13 . 好感度は地に落ちたけど
帝都第一高等教育機関では、廊下のあちこちに華やかな飾り付けが始まっていた。
薄紅色のリボンが柱を彩り、窓辺には季節の花々が美しく活けられている。学園全体が浮き足立っているのが肌で感じられた。
「もうすぐだね」
ダイモンが傍らで呟いた。
彼の視線もまた、煌びやかな装飾品たちに向けられている。
年に一度、学園主催で行われる大規模な社交パーティー。
今年は特別に、帝国と王国の友好を祝う意味合いも強く盛り込まれている。
代表者が招かれ、華やかな衣装を纏い、ダンスを披露する。
建前上は両国の若き世代の交流の場、というわけだ。
「ダイモンは参加するの?」
「学生だけど一応側近兼護衛官としてね、殿下の側にいるよ」
「すごいね」
ダイモンは辺境伯の生まれで、幼い頃から第一皇子付きとして、その身一つで帝都にやってきた。
隣国との国境である辺境の地を任せられるために、幼い頃から皇子と共にし、忠誠心を強く育てる目的がある。
今はまだ両親もご顕在なので、帝都で夢である皇帝騎士団に入り、実績を積むことになるだろうが、いずれは辺境を継ぐ。
その頃には、ダイモンもボクも結婚し、子どももいるだろう。
今ダイモンに婚約者がいないのが不思議なくらいで、いつできたっておかしくない。
そしたら、こんな風に話すこともなくなるのだと思うと、心にポッカリ空いた穴から心臓がこぼれ落ちそうな気持ちになる。
でも、仕方ないのだ。
ボクは王女なのだから。
王女でないボクは存在しない。
「姫はアレス殿下と一緒に参加するんだよね」
「…うん」
憂鬱を隠せず、俯く。
自分を憎んでそうな相手と、パートナーとして時間を過ごさなきゃいけないなんて。
仕方ない仕方ない。
どうせ、ボクを好きになる人間なんていないんだから、アレスじゃなくたって誰だって同じだ。
帝国の皇子との関係を対外的にアピールするのが、王女の務めだ。
「…楽しみだね」
その言葉の裏にどんな意味が込められているのか計りかねて、ボクは曖昧に微笑むだけに留めた。
アレスと顔を突き合わせる時間が?
舞踏会という堅苦しい拘束が?
それでも、ダイモンが憂鬱なボクの気分を少しでも、軽くしようとしてくれる心遣いは感じる。
ボクはダイモンに感謝しながら、口を開こうとして、
「楽しそうだな」
アレスだった。
ボクとダイモンを交互に見ながら、皮肉げに口を歪める姿に、漏れそうになる溜息を飲み込む。
「貴様も出席するんだな」
もちろん、君のパートナーとして、と言おうとしたけど、当たり前のことだったからやめた。
ボクが出席しなかったら、困るのはアレスだろ。
ボク以外の人間と出席しようものなら、少なくともゴシップ誌は盛り上がるだろうし、最悪国家間の問題になりかねない。
ただでさえ、不仲で有名なのだ、ゴシップにこれ以上餌はいらない。
「せいぜい醜態を晒さないようにしろ」
アレスはボクに向けて嫌味な笑みを浮かべると、ダイモンに向かって言った。
「ダイモン。当日はいつも以上に気を引き締めろ」
「承知いたしました」
「おい」
立ち去ろうとするアレスがボクにだけ聞こえるように低く言った。
「貴様の余裕そうな顔を見てると虫唾が走る。その澄ました表情がいつまで続くか、楽しみにしておく」
そう言い残し、アレスは踵を返して闊歩していく。
言うだけ言って帰っていきやがった。
その程度の話題だったら、わざわざ来なくてよかったのに、ボクを不快にさせるためだけに来たのか?
「殿下は何か言ってた?」
ダイモンが心配そうにボクの顔を覗き込む。
その優しい瞳を見ていると、先ほどまでの刺々しい気分が嘘のように和らいでいくのを感じた。
「ううん」
ボクは首を横に振った。
「大したことないよ」
パーティー当日。
重厚な扉の向こうからは早くも管弦楽団の演奏と談笑の喧騒が漏れ聞こえてくる。
ボクはビロードのように深い青色のドレスに身を包んでいた。
金糸を星屑のように散りばめたデザインは華やかだが、今のボクの気分には些か不釣り合いだ。
鏡に映る紫水晶の瞳は今日も冷ややかで、感情の起伏を欠片も映していない。
控え室で待っていたのは案の定アレスだった。
彼はダークグレーの正装に身を包み、いつもの厳格さが幾分か柔らかい印象だが、その瞳の鋭さは変わらない。
「準備は万全か?王女様」
その声には隠しきれない揶揄の色が滲んでいる。
「ええ、殿下。お待たせいたしましたわ」
ボクは完璧なカーテシーを披露し、上辺だけの微笑みを浮かべた。
「それにしても殿下。この度の衣装もまた素晴らしいご趣味ですこと」
「貴様ほどではない」
アレスは鼻で笑った。
「夜の帳に紛れるつもりか? 誰かを毒牙にかけるつもりで?」
棘のある言葉に付き合う気にもならない。
「殿下こそお疲れにならないよう、ほどほどになさいませ」
その一言がアレスの眉間に深い皺を作ったが、彼はすぐに嘲るような笑みを浮かべ直した。
「心配無用だ。貴様が醜態を晒さぬよう見張らねばならんからな」
そう言うと彼は無造作にボクの手を取り、エスコートの姿勢を取った。
エスコートされるままに、会場へと向かう。
扉の先では、眩いシャンデリアの光と熱気。
瞬く間に多くの視線が集まってくる。
カナン王国第三王女と帝国第一皇子という組み合わせに対する興味と好奇心。
好奇の目は好意的なものもそうでないものも含まれている。
アレスによって、ホールの中心へと導かれる。
ファーストダンスは逃れられない運命だ。
オーケストラの奏でるワルツが始まる。
ボクは仕方なくアレスのリードに従いステップを踏み始めた。
彼の動きは洗練されているが、その瞳にはボクを品定めするような探る光がある。
「噂はここまで届いている。王家のこともな」
不意にアレスが囁くように言った。
周囲には聞こえない声量だが、その内容は毒針のように尖っていた。
「殿下のお耳汚しにならなければよろしいのですが」
「構わん。むしろ貴様にしては面白い」
そう言って彼はクックッと喉の奥で笑った。
「貴様の演技力には恐れ入る。あれほどの修羅場を潜り抜けながら、顔色一つ変えぬとは」
「さて、演技とは何でしょうか?修羅場と言われましても」
「惚けるな」
アレスは獰猛な笑みを浮かべて、
「貴様が殺されかけたのは何回か答え合わせをするか?」
「0回ですわ」
ボクは即答した。
「あの人たちはわたくしを絶対に殺せませんから」
解放された瞬間、ボクは気づかれないように深く息を吸い込み、人波に紛れ込んでバルコニーへと移動した。
冷たい夜風が火照った頬を撫でていく。
「姫」
背後から静かな声がかかり振り返ると、ダイモンがグラスを持って立っていた。
「お疲れ様、どうぞ」
差し出されたのは果実水だった。
「護衛は大丈夫なの?」
ダイモンは首をすくめて、
「そのアレス殿下から直々に、他の護衛もいるから姫を見張れって言われてね」
ダイモンにしては珍しくどこか投げやりのようだった。
最近ボクの側にいるのが多いのは、アレスからの命令なんだろうか。
それならボクは、ダイモンには悪いけど、アレスに感謝すべきだろうかと悩みながら、グラスを受け取る。
「ありがとう」
一口飲むと爽やかな甘みが喉を潤した。
眼下には煌びやかな街灯が宝石のように散らばっている。
あの中のどれかが明日をも知れぬ人間の営みだとしても、上からは美しい景色にしか見えないが、
「…なんだか息苦しいね」
思わず零れた本音にハッと我に返る。
こんな弱音を吐く資格など自分にはない。
しかしダイモンは何も言わず、ただ静かに隣に佇んでいた。
ダイモンとバルコニーの冷たい夜風に身を委ねていると、背後でカチリと金属音がした。
振り返ると、不機嫌そうな顔つきのアレスが立ち、腕を組んでいる。
「勝手にフラフラするな」
「申し訳ありませんわ。少々夜風に当たりたくて」
ボクは平静を装って答えた。
アレスはふんと鼻を鳴らすと、無言でダイモンを一瞥し、再びボクに視線を戻した。
その瞳には何か別の感情、苛立ちか不安のようなものが混じっているように見えた。
「…これは何だ?」
唐突にアレスは短くそう言うと、ポケットから一枚の羊皮紙を取り出し、ボクに突きつけた。
それは温室の詳細な見取り図だった。
「貴様の部屋から見つかった。温室のものだな。なぜ貴様が持っている?」
「この前調査した時のものですわ」
「嘘を吐くな!」
アレスの声が急に大きくなり、近くの招待客数人が何事かとこちらを振り返った。
彼は冷静さを失っていた。
彼が探らせていた密偵が、ボクの部屋からこの設計図を見つけたという。
「この設計図は公には公開されていないはずだ。 王国の施設に関する極秘資料はな。それを貴様がなぜ持っている」
「あー! いたー! シャヘル様!」
甲高い声が響き渡った。
振り返ると、派手なドレスのピーノが数人の取り巻きを引き連れてバルコニーに乗り込んでくるところだった。
平民のはずなのに、誰が招待したのだろうか。
「ピーノか、なぜここに」
アレスが警戒の色を滲ませ一歩前に出た。
自分より興奮しているものを見ると、冷静になる法則だろうか。
「レムが殺された件のことよ!あの夜、温室にあんたが入っていくのを見たって使用人がいたわ! しかも護衛はあんたのお気に入りの護衛官だって! ねえ、どうよ、これが証拠でしょ!!」
ピーノは狂気を宿したように笑っている。
異様な様子に、取り巻きたちも戸惑っている。
最初に編入した際は、こんな女性じゃなかった。
ボクから見ても、少し魅力的に感じる女性だったのに、たった数ヶ月で何が彼女をここまで狂気に走らせたのだろうか。
権力欲?自己顕示欲?正義感?
それだけでは説明できない。
歪な身分社会の犠牲になったのか。
婚約者のいる貴族令息たちに物珍しさからチヤホヤされても正妻になれない現実。
トロフィーのような記念品であって、学園生活が終われば、捨てられてしまうかも知れない。
愛を囁きながらも、誰もピーノに愛を信じさせることができなかったんだろうか。
アレスも悪い。
皇子に目をかけられて、舞い上がっただろうに、夢だけ見させて、使い捨ての駒のように使った。
もう用済みだと言わんばかりに、ピーノと接触を絶てば、ピーノが捨てられたと学園でも噂になるだろう。
そんな噂のある女性と婚約するだろう男がいるか。
そもそも侍っている高位貴族は愛人にする気しかないのに、結婚できるはずのピーノの身分に釣り合う相手を寄せ付けない。
悪女だと誰かがピーノを噂したけど、一体誰が悪だったんだろう。
ピーノももちろん性格悪いから、ボクはピーノ嫌いだし、断罪されてるボクがピーノを哀れに思う立場じゃないかもしれないけど、少なくともピーノだけが悪いわけじゃないのに、取り巻きたちとアレスのピーノへの態度に苛立ってしまう。
責任も取らない貴族の恋愛ゲームは楽しいか?
「ピーノ嬢、 これは正式な捜査手続きを無視した暴挙だよ、落ち着いて」
ダイモンがピーノの前に飛び出し、その腕を押さえつけた。
ダイモンの剣幕にピーノは怯んだが、なおも喚き続ける。
「邪魔しないで!」
「邪魔をしているのは貴様だ」
アレスの声が雷鳴のように轟いた。
彼は憤怒に燃える目でピーノを睨みつけた。
「帝国の皇太子がいる場で、同盟国の王女を公然と侮辱し、あまつさえ冤罪を被せようというのか!」
どの口が!!!?
アレスの言葉にピーノは一瞬言葉を失った。
ボクも言葉を失ったよ、断罪劇を主導していたのはアレスだっただろ。
周囲の招待客たちの視線も変わり始めている。
疑惑の目から、ピーノへの非難の目に。
アレスはボクに視線を移し、すぐに毅然と言い放った。
「シャヘル王女! 貴方への嫌疑は私が預かる! 後日正式に帝国から王国に問い合わせる! それまでは大人しくしていろ!」
そう言うとアレスはピーノの襟首を掴み、
「来い!」
とバルコニーから連れ出した。
ピーノは抵抗しながらも喚き散らしている。
取り巻きたちは慌ててその後に続いた。
嵐のような騒動は収まったが、バルコニーには重苦しい沈黙と、ボクへの疑惑の視線だけが残された。
ダイモンが心配そうにボクの傍に駆け寄ってきた。
「姫、大丈夫?」
ボクはバルコニーの手すりに凭れかかるようにして立っていた。
胸の中で何かが渦巻いている。
なるほどね、糾弾者を平民のピーノに変えたことで、国対国の構造を矮小化させたわけね。
でも、それって…ピーノは?
煽ったのはアレスだろ、利用したのもアレスだ。
あんなに愛されてたはずなのに、アレスは簡単に人の好意を切って捨ててしまうんだね。
…ピーノが死んだって、何とも思わないんだろう。
ボクは顔を上げてダイモンを見た。彼の青灰色の瞳には純粋な心配の色だけがある。
この世界はなんて醜いんだろう。
ボクだって、誰が死のうがどうとも思わない。
ダイモンだけなのだ。
そう、もうダイモンしかいない。
どこまでも腐ったような地獄で、醜い悪魔たちが蠢いている。
彼の瞳の中だけにしか、もう救いはない。
バルコニーの下では、招待客たちがひそひそと噂話を始めている。
そっと目を閉じた。
この夜は、まだ長い。
そして、この騒動が何をもたらすのか、誰にも分からない。




