5 呪われた庭園
「ディートハルト様、どうして……?」
「用事があって迎えにきたんだ。乗ってくれ」
ディートハルトに手を取ってもらい、馬車に乗り込んだ。
すぐに馬車が走り出す。屋敷とは逆の方角だ。
「どちらへ?」
「王宮だ。実は見てもらいたいものがある」
何だろう。そわそわした気持ちになっているうちに馬車は王宮の門をノーチェックで通り抜けた。さすがは公爵家だ。
やがて馬車は停車すると、アマンダたちは降り立つ。
そこは王宮の中にある庭園エリアの一画。
王都の中心部であることが嘘のような静寂に包まれている。
「……静か、ですね。異様なほどです」
ディートハルトと肩を並べて進んでいると、アマンダは妙な息苦しさを覚えてしまう。
(なに、これ……)
こんなにも自然があるし、開放的な空間にもかかわらず、不意に襲ってきた違和感に、アマンダは顔をしかめてしまう。
小径の先に緑豊かな庭園があった。
「……陛下が王妃のために造営させた庭園だ。二ヶ月ほど前に出来たものだが、今はもう誰も近寄らない」
「王妃様のお気に召されなかったのですか?」
庭園の真ん中には池があり、三つの浮島がある。
浮島を繋げるようにアーチ状の石橋が架けられ、真ん中の一際大きな浮島にガゼボが建つ。
池の周りにはミズバショウやニリンソウ、ヤブイチゲなど何種類もの花が咲き誇り、さらに女神や男神、神話の一場面をモチーフにしたと分かる大理石のオブジェがいくつも置かれている。
しかしすぐに違和感を覚えてしまう。
これほど自然に溢れていながら鳥の鳴き声ひとつ聞こえないばかりか、花畑には蝶もおらず、池には魚の影もなかった。
普通こういう場所には魚くらい飼うものではないのだろうか。
「鳥はおろか、虫一匹近寄らなくなった。あまりに寂しすぎると鳥籠を置いたこともあったが、なぜかその鳥がいきなり暴れ出したかと思えば死んでしまったり、池に放った魚も一週間と持たなかった。誰かが毒でも盛ったかと調べさせてもそんな痕跡はひとつもない。それに花もこのざまだ」
「……枯れかけていますね」
「無事なのは大理石のオブジェやガゼボくらい。陛下が原因究明を命じられ、宮廷魔術師たちが調査に当たっていたが、誰一人として原因を究明できなかった。今やここは悪魔が住みついた、呪われた庭園と言われている」
悪魔。呪い。
物騒な言葉の数々に、アマンダは息を呑んだ。
「もしかしてディートハルト様が王宮に向かわれたのは、この調査のため……?」
「ああ、宮廷魔術師時代の部下に泣きつかれてな……。陛下は後難を恐れて潰すこともできず、困り果てているようだ。アマンダなら何か分かるかもしれないと思ってな」
「辺りを見て回ってもよろしいですか?」
「もちろん」
静まり返った見事な庭園。
しかし一歩足を踏み入れた瞬間、妙な気持ち悪さと居心地の悪さが強くなった。
アマンダの後を、ディートハルトがついてくる。
「……音がない世界は不気味ですね」
でも違和感はそれだけに留まらないような気がした。
魔術師が覚える違和感はただの違和感というだけに留まらない、
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚に続く第六感と呼ぶ人もいるほど重要視される。
アマンダは外から庭園に向かって流れていくマナの行方を追いかけた。
最初は大河のようだったものが段々と先細っていく。
マナの正体は未だ完全に解き明かされてはいないが、植物からこぼれた生命力の集合体という説が有力だ。
事実、若い樹よりも、数百年生きた大樹のほうがより濃いマナを放出する。
そのさまざまな強さのマナが何本もの支流のように集まり、大きなマナの流れを作り出す。
か細いマナをたどっていけば、庭園の一画で滞留しているのを見つけた。
自分が歩いてきた道を振り返ると、庭園を美しく見せるために配置された奇岩や像、植えられた植物が配置されている。
どうやら、人間の目を楽しませるために配置された芸術品が、マナの流れを意図せず妨害してしまっていたようだ。
動植物は人間よりもずっと繊細で、敏感だ。
「……生き物がいないのはマナが澱んでいるせいだと思います」
「マナが、澱む?」
「はい。マナの流れが滞留する現象は初めて見ますが、父と一緒に研究旅行にでた時に、魔石の影響を受けたり、自然災害で土地が荒廃したことにより、マナが澱むという現象を目撃したことがあります。そして澱んだマナは魔物の好物──お父様はそう推測しておりました」
「魔物がマナを食うのか……?」
「魔術師がマナを体に吸収して魔力に変換したり、活力に変えたりするように、魔物もまた澱んだマナを吸収し、己の力に変えているのではないかという論文を、父が執筆したことがあるんです。実際マナが澱んだところに、より強い魔物が出没しやすいと父は考えておりました」
「ではここにも魔物が集まってくる可能性があるのか?」
「現段階ではそこまでも澱みはひどくないので、その恐れはないはずですが、今の状態が悪化したり、澱みの範囲が広がればもしかしたら……」
「そうか……。確かに魔物がいるところには動植物がないことも多いな。もし博士の推測が正しければ、魔物がいるから動植物がなくなるのではなく、動植物がなくなるほど濃いマナの澱みが生まれたからこそ魔物が出没する、ということになるのか……。マナの澱みの原因は分かるか?」
「この石像のせいだと思います。これがマナの流れを遮っているようです」
「では、この石像を壊せばどうにかなるか?」
「おそらく」
「……とはいえ、ここは仮にも陛下が王妃様のために造営させた庭園だ。壊せば、罪に問われるだろう」
「石像を移動させることはできないでしょうか」
「魔法はそこまで小回りが利くものではない。雑に動かすことができても、そっくりそのままの状態で、というのは難しいな」
「では、やはり魔法陣の出番、かもしれませんね。ディートハルト様。私が以前、作った魔法陣のことは覚えておいでですか?」
「ああ」
「あの魔法陣は周囲のマナを集める、という魔法陣なんです」
ディートハルトは驚いたように眉を上げた。
「ということは」
「はい。魔法陣はマナに干渉することができるんです。ですから、この庭園のマナの澱みにも干渉することができるはず……」
「早速屋敷に戻り、文献に当たろう」
「はいっ」
アマンダは大きく頷いた。
♦
屋敷に戻ると早速、ディートハルトと一緒に彼の部屋に籠もり、父の手記やこれまでディートハルトが集めた魔法陣に関する資料を紐解き、問題を解決することができないかを調べる。
「魔法陣には古代語の組み合わせが必要だったな。それはどんな組み合わせでも可能だと、博士は考えられていたのか?」
「はい。古代語で詩を編むことでそれが詠唱魔法で言うところの呪文として機能し、マナに干渉するだけの力を与える、と」
詠唱魔法は頭の中で組み上げたイメージを、呪文という言葉を媒介にして、魔法という形で具現化するという手法を取っている。
それだけに、詠唱魔法にとって重要なのはイメージする力。これを指して、魔術師は詠唱魔法とは芸術である、と言う人もいる。
「……詠唱魔法は個人それぞれのイメージ力が重要視されるだけに、同じ詠唱魔法でもその威力に差が生まれやすい。細部までその魔法をイメージできるかがカギだ。だからこそ万人に使いこなすことは無理だが、魔法陣は目に見える形で表現できる分、見本があれば誰にでも使いこなせる可能性が高い、か」
「そうです」
やっぱりディートハルトは優秀だ。
きっと父が元気でいたらディートハルトが王族であるということなど関係なく、是が非でも助手にしただろう。
扉をノックする音にアマンダが返事をすると、執事だ。手にはたくさんのサンドイッチを盛りつけた大皿とティーセットを載せたトレイを持っている。
「お二人とも、サンドイッチでございます。お腹が空いた時にでもつまんでくださいませ」
「ありがとうございますっ」
「では失礼します」
食べ物を見てはじめてアマンダは自分がひどく空腹だったことを思い出す。
壁時計を見ると、帰宅してから二時間近く休むことなく議論していたことになる。
「少し休憩にするか」
「はい」
アマンダたちは食事をする。
ディートハルトはサンドイッチを口にしながら文献をめくっている。
まさにその姿は父の生き写し。
「さっきの続きだが──」
アマンダは「あ、その点に関しては、ですねっ」とディートハルトと同じように右手にサンドイッチ、左手にティーカップを持った恰好で応じた。
こうして誰かと対等に議論することができる喜びに胸の高鳴りを覚えた。
とはいえ、充実した時間だからと言って、望む答えが見つかってくれるということもない。
知恵熱がでたのか、頭が熱い。
(分かっていたことだけどそううまくはいかないのよね……)
アマンダは本棚にもたれ、ぼんやりと虚空に視線を彷徨わせる。
と、鳥の絵が飾られていることに気付く。アマンダの身長よりもずっと上にあったから気付かなかったのだ。
紫色の美しい鳥だ。
この部屋には他に絵はないのに、一枚だけ飾られた絵が妙に浮いていた。
額縁もガラスもしっかりと磨かれて、他の書物のようにうっすら埃を被るということもない。
「……鳥、ですか?」
「ああ……。母が飼っていたアルマ……オウムだ」
「アルマ……古代語ですね。知恵ある者」
「ああ。オウムにつけるにしては大層な名前だろう? だがアルマは実際、頭が良かった。自分の飼い主が誰かをはっきり分かっていて、カゴから出して飛ばしても、逃げずに戻ってくるんだ。オウムはずんぐりむっくりした姿をしているが、存外、優雅に飛ぶんだ。母が亡くなってしばらく飼っていたんだが、死んでしまった。いくらポーションをかけても駄目だった……」
「大切だったんですね」
「『愛している』──母の口癖をよく真似ていた」
「私の母もよく言ってくれました」
なるほど。あの絵が飾られた位置は、ちょうどディートハルトの目線と同じくらいだ。
優雅に飛ぶアルマを想像したその時、閃くものがあった。
「……マナを集められるのであれば、マナを望んだ方向へ動かすことも可能かもしれません」
「マナを望んだ方向……待て」
ディートハルトは立ち上がり、資料をめくる。
「これを見てくれ」
「……遺跡の絵、ですか?」
「王国の東部、ナーレント地方で発見された遺跡の絵だ」
中央に舞台のようなものがあり、その周囲を何本もの円柱が不規則に並んでいる。
「この遺跡は、初めて見ます」
「つい数年前に発掘されたばかりだからな。この遺構は小高い丘に作られていて、刻まれた星々の名前から星見台ではないかと研究者の間で議論されている。古代人たちが星から力を得ようとしていたことは広く知られているからな。実際、古代人は星と星とを繋ぎあわせて星座を作り、それに付随する物語を編み出し、それは現代にも伝わっている。周囲の柱が何のためにあるのか疑問視されていたんだが、もし当時の人間の中にアマンダと同じく精霊瞳を持つ者がいたとしたら……」
ディートハルトの言わんとすることにピンときた。
「星の力を授かろうと、柱の一本一本を星に見立て、マナの流れを魔法陣で操作し、頭上に輝く星座と同じ形を地上に描いた、と?」
ディートハルトはかすかに微笑み、頷く。
「そうだ。中央の舞台は精霊瞳の持ち主、もしくは星の力を授かりたいと思う者が立ったのではないか、と」
「やってみましょう!」
希望が生まれた喜びで、興奮で身体が熱を帯びた。
(これまで魔法陣の復元はあるけれど、一から作るのは初めてだわ)
それでも胸が高鳴るくらいワクワクした。
♦
ディートハルトは本の山から使えそうな本を取り出す。
「アマンダ、この文献だが……」
アマンダは本棚に背中を預け、寝息を立てていた。
「……無理をさせてしまったか」
時刻は午前一時を回っている。
ずっと部屋に籠もって文献に当たっていたのだから、疲れて当然だ。
ディートハルトからすれば宵の口だが、アマンダ、いや、他の人間たちにとっては違う。
彼女の優秀ぶりに、無意識のうちに自分と何もかも同列に扱ってしまっていた。
彼女が手にしているメモ帳にいくつもの魔法陣の下書きが描かれている。
二人で議論を重ね、少しずつ形にしていったものだ。
これまでディートハルトとの議論にまともについてきた者はほとんどいないが、アマンダはその貴重な一人になった。
打てば響くとは良く言ったものだ。
彼女は一を聞いて十を体現するような優秀さだ。
父親が存命であれば、彼女はもっと早い内から世に出ていたかもしれない。
(彼女は仮初めとはいえ、婚約者だ。これで風邪でも引かせてしまったら、博士に申しわけが立たないな)
ディートハルトはアマンダの膝に乗せられていた本をそっと床に置くと、背中と膝裏へ手を滑り込ませ、慎重な手つきで抱き上げた。
(……軽いな)
アマンダが、こんなにも小柄だとは気付かなかったし、その軽さに驚きを禁じえなかった。
人生で女性をこんな風に抱き上げたのが初めてだからなおさらそう思う。
部屋を出ると、物音に気付いたらしい執事のケインズが顔を出す。
「公爵様、いかがしましたか?」
「起きていたか」
「はい。何かあった時に皆が寝てしまってはいけないと思い……」
「悪かった。つい夢中になった」
「分かります。公爵様は非常に楽しそうな顔をしていらっしゃいますから」
「……楽しそう?」
「はい。それはもう子どもの頃に、初めて魔法の本に触れた時のように……」
ケインズは母が王宮へ上がる際に、実家から同行した従者の一人だった。
ディートハルトは、アマンダの安らかな寝顔を一瞥する。
「自覚はなかったな」
「アマンダ様ですが、私が部屋までお運びいたしましょうか?」
「いや、私がやる。私が無理をさせてしまったのだからな」
ディートハルトが歩き出すと、「私が先導いたします」とケインズが先を歩き、光の低級魔法を唱えて足下を照らす。
「そう言えば、久しぶりにアルマの話をされていらっしゃいましたよね」
「聞こえていたか?」
「飲み物が冷めてしまったとお届けに行った時に。ただお二人のお話がかなり盛り上がられていたので邪魔してはいけないと引き返したのです。……アルマの話をされると、ネリネ様のことを思い出して辛くなると長らく話されませんでしたので驚きました」
「……確かにそうだな。言われてみれば不思議だ。なぜか何の躊躇いもなく話せたのだろうな……」
その結果、突破口を開くことができたのだ。
部屋の前まで来ると、ケインズが居間、そして寝室に続く扉を開けてくれる。
ディートハルトはアマンダをベッドへ寝かせると、肩まで布団をかけた。
あどけない表情だ。まだ年端もいかない子どものよう。しかし同時に、美しいと思った。
(……美しい?)
人を見て美しいと思ったのは幼い頃に母にそう思って以来だ。
(私は何を……)
「いかがなされましたか?」
ケインズが、ベッドのそばに立ったままのディートハルトに声をかけてくると、はっと我に返った。
「いや、何でもない。──おやすみ、アマンダ。良き夢を」
ディートハルトはそう呟き、部屋を出た。
作品の続きに興味・関心を持って頂けましたら、ブクマ、★をクリックして頂けますと非常に嬉しいです。




