第二十章 織田信音の日常と言う名の野望 ~ああ、わたしにもちゃんと家族はいるんだなあ、って。~
さらに後日。
信音に連れられて市場に訪れてみてみれば、市場の人々から信音が感謝されていた。
「姫様! 賊どもを追い払ってくれたんですね! おかげで今朝、干し魚が届きましたよ!」
「組み紐の材料も届きました。これでまた美濃の土産物を作ることができます」
「こっちゃあ肉が届かねえとみんな騒ぐしなあ。助かったぜ、姫様。あとそこの嬢ちゃんらと軍医のおっちゃんもな」
「姫さんの人望あってこそだな。これからもヤマトを頼んだぜ!」
よいよいと手を振って町を練り歩く信音。そんな彼女の後姿や町の人々の感謝の言葉に、信音と言う当代当主がいかに慕われているのかがよく分かる。
空は思った。
――これが『音信不通の第六天』と言われた人の本性なんですね。どこが音信不通なのやら。こうして皆様にあたたかな声をかけてもらえているじゃないですか。
――しかしまあ、最近まで大広間の上段に布団を持ち込んで公務を放置していたことも事実。そして大のゲーム好き。おそらく、そう、信音公は抑圧されていたのでしょう。少し前まで公務に追われる日々が続き、大好きな町の練り歩きも賭場通いもできなくなった。そこにわたしたちがレアガルドのゲームを持ち込んで気力を取り戻し、もう大臣の皆さんに文句は言わせまいと公務をこなすようになって、また町の人々と触れ合えるようになった。抑圧された心の発散。それはとても大事なことだと言うことを、イハトヴの社長となったわたしがよく知っています。
イハトヴにて、空が社長としての事務仕事に追われて気分が乗らなくなった時、アンカーボルトで買った水着に着替えて湖で泳ぐことがある。湖の水の冷たさにオーバーヒートしそうになった心身を預け、四肢を投げ出してただ何も考えず青空や月夜を見上げ続ける。そうしてまた、社長業も八極拳の修業も頑張ろうと思えて来るのだ。
「そうですね。では、今度信音公を湖にでも誘ってみましょう。ヤマトの水着も気になりますし」
その晩。
稲葉山城、庭を見渡せる縁側。
信音に呼ばれて空が赴けば、すでに信音はおり、クマとともにワインを飲んでいた。
「信音公、参りました」
「おう! 近う寄れ。お主にも用意してあるぞ」
「ど、どうも……」
空の出で立ちはヤマトの浴衣。「夜くらいかしこまるな」と、信音から与えられたものである。
「ふっ。前に妾が酔い潰させた苦い記憶が残っておるようじゃな。安心せい。今宵はそのようなことはせん。その節は悪かったの」
「いえ。破目を外すとああなることは分かります」
「お主も破目を外したことが? ほれ、グラスじゃ」
「ありがとうございます。わたしは食べることが大好きなのですが、時にあともう少しと食べ過ぎて残しておくべき旅費を少し削ってしまったことが何度か。陸軍ではあれほど財産は使い切るな、ある程度残しておけ、と学んだはずなのに」
「まあこうして生きているだけよいではないか。人は座学などからは何も学ばん。真の学びは城の外にこそある。特に失敗にこそ。まあ妾の場合、その失敗を承知の上で危険を冒して『あーやっちまった』と思うことしばしばじゃがの。それでも家臣たちは妾を見捨てんじゃろう。そうでなければ、家族ではない」
「家族……?」
「そうじゃ。ヤマトでは家族をこう書く」
ひまりも持っている墨壺一式の筆で、『懐紙』と呼ばれるヤマト紙に綴る。
「複雑な字ですね」
「レアガルド語に訳すなら、先の字は『House』、後の字は『Cluster』とでも言おうかの。つまり、屋敷や城などある一定の場所に集いし者、それを『Family』と言う。夫婦もそうじゃろ、元は見知らぬ男と女じゃ。そして子孫をはぐくむは無論、犬や猫などの家畜を迎え、ツバメやフクロウが住み着くことを許し、ひとつ屋根の下の同胞として暮らす。それもまた家族。血のつながりの有無は関係ない。ともにバカやって迷惑かけて、それだけ恩を返して礼を尽くす。許し許され許しを請い請われ、明日もまた笑い合おうと言葉なく約束する。それが家族じゃと、妾は思う。異論は許す。それでもそれが家族であると、妾は確信するのじゃよ」
そして信音は、ワインを一口、そしてチーズをかじった。
空もワインを口にし、彼女はカリカリに焼いたベーコンをつまむ。
「懐かしい味です。しかし素材が違うのかヤマト風にアレンジされているのでしょうか、懐かしくもあり、新しい味です。これも、とてもおいしいですね」
「口に合って何よりじゃ」
「ありがとうございます。家族、そうですね。その言葉をアンカーボルトでも聞きました」
「アンカーボルト?」
それは、空が冒険者を始めたばかりの頃に訪れた港町。クリストファー・ロバーツ率いる海上輸送ギルド・メイフラワーは、アーダルベルト海賊団にクルー及び雇った冒険者を多く失った。生きて帰りついた一同は、港町の大衆酒場でどんちゃん騒ぎで酒を味わうことで仲間たちへの弔いとした。その時クリストファーが言っていた言葉こそ、「船乗りは皆、家族である」と言うものである。
「そうか。愉快な男だ。一度その者に会ってみたくなった」
「そしてピエリーナも言ってくれました。わたしは記憶喪失で本当の家族を知りません。皆には家族がいるのにと孤独あるいは疎外感を抱いていたところに、自分たちこそが家族だと思い出させてくれたのです。そして今は、ヴィントもいます。リゾート・イハトヴのみんなも。信音公の言葉を聞いて、今自覚しました。ああ、わたしにもちゃんと家族はいるんだなあ、って」
「そういうことじゃ。ゆえに、お主は無事に帰らねばならん。土産話をたずさえてな」
「そうですね。美しい庭で一国の代表と酒を飲み交わしたこの名誉を、わたしは故郷で自慢できます」
「うむ。妾も、お主と話せてよかったぞ」
ワインを飲みながら城庭を眺める。
天翔ける龍のような立派な松の木、池のように波紋が刻まれた砂利の庭園、点々とある苔に囲まれた力強さを感じさせる大岩、塀の向こうにも生い茂る木々。『枯山水』の庭の彼方に、レアガルドでも見られる満天の星空が広がる。レアガルドと同じ夜空と言うことは、世界は確かにひとつであることの証である。
翌日。
「嫌じゃ嫌じゃ! 今日は何があろうと空たちと『美濃川』まで泳ぎに行くと決めたのじゃ! うまい川魚が食いたい! めったに聞けぬその土地の民の声が聞きたい! 何より、レアガルドの水着が見たい!」
「なりませぬぞ姫様! 今日も大事な公務が控えてございますぞ!」
そういう人物は、短気ドM家老の桑原ではなく。




