第三十二章 彼女はその高みへ ~わたしの初めての挫折かもしれません。~
「では最後に、僕が武術と鍛冶職の師匠でもあった養父、『エイヴィンじいちゃん』に教わった武術を見てもらいたいと思う。……『大岑那族』より伝えられし武術、『鈀子拳』を」
それは、かつて敵として知り合い先日ボナパルト重工業では共闘した凋猛焔が披露した武術である。その技のひとつひとつ、勁路、いやすべてが、八極拳に酷似する不思議な武術である。槍を手にして披露する套路(型)は、かつてアルミスセントラルで空が武器屋ジークフリートの前で披露したそれと何ひとつ変わらなかった。違いは、ただひとつ。
――先ほどのお言葉、何が敗北覚悟で、ですか。あなたの方が余程お強いではありませんか!
そして空は察した。
わたしはガムランさんの次に、圧倒的な実力差で負けたのだ、と。
だがもうひとつ気になることがある。それは猛焔にも尋ねたこと。
「失礼します、ジーク殿下。殿下は、八極拳の発祥と呉という苗字をご存じではありませんか?」
どうやら八極拳についてはすでに調べがついているようなので、空は自らの苗字「呉」を手帳に書いてジークに見せるのだが。
「あぁ、ごめんね。どちらも知らないや」
「そう、ですか……。大変失礼いたしました」
「失礼なんかじゃないさ。さて、長々と引き留めて悪かった。僕はこれから女王と一緒に議会に参加しなきゃいけないし、それが終わったら鍛冶師バルムンクとしてきみたちの依頼の品に取り掛からなきゃいけない。こちらの都合でみんなを振り回して申し訳ないんだけど、今日はここで解散にしよう。あと数日、王都観光を楽しんでほしい。それじゃフレイヤ、議会へ」
「ええ、ジーク。皆様、ごきげんよう」
空たちはジークたちに一礼し、兵士に連れられて城門へと向かう。
そしてその道中、空は様々考えた。
再び、ホテル・ハイリヒトゥーム。
空はチェックインするなりベッドにかけて黙り込んでしまった。ガムラン(サンティーエ帝国陸軍元大将)との力比べのように直接負けたわけでもないのに、一体どうしたのだろうとヴィントは心配する。
そんな空に、アルスは尋ねた。
「今日はホールに行かないのか?」
「ええ。少し考え事をしたいと思いまして」
「考え事……、かぁ。ひょっとして、ガリオン、クリスティア、あるいはジーク殿下の武術に空の過去にまつわるものがあるとか? ひとりで考え込んでないで話してくれないか? 何か手伝えることがあるかもしれない。話すだけでも、少しは心が晴れると思う」
「そうですね。ご心配をおかけして申し訳ありません。では『腹を割って話そうの会』を開きたいと思います。何か食べながら」
そしてこの日の晩餐は、メニューから選んでの落ち着いたものとなった。空が選んだものは、三人分の各種肉料理とチーズの盛り合わせと、大人用にワインの瓶と子供用にぶどうジュース。期間限定メニューに大岑の『小籠包』、ヴィエナハム共和国の『生春巻き《ゴイ・クォン》』、大倭皇国の『寿司』が用意された(材料はすべてシュトラルラント産だが)。なお、アルスの父アトラが用意したチケットのおかげで食べ放題であり、空はひと通り注文した。
「先のボナパルト重工業での戦いで、ヴィントとアルスさんはお気付きでしょうか。ギャング黒眼猫の凋猛焔さんが使った武術と槍術、あれらはそれぞれ鈀子拳と『進意大槍』と言うそうです。それらあまりにも八極拳と六合大槍に似ていて、それと同じものをジーク殿下、その師匠であるエイヴィン様がご修得なされていた、そしてその源流が大岑帝国の那族にあるという事実まで分かりました。わたしのルーツは、その那族にこそあるのではないか、と」
「なるほど、そういうことだったんだ」
空の告白を聞き、アルスはステーキをフォークとナイフで食べながらしばし思案する。
「浅はかな考えなら済まない。僕が思うに」
そして食器を置いて、アルスは彼なりの考えを述べる。
「八極拳と鈀子拳が源流を同じくするものだとしたとしても、それらはどこかで別れたんだ。例えばの話だけど、同じ武術を継承したのだとしても空はそれを八極拳として、猛焔とジーク陛下は鈀子拳として継承し、今に至る。そこまでは空も考えているだろう。その先を考察するなら、『その武術』を鈀子拳というひとつの文化や技術として『後世にまで残したい』派閥と、とんでもなく強力な攻撃力を誇る武術であるがゆえに『一子相伝門外不出の秘術としてひそかに残したい』派閥に分かれたのかもしれない。そして後者こそが八極拳。そしてヤマトの織田信音様がおっしゃったように空が何者かによって祝福された存在としてジグラスで目覚めたというのなら、親御さんはこう考えたのかもしれない。『我が娘に八極拳を教え込んでおいてなんだが、空には争いとは無縁のところで穏やかに生きて過ごしてもらいたい』ってね」
「そんな……。八極拳に、そしてジグラスと記憶喪失に、そういう意味があったなんて……」
「あくまで僕の妄想だ。仮説にとどめ、きみの過去を求める資料くらいにしてくれていい。僕はただ、空に今みたいにグルグルと出口のない迷路でさまよってほしくないだけなんだ」
そう言って、アルスはチーズをかじる。
そんなアルスの言葉を聞き、空もふっと小さく息を吐いて答えた。
「ありがとうございます、アルスさん。わたしのためにそこまで考えてくれて」
「当り前じゃないか。僕たちは旅の仲間で、できればこの先も一緒に、とか思ったりして」
「ええ。今はアルスさんも、わたしにとって大切な旅の仲間です」
少しは気持ちも晴れたのか、空は肉にフォークを刺して頬張る。
空が笑顔を取り戻したのはよいことだ。だがヴィントは「鈍感なところは変わらないか」と小さくため息をついてぶどうジュースを口にした。
「それでもまだ、わたしの未熟さと言いましょうか、アルスさんやジーク殿下に遠く及ばないところを自覚して落ち込んでいると言いましょうか」
その途端、空はまた落ち込んでしまった。
それどころか、かつてないほど取り乱してしまった。
「え?」
「だって! アルスさんはアークルで自身を強化できるじゃないですか! おそらくジーク殿下はそこまでリサーチ済みで、アルスさんには及ばないと自覚しておきながら、あの槍を用いた八極拳もとい鈀子拳の套路は何なんですか!?
……もう完全に実力の差ができてしまいました。我々を強い順に並べるなら、アルスさん、ジーク殿下、そしてわたしとなり、どうすればアークル強化を果たしたアルスさんに追いつけるのか、そのためにはどれだけ功夫を積めばいいのか、それには何年かかるか、あるいは死ぬまで果たされないのか、そればかりを延々と考えてしまうのです!
わたしは、わたしは……、わたしよりも強い存在がいると知って、その人が味方ならいいとしても、敵であったならわたし自身もわたしが愛する人も守れないだろう、そう考えると怖いのです。心底怖いのです。あなたやジーク殿下に匹敵する力を持つ者が、ヴィントやアレットたちを脅かす日が来るのではないかと思うと、わたしは強くあらずにはいられないのです。何もないわたしだからこそ、ひとつでも失うのが心底怖いのです」
そんな風に取り乱した師匠を見たことがないのか、ヴィントはただただ言葉を見つけられない。そしてアルスは、フォークとナイフを置いて静かに空を見つめる。
「こういう時、どう励ませばいいのか僕には分からない。でもこういう場合、武人は他者の強さに嫉妬するものだと思う。うらやましいって思うんじゃないかな。僕ならそうだ」
「えっ?」
「でも空は真っ先に自分の未熟さを責め、他者が持つ力を欲するのではなくそれに自力で追いつこうとした。そして力を誇示するためではなく自分の身近な人を守るために力を欲した。これはなかなかできないことだよ。武術を習おうとする人はたいてい、まず戦う力や純粋な強さを、他者から奪おうとしてでも求めるものだからね」
「そういうもの、でしょうか……?」
「誰もがとは言わないけど、そういうものだよ。でも空は武術や力に求めるものが根本から違う。それは空にしか思えないことだ。そして守るための力こそ、僕は力の使い方として正しいと思っている。だから空は空のまま強くなればいい。相手も修行を積んでいる以上、そう簡単に追いつけないかもしれない。それでも空が成長を止めない限り、きっときみたちを脅かそうとする有象無象はきみたちの足元にも及ばないだろう。それと今は、これまで悪党や礼儀知らずを退けてきた、今までの戦績を誇るべきだと思うな」
「そう、です、ね……。はい、ありがとうございます」
「うん。じゃあ食べようか。おいしいものを食べれば、心も落ち着くんだろ?」
「あはは、昨日の自分に言い返されちゃいましたね」
やっと空はいつもの調子を取り戻したか、いつも通りの食欲で肉にかじりついた。
ヴィントはほっと胸をなでおろし、アルスも静かなお笑顔で食事を再開した。
「やっぱ師匠は、こうじゃなきゃ」




