第二十一章 萌桜院伊織は信じない ~伊織は、いわゆる『世界の記憶』が見られるんじゃよ。~
稲葉山城。
女皇たる萌桜院伊織の参上に城の主たる信音も大広間の中段に座し、いつもの彼女の座は伊織に明け渡した。中段と下段には稲葉山城の従者たちが集い、上段のふすま側と窓側(ともに伊織に破壊された)には伊織の護衛がふたりずつ立っている。
持参の白い座布団に座り、伊織はヴィントを抱えて撫でながら信音に言った(ヴィントは猫のように「もうどうにでもなれ」とおとなしく仏頂面でその身を伊織に預けていた)。
「さて、信音ちゃん。そちらのレアガルドからの使者さんは、あたしからのサインが欲しいんだよね?」
「はっ。萌桜院陛下のご署名があれば、カリオストロ対策臨時議会が動きやすくなることでしょう。パダーノ共和国に拠点があると目されるカリオストロ協会を解散できれば、少なくともカリオストロ二世を討伐できれば、世に平和がもたらされることは間違いありません。金儲けのためなら手段を択ばぬその卑怯な手がヤマトに延びることあらば、我が国もカリオストロの食い物にされることは目に見えましょう。そうさせぬためにも、妾はヤマトの代表として臨時議会に協力する意を示しました。先の信書でもお伝えいたしました通り、陛下にも何卒ご署名を賜りたく、お願い申し上げます」
「うーん。いいけど、条件をがあるかなー?」
「はっ、何なりと」
「では条件。信音ちゃん、上段に座りなさい」
「御意のままに」
腰元のクマが信音のための座布団を用意し、信音はそれまでの改まった態度を一気に崩してあぐらをかいて座る。
「で? これで終わりではないのじゃろ? 我が『悪友』よ」
「そうね、あたしの『親友ちゃん』。あなたが今から行こうとしていた川遊び、付いていきたいんだけど」
「そう来ると思ったわ。おーい、皆のもの、よく聞け。伊織、もとい萌桜院陛下に隠し事など通用せんと思え。心も見透かされていると思え。伊織は『世界の記憶』、大陸西方の言葉に置き換えるなら『アカシックレコード』を読むことができるゆえな」
世界の記憶=アカシックレコード。
その名の通り、世界にはこれまでの出来事がすべて記されている『形無きデータバンク』があるとされており、それは長らくただの『民間の戒め』であると思われてきた。だがヤマトの歴代女皇の中にはまれにそのような能力を持つ者もおり、そのような事実は稲葉山城と皇居、共に上位の者にしか知らされていない。外国人ともなれば、空たちが初めてであろう。
そこから稲葉山城と皇居の歴代のお偉方は国内外様々な魔法や魔術の書籍を読み漁り、ふたつの仮説を立てた。それは、『この大地は生きており、大地はひとつの生命体である』というものと、『この世界にはレイラインと呼ばれるアークルに似たエネルギーの流れがあり、レイラインにこそ世界の記録は記されている』と言うものだ。
だが、伊織自身は別の仮説を立てている。
「それがね? あたしの感覚だと違うの。この世界には植物があるでしょ? その『植物は地下で物理的なネットワークを、空中で情報の送受信を行うためのアンテナと浮遊中継地点を持っている』って思ってるの。その構造はまるで菌類の繁殖あるいは動物の脳みそのようなものだと思ってる。あたしはあたしのアークルの波長をその地中空中のネットワークに同調させることでこの世界の記憶を見ているんだ。だから」
伊織は空と目を合わせた。
「なるほど。わたしの八極拳を使えたのも、世界の記憶に刻まれたわたしの八極拳を見たからと言うことですね」
「そうだね。同じ要領で、実は人の心も読めるんだー。読みたいと思った相手の心に波長を合わせる感じで。だから人が隠したい一面を無理やり見てしまうこともできるわけで、あたしの能力を知る人からは嫌われるし、あたしも当然人の醜いところを多く見てきた分人間不信になったし、心底イヤな能力だよ。だからできるだけあたしは巫女として皇居内の『神殿』に引きこもってるんだけど、たまには気の置けない親友のところに遊びに来たくなるのよね。こうして信音ちゃんから直筆サインをおねだりされたのは嬉しかったなあ」
「そうです、実はわたしたちも、信音公からおもてなし頂いたあとに『この国の王』に謁見しに赴く予定でした。まさか陛下自らおみ足をお運びくださるとは思いませんでしたが」
「うん。じゃあさっそく」
そして伊織はヤマト紙に筆を走らせ、最後に朱印を押すのだが。
「はい、『ヤマトのアイドル』伊織ちゃんのサインだよっ!」
それは信音と同じ署名用紙ではなく、金箔や薄藍染めの彩りが施された正方形の『色紙』であった。そしてサインと言うのも、ヤマト語なのだろうがかなり崩された書体によるもので、一見すると全く読み取れない。その意味は、『唯一無二の自分の存在証明にして、相手への愛を示すもの』である。
「さ、サイン……? アイドル……?」
空とリィンは何が何だか分からない様子だが、伊織の自己中心性を知っているヤマト人たちはただ頭を抱えるばかり。ヴィントは相変わらず黙って伊織に抱かれていた。
「……にゃーお」
サインとは別にきちんと必要最低数の署名を得て、郵送手配は家臣たちに任せた。
その後。
『美濃川町』、『旅館・浄瑠璃』。
伊織の参上ですっかり暗くなってしまったが、一同は露天風呂を満喫する。見事に女性ばかりの編成のため、忠八は衛兵らと男湯でヤマト酒を味わっていた。そして女湯では、今度は空が飼い猫にされた。
「うんうん。細くてつややかな髪、いいにゃあ~」
「……ヴィントの気持ちがよく分かりました」
空の不愉快そうな顔を見て、ヴィントは複雑な表情を浮かべていた。
そんな伊織に、ひまりは尋ねた。
「そう言えば、陛下は」
「ここでは?」
「あ、はい、伊織様。伊織様は世界の記憶を読み人の心を読む能力をお持ちとのこと。それで空の八極拳を会得したと言うことは、その気になれば世界中の武術を会得することも可能と言うことでしょうか」
「理屈の上ではね。でも空ちゃんの言葉を借りるなら、その攻撃力に耐えられるだけの体を鍛えないといけないんでしょ? 超絶めんどい。あたしには巫女としての役割があるから、昼間の八極拳だって『なんちゃって』でしかないんだよね」
「なるほど、そう言うことですか。では、人の醜い面を見過ぎて人間不信になったと言うことは、やはりその能力もよいことばかりではなく悪いこともあると言うことでしょうか」
「この世のすべてには、たったひとつの要素でさえもいい面と悪い面があるものだよ。でもアカシックレコード閲覧の能力は、世界の均衡を崩すもの。だからない方がいいし、悪い面ばかり先に思い浮かぶかな。いい面は、大名の不正を見抜いたり飢饉や流行り病があれば早急に対応させたりすることができるかな。でもあたしは巫女として神殿の外では多くを働けないし人間不信として動きたくないし、そこは信音ちゃんにお願いするかな」
「そうでしたか。……そうだ。では、そのお力で」
「カリオストロの動きを見てくれ、でしょ? できるけど、それはダメ」
「何故にございますか?」
「あなたたちだから信じて信音ちゃんの口を封じなかったけど、本来ならこの能力は近しい者にしか教えてはいけないの。そしてあたしはヤマトの巫女として他国に多干渉してはいけないの。探偵として優れるドイル兄妹をもしのぐ真実を見通す力を持っていると多くの人が知れば、多くの人がこの能力を頼り、多くの人が脅威と感じてヤマトを滅ぼしにかかるからね。だからヤマトとしては、信音ちゃんに最大限の協力をお願いするしかできないの」
「理解しました。では」
ひまりは相変わらず伊織に撫でられ続けている空を見た。空は「そうか」とひとつ頷いて伊織に尋ねようとするのだが。
「空ちゃんの過去? それなら教えてあげてもいいわよ。どうせ大したものじゃないから」
「本当ですか!? ぜひお願いします!」
空は距離を置いて温泉の中で土下座しようとしたが、伊織にしっかりホールドされてそれはできなかった。
「それがね?」




