第十一章 互いの溝 ~美食を冒涜するなど、わたしは決して許しません。~
昼頃。
やっと町の北部までたどり着いたか、民家が密集するようになり、飲食店、そして宿屋も増えてきた。
昼食に選んだのは、『喫茶店・宵闇』。道すがら評判の料理屋はないかと尋ねて紹介されたためやってきたのだが、やはりサーパスに対する視線は人当たりがよくない。
「空。何を出されても文句は言わないッスよ」
「約束はできかねます。取りあえず『隣の席の方と同じものを』と注文しましょう」
そしてやってきた四人前のカルボナーラだが、麺のゆで時間が短いのか芯が残っている、カルボナーラのソースの味付けが雑と、四人の評価はまず芳しくなかった。
「腹が膨れたと思うことに致そう」
「はいなのです、そう考え直さないと我慢できないのです」
だが、空だけは我慢しなかった。
「シェフを呼んでください」
空はそう簡単に立場をひけらかすことはしないのだが、今回ばかりは王家の家紋入りの短剣を取り出して店のスタッフに言う。スタッフに呼ばれたエヴィルの店長を立たせ、空は隣の席の客に「わたしが出されたこのカルボナーラを食べてその感想を言ってください」と言った。
「麺は硬い、ソースはまずい。何だこれ、子どもの習作か?」
「わたしはそれ以下だと思います。シェフ。よくこれを客に出せますね。これと全く同じものを、他のお客にも出せると?」
だが、シェフは眉間にしわを寄せるばかりで返さない。
「わたしはどうやらサーパスですが、エヴィルのあなたがわたしにこんなものを食べさせると言うのはサーパスに対する苦手意識ですか? 差別意識ですか? それとも敵意ですか? この際あなたがわたしに向ける感情はさておき、もう一度聞きます。隣のエヴィルの方に子どもの習作と言わせた料理を、あなたはほかのお客に出せますか?」
すると、シェフは投げやりなため息をついて空に答えた。
「正直、エヴィルの私からしたらサーパスに出す料理など豚の餌で充分だと思っております。かつて我々がそうされたように」
「そうですか。よく分かりました。ではお金も払いません。いいですね?」
「なっ!?」
「そうでしょう? おそらくあなた方に豚の餌と言わしめたものを食べさせたサーパスは、おそらくあなた方の労働に対して相応の賃金を支払っていたとは到底思えません。それと同じ扱いを意趣返しとして我々にすると言うのであれば、当然のことです。わたしにとってはかつてサーパスとそれ以外の『民族』との間に何があったかなど知ったことではありませんが、それをあなた方にされるというのは八つ当たり以外の何物でもありません。我々は美食と美景を追い求めて旅をする者。食べる価値もないものに支払うお金はありません」
すると、空は財布からお金を取り出してシェフではなくまずいカルボナーラを食べさせた隣のテーブルのエヴィルの前に置いた。
「先程は大変失礼いたしました」
「いや、別に……」
そして空は、誰とも目を合わせずに店を出て行ってしまった。
シェフのエヴィルは忌々しそうに空の背中をにらみつけていたが、特に言葉は返さなかった。そんなシェフに、アレットは言った。
「かつてのサーパスの行いを許してくれと、そう簡単には言えないッス。しかし、あなた方まで自分らに同じ態度を取るようであれば、戦争になってもおかしくないレベルの感情が互いの間に生じることは理解してほしいッス。怒りを収めてくれとは言わない。憎しみが活力ならそれを絶やさなくてもいい。それでもせめて『プロとして金を取る以上は、それに見合う働きをしなければならないことくらいは、サーパスもエヴィルも関係ない』と思うんッスよね」
「ふん。我々を迫害したサーパスの分際でよくおっしゃいます」
「そうッスか。……だったら看板にこう掛けとけよ。『サーパスの入店お断り』ってな」
そう言ってアレットはシェフに銅貨一枚を強引に握らせ、ひまりとピエリーナを連れて店を出た(この料理にはその程度の価値しかないと言っている)。そして残されたシェフは、ふんとひとつ鼻息を鳴らして厨房に戻る。
「我々の世代を知らぬ、クソ生意気なサーパスのガキが」
北へ向かう道。
ひまりとピエリーナは、後部座席で肩を寄せ合ってひそひそと話し合う。
「気まずいでござるな」
「気まずいのです」
「触らぬ神に祟りなしと申すが、とは言えこの状況を打開するにはおいしい料理が不可欠と存ずるが」
「料理は陸軍仕込みの空さんの方が圧倒的に上手なのです。私たちでそれ以上の味覚でおもてなしできるとは思えないのです」
いつも平静な空が助手席で地図も見ずに分かりやすくふて腐れており、アレットもアレットで苛立ち全開でアクセルペダルを踏んでいる。いつ事故を起こしてもおかしくない。車の所有者である空にも、乱暴な運転をするアレットを止めてほしいものだ。つまり。
「それだけ『食を冒涜された』怒りと恨みと憎しみは酷いと言うことでござろう」
「『美食は活力』、それは空さんのモットーなのです。今、すごく身に沁みて分かるのです」
すると、頬杖をついて背を丸める空がアレットに言った。
「アレット。町を出る前に、市場で買い物がしたいです。それと門を出たら車を止めてください。皆さんに手伝ってもらいたいことがあります」
「……分かったッス」
北門近くの市場に来ると、空はひとりで野菜や果物や肉などを目利きして回り、店主の言い値ではなく値札がつけられている食材を買ってゆく。買い物が済んだら門を出て、キャンプ用調理器具一式を取り出す。
「その前に、皆さんにこれを食べていただきたいと」
「おぉ。リンゴにござるな!」
「リンゴ? これは梨じゃないんッスか?」
「否、緑色のリンゴもあるのでござるよ。これを見つけるとは、拙者らは幸運にござる。甘みが強く歯ごたえが小気味よく、『王林』あるいはそれに近い品種であれば、これは絶品でござろう。いざ拙者が実食!」
ひまりの予想は当たっていたようで、リンゴをかじった瞬間にひまりは頭を抱えて悶絶し、噛めば噛むほどその味はひまりからかつてないリアクションを引き出してゆく。「まさかここまでとは」と驚愕するアレットとピエリーナだが、彼女たちも一口かじってひまりと同じように悶絶した。
「よかったです、これを選んで正解でした。わたしも市場で食べたのですが、皆さんと同じようにひどく感動したものです。そこで、これをタルトの材料にしたいと思います。それともう一品」
空は小麦粉を練ってパン生地を作り、二枚のスキレットに敷き詰めて蒸気駆動車のエンジンの上で熱する。ひとつには皮と種を取り除いたリンゴを敷き詰め、『王林のタルト』を作る。もうひとつのスキレットで作るのは、どうやらピザのようだ。レッドフォート州五区砦にあるトラットリア・ピエトロでもらったチーズをここで開封し、チーズ、つぶしたトマト、トラムロでもらった様々な野菜をちりばめ、スキレットとセットの鉄の蓋を乗せて蒸気駆動車のエンジンの上に乗せれば。
「完成です」
エンジンの熱を利用したタルトとピザの完成である。
「おぉーっ! おいしそうな香りが広がるッス!」
「さすがは空にござるな」
「はい、おいしそうなのです!」
「切り分けますね。行儀は悪いですが、手でつかんでいただきましょう」
まな板の上に置いたそれらを包丁とピザカッターで八等分してゆき、空たちはタルトとピザを口にする。青リンゴの甘みが広がるアップルタルトに、各種野菜とチーズのうまみがあふれるピザのおいしさに、誰もが笑顔になる。
「トラットリア・ピエトロの店長、トラムロの農家さん、その他この食材に関わる全てに感謝しましょう。こんなにおいしい料理が食べられるのですから」
「それを言うなら、この料理を作った空に、自分らも感謝ッス」
すると、門番をしていたエヴィルの青年がやってきた。
「おいしそうだなあ。キャンプ料理でもこんなにおいしそうなものができるんだな。なあ、俺にも少し分けてくれないか? 金は払うよ」
「門番のお仕事はよいのですか?」
「ちょっとくらい構わんだろう。ここはエヴィルの町。サーパスは純粋な旅行者でもなければ立ち寄らないし、盗賊の襲撃を許せば種族間戦争だ。それに、ここには守り神のドラゴンもいるしな。ぶっちゃけ給料泥棒だ」
「その給料泥棒がさらに職務放棄してピザの無心ですか。構いませんよ。お金も結構です」
空は、自分の取り分であるピザをさらに半分にして門番の青年に手渡す。
「よいのでござるか、先程あのような仕打ちを受けておいて?」
「だからと言って無関係なこの方にまで同じようなことをすれば、ますますエヴィルとサーパスの溝は深まるばかりですから」
門番の青年はピザを受け取り、「うん、こりゃどの喫茶店のピザよりもうまいぜ!」と叫ぶほど絶賛する。それはよかったと空も返し、ピザが尽きたらタルトを口にする。
すると、門番は言った。
「もしかしてだが、宵闇って言う喫茶店に行ったか?」
「えっ? はい、行きましたが」
「唇の脇に残るその素人目に雑なつくりのソース、そしてさっきのやり取り。軍人であるあんたが唇もぬぐわず店を出てゆくとは、余程あの店の意地悪な料理にイラついたに違いないな。済まない。エヴィルには『排サーパス主義者』が、特に年配に多いんだが、あそこのマスターは特にそれだ。自分が奴隷扱いされたことが余程サーパスへの憎しみになっているんだろう。近頃のサーパスでは考えられないくらいにかつてのサーパスをひどく言い、それを周囲に吹聴し、排サーパス主義を広めているんだ。おかげであの店の常連はサーパスを悪く言うことを止められないマスターを止めることができない。サーパスを悪く思っていない若い世代も黙るしかないんだ」
「そうですか。では我々は外れくじを引いたようなものです。安心してください、エヴィルにも宵闇のマスターのようなものばかりではない、このピザの具を分けてくれたトラムロの農家の方のような温和な方がいることも知っていますから」
「そう言ってもらえると助かるよ。これから旅に出るなら、今回のことに懲りずにまたハバレーに寄ってもらいたい」
「はい。あなたに会いに来るには充分な理由です」
空はやっと落ち着きを取り戻したようで、アレットたちもエヴィルの門番と穏やかに会話する空の様子を見てふっと微笑む。




