1 . 外弁慶のボクが婚約者に嫌われてるんだけど
今日も今日とて、この学園は騒がしい。
帝都第一高等教育機関。
帝国属国貴族平民問わず、実力のみで入学試験を行い、民族も身分も問わない完全実力主義の弱肉強食…が、理想であった帝国一の教育機関である。
結局身分社会は学園生活でも続くし、続くのだったら最初から平民と貴族を分ければ無駄な争いもなかったのに、と事なかれ主義のボクは思うのだった。
「ちょっと、待って!その子に何をしているの!」
意志の強い子だ。
こんな人目のあるところで、制服の記章から判断するに平民の女の子が、貴族に声をかけるどころか、怒鳴りつけるなんて、正義感から口を挟んだろうけど、ボクには決してできない。
身分社会は生きにくい。
かといって、その身分社会の恩恵を受けているボクには文句を垂れる資格はない。
平等を謳っている学園内だって、身分社会からは逃れられないのだから、救いがない話だね、まったく。
「あら、もしかしてわたくしに吠えているの?躾のなっていない犬ね」
毎朝の使用人たちの苦労を推し測れる紫色の髪の巻き具合には警告色を持った生物が威嚇してるようにしか見えないし、意思と我の強さが見てとれる鋭い目付きは猛禽類を思わせ、薄い唇には真っ赤な口紅で嘲りが塗られている。
口元に手を当てて高笑いが似合いそうランキングで首位をとること間違いなしのプライドの高さや傲慢さ。
典型的すぎるほど典型的な、貴族を象徴し、貴族を束ねる存在である高貴の一族。
カナン国第三王女、シャヘル・カナン・ポイニーケ・ヒュブリス・ウェヌス。
この名前の説明も歴史が絡んでくるので名前同様に長くなる。
とりあえずそれだけ歴史も古く、高貴な血が流れているわけだが、本当、この子、よく話しかけれたよね?
常識から疎い平民だから話しかけられるの?
「黙れ平民!」
「平民の分際でシャヘル様に話しかけるなんて!」
普段はシャヘルの地位や性格を怖がって近付いてこない貴族たちも、ここぞとばかりにシャヘルの味方をし、平民を罵倒する。
これを機にシャヘルに気に入られたらいいな、何か話すきっかけを作れれば、という魂胆が透けて見える。
単純すぎて可愛くすら思えてくるけど、シャヘルはここの誰ともなれ合うつもりはない。
下位貴族の知り合いはシャヘルの地位には逆に邪魔にもなるから、シャヘルが下位貴族と仲良くすることはないだろう。
人通りの多い廊下は嫌なんだけどな。
周囲もそう思ってるだろう、迷惑極まりない。
そもそも、シャヘルを恐れて、教室から出てしまった女が悪い。
そのままどこかに逃げればよかったのに、教室から出たところで腰が抜けて座り込んでしまったから、ゆっくりと歩いてあげたのにシャヘルは女に追いついてしまった。
だから、シャヘルは女の頬を、持っていた扇子で叩くしかなかった。
「人を犬呼ばわりだなんて最低!この学園ではすべての人間に平等を約束されているのに、その子を叩いたり、暴言を吐いたり、あなたこそ、分をわきまえてないわ!」
「ええ、もちろん、人間には、ね。
わたくしはあなたたちが自分を人間だと勘違いしていることに驚いているの。
この名誉ある学園に足を入れたということは、犬は犬なりに考えることができるものだとばかり思っていたのだけれど、それもわたくしの過大評価だったみたいですわね。自身の愚かさを表出したいというのならお好きになさったら?」
「犬ですって?!なんてことを言うの!だったら、あなたは犬と同じ学園に通っていることになるのよ!」
「わたくしたち人間にいろいろな生物の命の尊さを学ばせるための処置だと思っていますわ。
吠えるばかりの犬は臆病という書籍の教えが正しいことも今回で理解できましたし、この学園には様々な刺激があり、知的好奇心をくすぐられますわね」
周囲の貴族たちのバッシングも何のその、二人の世界である。
本当にここが二人だけだったらよかったんだけど、とボクはその後にあるだろう騒動を予想して憂鬱になる。
どちらにも言えることだけど、そこまでにしておいた方がいいんじゃないかなあ?
だって、平民の子に見覚えがあった。
今日が初の顔合わせだけれども、悪い意味で有名なのだ。
《悪女》
彼女についたあだ名は数えきれないけど、一つでも十分に彼女の置かれた状況を説明できた。
転入して、たった一か月でここまで嫌われるなんてなかなかできることじゃない。
ようするに貴族連中は、平民の彼女が王族や位の高い貴族の男性たちに話しかけられて、ちやほやされているのが嫌なのだ。
中には婚約者のいる男性もいるのだから性質が悪い。
だけれど、政略結婚である婚約者を愛せない男性だっているだろうし、婚約者の方だって愛なんて鼻で笑ってしまうほど存在しているのか怪しい。
貴族男性は妾がいる奴だっているし、国王なら一人や二人どころじゃなく、後宮がある。
それを理解している貴族の女性たちが恐れているのは、自分がその立場に堕とされることなのだ。
正妻として平民の女が自分たちの上に立つということを、貴族の女性たちは恐れ、それが排除の方向へ、攻撃性へとかわる。
貴族の女性じゃなくたって、人間であれば誰だってそうなんだろうけど、二位じゃダメなのだ。
ちなみに、ボクは二位でもいいし、最下位でも構わない。
構わなくないのは、ボクじゃない、シャヘルのほうだ。
国だって許しはしない。
第三王女ではあるが、国を背負っているのだ。
神話と呼ばれる時代から世界を築き上げた古の氏族の血脈が流れているのがカナン王国だ。
帝国に併合されているものの、国家として自治を許されているのは、それだけの意味がある。
第一皇位継承者の婚約者という立場には、その地位に相応しいだけの権力がある。
第一王女ではなく、第三王女が婚約者になったのも、それだけの才能をシャヘルは備えているからだ。
まあ、第一王女はとっくのとうに政争の駒として、王国内の有力貴族に嫁がされたから、さすがに婚約者の数にはいれれなかったろうしな。
「もういいですわ。犬にかかわずらっている時間がもったいない」
そう、シャヘルが言うと、反応したのはそれまで床に伏せるようにして泣いていた女の方で、慌てて顔を上げる。
涙と鼻水で顔面がぐちゃぐちゃなんだけど、女の子として大丈夫?
「ゆるじでぐだじゃい」
みっともないと思ったのか、ボクは思っていないが、再びシャヘルが女の顔面に向かって扇子を投げる。
「口を開いても良いなんて命令していないわよ」
それでも、這いつくばるようにじりじりと近付いてくる女は続ける。
「あやまります、あたじが、もうじわけありませえ」
折れない心の強さには拍手を送りたい。
ここまで謝っているんだから、許してあげればいいとは思うけど、シャヘルはたぶん許さないんだろうなと長年の付き合いのボクにはわかっていた。
シャヘルは、女の濡れた、醜い顔に近付き、優しく諭してあげた。
本来の王族としては考えられない態度だ。慈悲深いなー。わざわざ膝を折って、目線を合わせてくれるなんて、優しいなー(遠い目)。
平民に近い感性を持って産まれてしまったボクからすれば他の貴族と王族の態度がひどすぎるだけなんだよな。
それが高貴な振る舞いというものなのだから、ろくなもんじゃない。
「何を謝るの?わたくしに恥をかかせたこと?
犬にまで対等に話をさせた屈辱を与えるきっかけを作ったこと?
それとも、自身の身分もわきまえず、アレス殿下につきまとったこと?
あなたが謝る必要なんて一つもないのよ?
だって謝ってすむことではないのですもの」
ボクはアレスを如何とも思ってないけど、一応婚約者だから、勘違い甚だしい妄想ストーカー女に対して反応しないなんてありえない。
悩みものだけど、こういう場合は人前で大事にして、女の社会的立場を潰した方が手っ取り早い。
アレスは顔もいいし、剣術も魔術も人並み外れた才能があるし、神様はイケメンに優しいって本当だったんだ…って空笑いしか出てこないぐらい超人だ。
恋愛小説に出てきそうな理想の皇子様。
そんな奴が同じ学校に通っていたら、そりゃ女の子は勘違いするだろうね。
でも、婚約者であるシャヘルも自分で言うのも何だけど、きつめな顔つきだけど美人だし、王族特有の血族魔法も持っていて、頭も良い。
しかも外見通りに性格が苛烈で怖い。
そのシャヘルがアレスの婚約者なので、女子生徒たちは夢を見ることすら怯える。
トラウマ製造機か何かかな?
それでも時々、この女のように図太い人間もいるようで、仕方がないのでシャヘルが釘を刺してあげるのだ。
これも温情。
学園内の社会的地位は潰すけど、学園外まではボクは手を回さないし、警備にすら突き出していない。
さすがにシャヘルの立場で学園外で排斥なんて大事になってしまう。
まあ、ボクが手を回さないだけで、それを見ている他の貴族たちのことは知らないけど。
今まで何人かいたストーカーたちが皆学園内外から姿を消しているから、退学だけで済まなかったんだろう。
そのこともこの女は知っているんだろう。
でもどうしてかストーカーたちは自分はストーカーじゃないと思いこんでいるから、同じ事件を起こす。学習してほしい。
ボクだってこんなことしたいわけじゃない。
だけどしなきゃいけないから、そういう立場だからしているだけだ。
アレスがストーカーされたんだから、アレスが対処しろよ、何でボクなんだよ。
大体アレスは皇子のくせに無駄に心が広いんだよ。
褒めているんじゃない。
だから、こういう勘違い女がストーカーしても放っておく。
一定距離からずっと見つめられてても、周囲の視線に慣れきっていて、何とも思わないし、私物を盗まれても物への執着がないから買えばいいと思っている。
ストーカーたちから話しかけられても無視はするが周囲にいても気にしないし、さすがに体に触ってきたらアイアンクローかましてたけど。
アレスの取り巻きも取り巻きだ。
女の子に手を上げられないからって、嫌な役目は全部ボクに押し付けるんだから。
女の子たちはそれを優しさだってちやほやするけど、そんなの優しさじゃない、ずるいだけだ。
「そこで何をしている」




