8 新たな目標
庭の一件から数日後。
ディートハルトは屋敷に戻る馬車の中にいた。頬杖をつき、憂いのある表情で窓の向こうを流れていく景色を眺める。
(どうして私は……)
何事にも心を動かさないはずの自分が、アマンダがサマンサを気にしないと言った瞬間、なぜ、と不満を覚えてしまった。なぜ報復しようと思わないのか。自分を長年虐げてきた相手が王太子妃になろうと言うのに。
他人を気にかけたことなど、これまで一度もなかったからこそ、自分の心に芽生えた感情に戸惑った。
(あれは不満……よりも強い感情……怒り、というべきか?)
他人に腹を立てたことなど一度もなかった。
屋敷に到着すると馬車を降りる。
「公爵様、おかえりなさいませ」
ケインズをはじめとした使用人たちがいつものように迎えに出てくる。
「アマンダは?」
ケインズはにこりと微笑む。
「何だ?」
「いえ、公爵様がまずまっさきにアマンダ様をお気になさるのだな、と思いまして」
ケインズだけでなく、メイドたちも微笑ましそうな表情をしている。
指摘されると何となくばつの悪さのようなものを感じてしまう。
自分でもほとんど無意識でまっさきにアマンダのことを聞いてしまったのだ。
「それで?」
「お戻りになられるなり、ずっとお部屋に。それから言伝を承っております。公爵様の書籍を何冊かお借りする、とのことです」
「それは全く問題ないが……」
アマンダほど優秀な人間が、学校の課題程度でディートハルトの書籍を借りる必要などないはず。
「食事は?」
「集中されているようでしたので、未だ……」
「様子を見に行く」
ディートハルトは二階の彼女の部屋の扉をノックするが、返事がなかった。
「アマンダ? 私だ」
反応がない。
「開けるぞ」
扉を開けると、アマンダが何やら熱心に手を動かしている。
それはいくつもの魔法陣だ。描きかけのいくつもの魔法陣に『×』が描かれていた。
「新しい魔法陣か?」
「っ!」
顔を上げたアマンダが「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げた。
「あ、す、すみません。びっくりして……」
「いや、こちらこそ驚かせてすまない」
「ディートハルト様、おかえりなさいませ。いつお戻りに?」
アマンダは立ち上がった。
「つい今しがただ。何をしている?」
「実はこれに応募しようと思っていまして」
「騎士団主催……伝令コンテスト、か。なるほど」
「そこで騎士団に魔法陣が正式に採用されれば、より魔法陣への注目を集められると思いまして」
「確かに、騎士団への採用となれば知名度が一気に高まるだろう。良い方法だと思う。ただし」
「ただし? 何か問題がありますか……?」
「まずはしっかりと食事をしろ。前にも言っただろう。なにごとも身体が資本だ、と。根を詰めすぎた結果、倒れてしまっては元も子もない。ケインズたちが心配していたぞ」
「あ、そうですね」
アマンダが照れ笑いを浮かべた。
アマンダの笑顔を見た瞬間、胸の奥がざわっとかすかにざわめいた。
それはつい先日の庭園でもそうだった。
彼女に笑いかけられた時も、同じ胸のざわめきを覚えたのだ。
(何なんだ、この感覚は……)
これまで意識したことがない感覚。
「どうされましたか?」
「いや、何でもない。一階に行こう」
ディートハルトはアマンダを促し、部屋を出た。
♦
食事を終えたアマンダは、ディートハルトの部屋で彼と向かい合っていた。
伝令コンテストに出品する魔法陣を考えるためだ。
「──現在、騎士団で用いられている伝令方法は伝書鳩という伝統的な方法に、魔法によって封印を施した書類を携える、という形式だ」
「機密性を重要視したもの、ということですね」
「そうだ。それで長らく運用がされてきたが、最近はより早く、正確に届けられるかを問われる場面が多くなってきた。無論、機密性は担保された上で。伝書鳩は魔物に襲われたり、嵐に巻き込まれるなどのアクシデントに巻き込まれることも決して少なくないからな。おそらく今回のコンテストはハイレベルなものになるだろう。これで優勝できれば、名を上げることができる。もしかしたら宮廷魔術師も参加するかもしれない」
「相手が誰だろうと、負けるつもりはありませんっ」
アマンダが鼻息荒く告げると、ディートハルトも頷く。
「そうだな。やり抜こう」
冷静なディートハルトの声に熱が滲んだように聞こえた。
「イメージを作ることから始めよう。もし、どんな魔法でも使えるとしてどんな伝令ならば便利で正確か」
「まるで同じ部屋にいる相手のように伝えられれば良いですね」
「そうだな。それが理想だ。実際に距離がどれほど離れていても瞬時に……」
ディートハルトと話しながら、アマンダはメモ帳に思いついたことを書き連ねていく。
「書状を飛ばす……というのはうーん……」
「使い魔に書状を届けさせる、という方法も考えられるな」
「そう言えば、宮廷魔術師の人たちは召喚獣というものをお持ちなんでしたっけ。ディートハルト様も……?」
「ああ。グリフィンを、な」
「すごい!」
グリフィンはA級に分類される魔物だ。魔物はその特性や危険性、希少性などを考慮してSからCまでに区分されている。
召喚獣は通常、魔術師が自分のマナで主従関係を結ぶというのが一般的だが、A級の魔物と主従関係を結べるのは宮廷魔術師の中でも少数だ。そもそも召喚獣を使役できるだけでも、並の魔術師ではない。
一方、使い魔というのは召喚獣ではなく、魔法生物にカテゴリーされる。
召喚獣ほどの自立性や知能は持たず、あらかじめ与えられた単純な命令(荷物を運べや掃除をしろなど)のみに従う。
別の命令を実行させるには、また別の使い魔を生み出す必要があった。
「……でも伝令に使う場合はその場に応じて複雑な判断が求められますよね。使い魔で代用できるのでしょうか」
「宮廷にいた頃は、宮廷魔術師たちの間で研究が進められていたはずだ」
「なるほど……」
伝書鳩と比べれば、使い魔のほうが生存率が高くなるだろう。
「魔法陣で使い魔を生成することができるのですかね」
「仮に出来たとしても、他の参加者との差別化ができるのか、という問題もあるだろう。私たちが思いつくことはどの参加者もすでに考えているはずだ」
「そうですよね……」
「……声を直接届ける、というのはどうでしょうか」
「直接?」
「はい。まるで糸電話のように、二つの魔法陣をどうにかして繋ぎ合わせることができれば……」
「なるほど。面白い発想だな。詠唱魔法にも追跡魔法が存在するからな」
「追跡魔法……?」
「学生ではなかなか扱いが難しいだろう。──導よ。我と彼とを繋げ」
ディートハルトが詠唱すると、アマンダの指とディートハルトの指を緑色の淡い糸が繋ぐ。
「これでお前がどこにいても分かるようになる。……これは主に密偵が尾行をする時に使う魔法で、世間的な知名度は低いな。こんなものでも維持し続けるには腕が問われる」
「そうですね。相手に気付かれないように、一定の魔力を注ぎ込み続ける必要がありますよね」
ディートハルトはいともたやすくやっているが、普通の魔術師であればかなりの集中力を要するはずだ。短時間に多くの魔力を消費するより、長い間、一定量の魔力を消費するほうがよほど身体への負担が大きくなるのだ。
ディートハルトは追跡魔法を消す。
「アマンダの考えはうまくいくかもしれない。今の追跡魔法は相手に自分の魔力でマーキングをすることで、相手とかなり離れていても居所を特定することができるんだ。魔法陣へのマーキングにあたるものがあるならば」
「……二つで一つになる記号、なんかはどうでしょうか」
「面白しろいな。やってみる価値はありそうだ」
アマンダは早速、メモ帳に魔法陣を試し書きしてみる。
ディートハルトが肯定してくれると、それだけでうまくいくのではないかと思えてくるから不思議だ。
(ディートハルト様の存在が私に力をくださるんだわ……)
アマンダは胸に広がる温かなものを感じながら、ペンを動かした。
それを見つめるディートハルトが優しい眼差しをしているとは、アマンダはもちろん、ディートハルト自身も気づいてはいなかった。
♦
その日、サマンサはいつものように王太子のカイニスとお茶の時間を過ごしていた。
ここのところ、アマンダのせいで学校ではただ苛立つ毎日だが、カイニスとの関係が良いことが唯一の幸いと言って良い。
(学校の連中がなによ。私にはカイニスがいるのよ)
「──サマンサ。騎士団主催のコンテストを知っているかい?」
「いいえ。何ですか?」
「一ヶ月後に開催されるらしい。騎士団が新しい伝令方法を広く国中に求めて開催するらしい」
「面白いことをなさるのですね」
(婚約者と一緒にいるのに、そんなどうでも良い話題をするなんて。もっとマシな話題はないの?)
サマンサは内心で呆れつつ、表面上は興味があるという顔をする。
「騎士団から報告があってな。お前の従妹もエントリーしているらしい。なんと言ったか……」
「アマンダ、でしょうか」
「そう、アマンダがディートハルトと参加するそうだ」
「……そう、ですか」
アマンダの名前に思わず渋面を作りそうになってしまう。
アマンダがいなくなったせいで、サマンサは毎日薄氷を踏む思いをしている。
今は父に家庭教師を雇ってもらい、その人間に課題をやらせていた。
優秀な家庭教師をとお願いしたはずだが、課題の出来映えはアマンダには遠く及ばない、まあまあの出来。
(まあまあじゃ駄目なのよ! このままじゃ首席じゃなくなっちゃうのよ!)
最近では授業でも、サマンサが指名される機会は全くなかった。
今のサマンサでは教師の満足のいく答えなどできないのだから、本来であれば感謝するべきはずだが、自分の代わりに教師に指名されるのがアマンダになったのが、サマンサのプライドを傷つける。
しかし今や彼女はディートハルトの婚約者。おいそれと手を出すこともできない。
「サマンサも参加するだろう?」
「はい?」
「コンテストだ。首席の君のことだから、ね。コンテストに興味があるだろう?」
虫も殺せないような純真な笑顔を向けながら、この人は何を言っているのかと、こぼれそうになる溜め息を飲み込んだ。
「……どうでしょう。学校もあるので」
「しかしアマンダは参加するんだぞ」
「それより、私には王太子妃になるための勉強も……」
「出るんだ。サマンサ」
これまで聞いたことがない強い言葉。
今まで見たことがないくらい、カイニスは真剣な顔をしている。怖いと思わず身を竦めてしまうほど。
そんなサマンサの反応に、カイニスははっと我に返ったようだ。
気まずそうに目を逸らす。
「すまない。だが、前回の庭の一件はアマンダに解決させられてしまっただろう。私は君に、さすがは未来の王妃だと世間の人々に注目してもらいたいんだ。分かるだろ? 君が採用されれば、私も鼻が高いし、父上や母上もさすがはサマンサと思ってくださる」
「しかし殿下。アマンダにはディートハルト様がついています。いくら私に能力があるとはいえ、あまりに不利です」
「心配しなくてもいい。優秀なパートナーを用意している」
カイニスが侍従に合図を送ると、宮廷魔術師のローブをまとった二十代ほどの女性が姿を見せた。
「彼女と一緒に完璧な詠唱魔法を作り、コンテストを優勝してくれ」
完全に逃げ道を塞がれてしまった。
ここまで来てもまだ嫌がれば変に思われてしまうだろう。
「……分かりました」
そう言う他なかった。
「期待している」
善良な笑顔を浮かべるカイニスがこの時ほど憎く感じたことはなかった。
それから当たり障りのない世間話を終えたサマンサは憂鬱な気分で帰宅するなり、父親の元へ向かった。
「お父様、助けて下さいっ」
「殿下の前で粗相をしたのか!?」
オーランドが怖い顔をする。
「ち、違います。そうではなくて……」
自分がコンテストに出場することが決まったことを告げる。
「まったく……アマンダめ」
オーランドの顔が不満げに歪んだ。
「アマンダにまた負けるなんて絶対に嫌です! お父様、名案はありませんか!?」
オーランドとしてもアマンダが、これ以上、愛娘よりも注目を集めるという状況は決して喜ばしくないはずだ。
サマンサは健気な娘を装い、潤んだ瞳で見つめた。
オーランドは「安心しろ」と、優しくサマンサの頭を撫でる。
「あんな小娘には優勝など絶対にさせない。勝つのはお前だ」
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