10年前の王宮庭園にて・2
二人は毎日のように庭園で会うようになった。
少年は色々な話を聞かせてくれた。
城下町のこと。人々の暮らし。隣国である帝国のこと。
そして時々こっそり庭園に忍び込んで植物や鳥の観察を楽しんでいること。
少女は自分のことはほとんど話さなかったし、話すようなこともなかったから、少年が嬉しそうに話すのを聞くだけで幸せだった。
ある雨上がりの午後。
少女がいつもの場所に行くと、珍しく少年が先に来ていた。
少年は木陰でうずくまり、膝を擦りむいて血を流していた。
「大丈夫?」
慌てて駆け寄った少女は、自分のドレスの裾を破いて手当てを始める。
不器用な手つきだったが、少年のために懸命に手当てをする少女を見て、彼は痛さも忘れて微笑んだ。
「ありがとう。優しいね」
優しい?
その言葉が少女の胸に深く染み込んだ。
生まれて初めて言われた言葉だった。
そんなものがあるなんて、周囲の人間は思いもしないに違いない。
そもそも感情があるとすら思われていないのかも、と少女は埒もないことを考える。
「なんで怪我したの?」
手当てを終えた少女が小さな声で尋ねると、少年は少し困ったように空を見上げた。
「ちょっとね…。 城壁の上で遊んでたら足を滑らせちゃって」
明らかに嘘だと分かる曖昧な答えに、少女は眉をひそめた。
「本当は?」
少年はしばらく黙っていたが、やがて小さなため息をついた。
「… 人に追いかけられて、転んだんだ」
その言葉に少女の顔が凍りついた。
少年の顔には恐怖の痕跡が微かに残っている。
「怖かったね…」
少女の声は震えていた。
少年はゆっくりと首を横に振った。
「もう大丈夫だよ。それに君が手当てしてくれたし」
そう言って少年は再び笑顔を見せたが、少女は嫌な予感がした。
少女は皆から嫌われている。
だから、少女と仲良くしている少年を排除しようとしたのかもしれない、そんな想像に襲われた。
それでも、少女には少年しかいなかったから。
少年が離れてしまうことを怖れられたから。
詳しく問い質して、原因が少女にあると思われたくなかったから、もう会わない、と言うことができなかった。
出会ったことが幸運だと思っていたから。
それからしばらく経ったある秋の日。
落葉が舞い散る庭園で、二人は肩を寄せ合うように並んで座っていた。
少女は意を決したように口を開く。
「私ね」
消え入りそうな小さな声だった。
「レムっていうの」
長い沈黙。
少年は驚いた顔で少女を見つめた。
長い睫毛が震えていた。
「魔力も弱くて、みんな私のこと役立たずだって言うの」
声が震えている。
握りしめた拳が白くなっていた。
「本当はこのお城にもいちゃいけないんだけど」
レムの目に涙が溜まっていく。
今までずっと押し殺してきた辛い気持ちが堰を切ったように溢れ出る。
「でも、でもね!」
レムは顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃになりながらも必死に笑顔を作った。
「あなたが初めて。私に優しくしてくれたの。ありがとう」
そして差し出したのは、拙いながらも丁寧に刺繍されたハンカチだった。
花柄の刺繍が施されている。
おそらく夜な夜な針仕事をしたのだろう。
少年の頬が真っ赤に染まった。
「僕こそ!」
少年はハンカチを受け取り、ぎゅっと胸に抱きしめる。
そして突然、真剣な眼差しでレムの瞳を見つめた。
「約束する!」
レムの小さな手をそっと取る。
まだ小さな手だが、その握る力は強い決意に満ちていた。
「大きくなったらレムを守る騎士になる!」
声には迷いがない。
澄み切った秋の空のように純粋な誓いだった。
「どんな悪い奴からも守ってあげる!約束する!」
レムの目から再び涙が零れ落ちる。
だが今度は嬉し涙だ。
「私も…」
レムは、少年が傷付いた日を思い出していた。
出来損ないで、虫けらで、生きてる価値もないけど、少年を守るために、どんなことでもできるように、強くなりたい。
「私もあなたを守るよ」
二人は見つめ合う。
おもむろに、少年が立ち上がると、片膝をついて跪いた。
まるで昔話に出てくる高潔な騎士のように恭しく。
「レム姫、お手を」
そっと差し出した手に、少年は唇をよせた。
「僕、ダイモンは姫を生涯守ると誓います。そして、大きくなったら」
レムの心に温かい光が灯った気がした。
「結婚してください」
風が二人の間を通り抜け、運命の歯車が静かに動き出したような感覚があった。
「…ダイモン」
レムが不意に呟く。
「私のことレムって呼んでくれたね」
ダイモンはハッとしたように目を丸くした。
「あっ、ごめん!失礼だった?」
慌てるダイモンを見て、レムは楽しそうに笑った。
その笑顔は秋の陽射しよりも暖かかった。
「ううん!だって、私たち、将来は結婚するんだもの」
頬を赤らめ見つめ合い、いつの間にか両手を握りあっていた。
落葉がカサカサと音を立てている。
「ねぇレム。これからもずっと一緒にいようね」
「うん!」
レムの笑顔はかつてないほど輝いていた。
そしてその笑顔を見ながら、ダイモンもまた未来への希望を胸に秘めていた。




