「誰だ」
「あ、あれしゅでんか、わ、わたし」
「不細工な顔だ」
その一言で、女は期待から一転、絶望へと変貌する。
あ、アレス?
こいつ、本当に空気読まないし、悪意がないのが恐ろしい。
ストーカーされてたから暴言を吐いたわけではない。
というかアレスは自分がストーカーされていたなんて気付いてもいないだろう。
自分の興味のあること以外は無関心な奴だからな。
単純に鼻水と涙で汚かったんだろう。
だけど言葉選びというものがあるだろ?
「アレス!女の子にブサイクなんて言っちゃダメ!」
鋼の心臓のピーノの強さに慄く。
ピーノはそう言って、ストーカー女の正面に座り込み、懐から取り出したハンカチを差し出した。
すると、女は自分より身分の下の平民に同情されたこと、その平民が自分よりアレスと親し気なこと、諸々のことが積み重なり爆発したように奇声をあげ、平民に襲いかかる。
やめて!というピーノの声も耳に入らないのか、ピーノの髪を掴み、頬を叩く。
突然のキャットファイトに思わずドン引きする。地獄絵図だ。
アレスが何とかしろよと思うが、ピーノの傍に行くわけでもなく、静観の構えで腕を組み、無言でじっとこちらを見つめている。
何でこいつ他人事なの?
もしかしてこっちを見ているってことは、ボクに仲裁しろって暗に言いたいの?
これだから皇子という奴は手に負えないんだ!
いつもいつも自分は何もしないで人をこき使うんだから!
平民を溺愛していると噂されて、当社比親し気な様子を見せているのに、惚れた腫れたにしては熱を感じない。
冷静を通り越して冷徹だ。
違和感しか感じない。
だが、こき使われているようで癪に障るけど、この場を収めることを考えよう。
「わたくしの親切も無駄だったようね」
とりあえずピーノは後回しにして、ボクはストーカー女に話しかけた。
ピーノとの取っ組み合いで聞こえないかと思ったが、女はすぐにシャヘルの声に反応し、顔を真っ青にさせた。
「差し出しなさい」
「い、いやっ…いやぁぁぁぁああああ!!!」
王家には固有の血族魔法というものがある。
王家と言っても、神話時代までに遡る古の血筋を持つ王家に限るけど、だから新興の国々は血族魔法持ちの王家の血を欲しがり、果ては戦争に行きつきもする。
まあ戦争の話は今どうでもいい。
受け継ぐ人間は世代を経るごとに少なくはなっていったけど、それでも子どもが何人かいれば一人ぐらいは血族魔法を受け継いでいたりする。
だからこそ、ボクは第三王女でありながら、第一皇位継承者であるアレスの婚約者として選ばれた。
ボクは制服につけている記章を外す。
記章は貴族と平民を分けるだけでなく、血族魔法にも使えるから便利だ。
血族魔法を行使する人間にしか見えない書面が浮かび上がる。
記章のピンで、人差し指を刺し、浮き出た血で宙にボクの名前を署名する。
ボクの名の下に、【閲覧の権利】を行使。
古から伝わる王家の書面から、臣民は逃れる術はない。
王族が差し出せと言えば、下の人間は差し出すのだ。
それが、カナン国の血族魔法第五階位【法使】の起動術式である。
ボクは書面上に記載されている女の《名》を薄めた。
法と呪縛によって、ボクは本来の力を制限されている。
書面の変更には何か月もかかる審議が必要とされ、その審議によって可決されれば、同じ血族魔法を扱うカナン王族たちの承認術式によってボクの力の制限が解除される。
もちろん、ボクだけでなく血族魔法を受け継いだ王族たちは皆同様な制限をされている。
今のところ、血族魔法を受け継いでいるのは、国王と次期国王となる第一王子、そしてボクの三人だけだけど。
ちなみに、この血族魔法の私的行使は重罪である。
魔法の行使は制限されているので私的行使しようとしてもできないのだけれど、何にでも抜け道はある。
大勢の前で大っぴらに私的行使はできないが、見るだけならできるのだ。
ただ、ボクは見ただけ。
文字が濃すぎて見辛かったから、文字を調整しただけ。
「何をしたの」
騒いでいた女は力を失ったように目をうつろにして床に座り込んでいる。
どことなく存在感が薄れているかのようだ。
名は体を表す。
相手の迷惑も考えないストーカーは、相手への愛情が深いわけじゃない。
自己愛が強すぎるのだ。
だから自己を少し薄くしてあげれば、この通り、皆大人しくなる。
ピーノはその女の変わりように、犯人がボクだと思ったのか、恐怖に歪んだ表情でこちらを振り向いた。
でもシャヘルは答える義務がないので、ピーノを無視して、アレスに近付く。
「婚約者に近付く虫を追い払うのも仕事のうちですから、感謝なんていりませんわ。もちろん、それでも毎回わたくしの手を煩わせることに対して感謝を表明したいのであれば、お止めはしません。
あら、そういえば、アレス殿下に付き従っている…誰でしたかしら?
虫を追い払うことすらできずに、周囲に失笑をもたらしている愉快な方。
申し訳ないのですがわたくし覚える価値のない名前は覚えれませんの」
アレスは返事をするのも面倒そうに口を開く。
「俺が貴様に教える意味も、貴様が覚えている必要もない」
は、腹がたちますわ~!!
必要はあるでしょ!
シャヘルは皮肉で言っただけで、本当に覚えてなかったら貴族としても王女としてもやばい。
特に金魚の糞のようにアレスに付きまとっているダイモンは親族も有能な軍人一家の辺境伯の子息な上、アレスの幼馴染ということで、婚約者として把握する必要があるし、既に何度も顔をつきあわせている。
それで覚えていないだなんて言ったら、記憶力に問題がある。
しかし、ダイモンは本当に何をしているんだ?
皇帝直属の皇帝騎士団を目指しているため、士官学校ではなく、この帝校に入学したダイモンはアレス信者だ。
皇帝騎士団と帝国軍、求められる役割が違うからどちらがいいとか悪いとかは言えないけど、花形はイケメン揃いの皇帝騎士団だから人気は高い。
ダイモンは次期皇帝のアレスのために皇帝騎士を目指しているんだろうけど、おそらく皇帝騎士団に入団したがる一定数の理由には女の子にモテるからというものもあるんだろうな。
他国の式典にも出席するし、他にもお金が絡む様々な理由で皇帝騎士団には見栄えの良さが必要とされる。顔の審査も含まれるという。
「もう、お二人さん冷たくない?オレたち幼馴染じゃん?」
ダイモンの登場に廊下のモブ女子たちが黄色い声をあげる。
ヘラヘラ笑って手を振るダイモンは、皇帝騎士団の一定数いる軽薄そうなイケメンそのものだ。
だけど、ボクはダイモンがクソがつくほど真面目で身持ちが固いことを知っているし、アレスもだからこそ貴族たちから差し出された大勢の友人候補たちの中からダイモンだけを選んだ。
ダイモンの本質は、一途で、忠臣者。
悪く言えば変態的なまでの執着心の持ち主。
「誰が幼馴染だ」
「わたくしは違いますわ」
「姫の冗談面白い~!」
何も面白くない。
ダイモンの笑いのツボが昔からわからない。
類は友を呼ぶと言うか、アレスも奇抜な友達を持つものだ。
「殿下ひどくない?オレずっと昼飯我慢して待ってたのに、殿下は可愛い女の子たちを侍らせてるなんてさ」
「可愛い?」
そこ疑問に思うところ???
少なくとも常識的な美的センスの持ち主だったら、美少女だと思うぞ。
アレスが貴族至上主義であれば、いくら平民が美少女でも石ころでしかないのかもしれないけど、アレスが貴族至上主義者だったらそもそもピーノを侍らせるわけないし。
それに、シャヘルだって、中身はともかく外見だけなら可愛…美人…整ってはいるよ。
「ダイモン様!」
なんでダイモンは様付けで、アレスは呼び捨てなんだよ。
大胆な子だ。
ダイモンに抱き着くなんて、周囲のどす黒い悲鳴が聞こえないのか。
「よしよし、子猫ちゃん泣かないで。一体どうしたの?」
「この方が…この方がひどいことを」
震えるようにボクを指さすピーノ。
まるでボクが加害者のようだけど、元凶はストーカーしてた方だし、ピーノは何もされてない第三者で、ただ首をつっこんで場をかき乱しただけじゃん。
「あらら~、姫またやらかしたの?」
「人聞きの悪い。名誉棄損で訴えようかしら」
「もうっ!幼馴染の可愛い冗談じゃん!」
「わたくしを幼馴染だとおっしゃることが名誉棄損に含まれるのだと気付いていて?」
「ひどっ!そんなにオレと幼馴染なの嫌なの?」
「嫌どころではありませんわ。ねえ、アレス殿下」
「もう、殿下も言ってよ!オレたちは仲良し三人組だって!」
その三人組の構成要員は一体誰が含まれているんだろう。
「隠し事をする輩と仲など深められるわけがない」
また、意味深なこと言って…。
アレスはあまりしゃべる方でないから、言葉が足りなかったりする。
もっと人に説明するように話してくれないかな。
それに人間誰だって隠し事の一つや二つあるでしょ?
そんな調子じゃ、誰とも仲など深められない。
まさか、だから、アレスの友達少ないの…?
皇子として社交の場では付き合うけど浅く広くで、いつまでたってもダイモン以外の親しい友達を作らないのは、どの貴族の肩も持たない、贔屓をしない王になるため…そんなわけないか。
やめよう、ブーメランだ。
友達のいないボクの言えたことじゃない。
「隠し事とは何ですの?わたくしに隠すことなんて」
「貴様ははぐらかしてばかりだな」
アレスは鼻で笑った。
「何を企んでいるのかは知らんが…俺がその企みごと貴様を握りつぶしてやる。
貴様がレムにしたこと、全て償ってもらうぞ」
そう言って、待ってよ!と呼び止めるダイモンとピーノを無視して去っていく傍若無人っぷり。
何だったんだ。
騒動を見守る観衆たちもようやく終わったイベントに、解散の雰囲気を醸し出し、遅れてやってきた自治会の下っ端どもがこちらを伺いながらもストーカー女を連れていく。
当事者の身分が高すぎて、下っ端ではボクらに事情聴取もできない。
だから万が一の希望を持ち、事情を気まぐれでも話してくれないかな?とちらちらボクを見ることしかできないのだ。
面倒だから、ボクはそれを無視して教室に戻るけど。
それにしても、アレスが言ってた言葉は何だったんだ?
企みって確かにシャヘルにお似合いの単語だし、そう疑ってしまう行動をとるシャヘルが悪いんだけど、それよりも何よりも気になることが一つ。
レムって誰?




