第九章 魔術式の砦 ~『突撃、朝から領主邸!』です(朝ご飯はさすがに済ませました)。~
翌朝。
八極拳の修業がてら美少年神ガニメデの象を見に来た空は、その美しい彫刻に目を奪われた。
「美しい像ですね。……ガニメデ、そして天にまします神々よ。どうかわたしたちをお導きください」
八極拳の套路(型)を少なくとも五十回(この日は槍の穿雲を手にしての六合大槍と八極小架の修業)、それが空の日課である。空は八極拳の修業を終えると、聖なる泉(円形のため池)からコップで汲んだ水をグイと飲み干してある場所に向かう。
空の向かう先、レッドフォート州領主邸。
ライオンの頭が模られた真鍮のドアノックを叩くと、白黒のエプロンドレス姿のメイドが現れた。
「はい、どちら様でございましょうか?」
「朝早くからアポなしで申し訳ございません。わたし、レアガルド王国陸軍中尉相当非常駐兵の呉空と申します。現在、貴州が手掛けている防衛城塞建設に関し、視察に参った次第。領主もご都合がおありとは存じますが、何卒視察にご協力いただきたく存じます」
「そっ、そうでしたか! かしこまりました。それでは、賓客室にてお待ちくださいませ」
メイドの態度を見るに、朝っぱらから予定にない来客に多少取り乱している程度だろう。空はそう思い、この女性に邪意はないと判断した。
賓客室に通され、紅茶とマカロンを出される空だが、なかなか領主が現れない。メイドが何度か紅茶を淹れ直しに訪れ、マカロンも食べ尽くしてしまった。昼を迎える頃に領主と思われる男性が現れたのだが、空は。
「……お客人。何をなさって?」
「八極拳の修業です。ヒマでしたので」
空は、椅子から立って鞍上にて手綱を握るような中腰姿勢『馬歩站樁功』の姿勢を、足がプルプル震えるまで続けていたのだから。
「それは、誠に申し訳ない……」
領主の名を、『第七代レッドフォート伯爵』と言った。
レッドフォート伯爵は、空と同じほどの背丈で小太りの禿げ頭の男性。立派な騎士装束とマントに身を包んでいるが、その目は空に対するご機嫌取りと自らの欲望しか宿していない。空は、信用に値する人間ではないとすぐに判断した。
「単刀直入に申し上げます、伯爵。わたしは陸軍の使いとして、貴州が建設する砦の必要性とその建築進捗具合を視察に参った次第。それについてお聞かせいただきたく存じます」
「然様でしたか。であればご報告いたしますぞ。実はこの砦の中央には……」
レッドフォート伯爵の言い分は、魔導ソレノイドによるレッドフォート州の水源を守るための防衛力強化にあると言う。先代までは何とかなったが、当代伯爵の目にはいつ水源を求めて侵略者が押し寄せるか分かったものではないと防衛力増強の必要性が映っているようだ。
さらに空は、この五区砦の形状はアークル収集にある事実とそれを囲う新たなる砦の必要性について問った。それに対するレッドフォート伯爵の答えは、『州民及び州を利用する旅人のアークルを第二の税として収集してのエネルギーバリアの展開』である。そのバリアには州に悪意を持って進入しようとする者を退ける効果をもたらすと言うが、空がそのための魔術式の提供を求めれば「機密につきそれには応じかねる」とのこと。
「そうですか、分かりました。では、砦はいつごろ完成する予定ですか? そして、完成後も維持費はかかるのでしょうか?」
「完成は二週間後と見ています。そして維持費に関しては、向こう百年の『暫定税率』を課す予定でいます」
「つまり、百年後には課税額も元に戻ると言うことですね。それは安心しました」
「ありがとうございます、呉空中尉」
「ではこれらのレポートをまとめて陸軍に提出しますが」
空は調書をまとめて封筒に仕舞いソファーを立つのだが。
「……『百年先まで、この町が生きていればいいですね』」
空がレッドフォート伯爵に向ける目は、軽蔑に満ちていた。
空、領主邸出立後。
レッドフォート伯爵執務室。
「……いるか?」
レッドフォート伯爵の言葉に、デスクの前に黒衣の男が舞い降りた。
「はっ」
「やつを殺せ」
冒険者ギルド・五区砦カウンター兼、保安庁五区砦分隊庁舎。
同・通信室。
ギルドの職員たちは「通信室を使わせてほしい」と突然訪問してきた空に動揺するが、ギルド長である髭面の男のみに事情を話し、王家の紋章が刻まれたショートソードを見せることでそれが許可された。
――……事情は全て王国議会陸軍庁に報告。盗賊にわたしとアレットの連名の調査要請も託しましたし、これで軍の上層部や王国議会が動いてくれるでしょう。わたしにできるのはここまでです。あとはお願いします、『陸軍庁レイン・アーチャー長官』。
空はギルド長に礼を述べて庁舎を出て、星形のメインストリートを避けて裏通りを使っての最短ルートで宿に戻ろうとするのだが。
「……追跡されていることは分かっています。姿を現してください」
裏通りで歩みを止める空の前と背後に、音もなく黒衣の集団が現れた。
黒衣のうちのひとりが答える。
「さすがはその若さで陸軍中尉に昇格できただけのことはある。我々の尾行を見事に見破るとはな」
「ありがとうございます、と言うべきでしょうか? おそらく伯爵の手の物でしょうが、わたしをそう簡単に抹消できると思ったら大間違いです」
「ほう? つまりは我々が手を尽くせば、貴様を無き者にすることも可能であると」
「揚げ足取りは結構。最初からそのつもりでかかると言うのであるならば、わたしも一切の容赦は致しません。……仁義礼智と信の字胸に、誇る力は活人が為に。武の道行く我、地鳴らす一歩は天の采配のもとにあり。尋常に勝負。この砦の未来をかけて」
そして空は槍を構え、そのまま一直線に眼前の集団に迫る。
「力量を見間違えたか自棄になったか!? こんな狭い場所でそのような長物など通用」
「しますよ、放ればね」




