20 儀式
アマンダたちを載せた馬車が王宮へ向かう。
今日、サマンサが正式に王太子妃になる儀式が王宮で開かれるのだ。
馬車の中、向かいにいるディートハルトは心配げに、アマンダを見つめていた。
「……アマンダ。無理して出席する必要はないんだぞ。お前にとってサマンサは……」
「私のことならご心配なく。もう彼女は私にとっては恐れの対象でも何でもないんですから」
ディートハルトの優しさに感謝しつつ、アマンダは言った。
「そうか。強くなったんだな」
王宮へ到着したアマンダたちは儀式の会場へ向かう。
そこは王宮内の聖堂。普段は、王族が祈りを捧げる場として使われていた。
座席は前から爵位の順番だ。
先頭を国王夫妻と王太子カイニス、そしてサマンサ。
そして次の座席にアマンダとディートハルトが座る。
アマンダたちの座る席から通路を一本隔てた場所に、叔父夫妻がいた。
二人はアマンダにだけ分かるように、まるで勝ち誇るような悪意のこもった笑みを見せた。
(こんな時にもまだそんな子どもじみたことをするなんて、つまらない人たち)
アマンダが冷え切った視線で叔父たちを一瞥し、前を向く。
アマンダが何の反応も見せないことに一瞬ムッとした顔をした叔父たちだったが、「刻限となりました」という司祭の言葉に仕方なさそうに前を向いた。
司祭は深々と一礼する。
「このたび王国は新たな節目を迎えようとしております。王太子殿下が伴侶を迎えられるのです。賢く美しい新しい王太子妃は、王太子殿下と共に、この国の未来を導いて下さるに足るご令嬢です。サマンサ・シェル嬢。どうぞ前へ」
サマンサは今日の為に用意したであろう純白のドレスの裾を翻し、司祭のいる壇上へ上がる。
サマンサは、額や胸元、手首、足首に鮮やかな赤い石のついた装飾を身に着けていた。
(あれは魔石……?)
アマンダだけでなく、ディートハルトも気付いたらしい。
「ディートハルト様、あれは……」
「魔石だ。しかしなぜだ?」
サマンサは有能な魔術師とは言えないが、それでもそこそこの魔力を持っている。わざわざ魔石を使う意味が分からなかった。それもあんなにたくさん。
サマンサは、司祭の前で跪く。
水を打ったような静けさが、神聖な聖堂内を包みこんだ。
「サマンサ・シェル。汝は、王国の次代を担う太陽であらせられる王太子の妃とし、この国を守り、支えていくことを誓うか?」
司祭の朗々とした声が、聖堂に響き渡った。
「誓います」
「サマンサ・シェル。汝は、この国で生きるすべての民の母となり、彼らの不幸を己の不幸とし、彼らの幸福を己の幸福とすることを誓うか?」
「誓います」
型通りに儀式が進んでいく。
やがて司祭は手元にあった美しく装飾された箱を開ける。
そこには王家の紋章の入った美しい金のティアラが収められている。
それは正式な王太子妃のみが身に着けることを許されていた。
「では、サマンサ・シェル。汝が王太子妃に相応しいと、この場の証人たちに示しなさい」
「……分かりました」
サマンサは立ち上がると、列席者のほうを振り返る。
彼女の表情は緊張のために強張り、その目はかすかに落ち着きなく震えていた。
「……はじめます」
サマンサはゆっくりと両手を自分の目線の位置までかかげれば、左右に大きく広げた。
「マナよ。我が声に応えよ」
サマンサの体がうっすらと輝く。
彼女の魔力に、周囲のマナが応える。
同時に、彼女が身に着けていた赤い魔石が光を放った。
「光よ」
サマンサが詠唱すると同時に、彼女自身の魔力が膨張していく。
魔石によって底上げされた魔力は、目を瞠るほどに大きい。
少なくともアマンダの知る限り、サマンサが制御できる魔力を超えていた。
サマンサの両手から信じられないくらい強烈な魔力が迸り、彼女の顔が苦しそうに歪んだ。
「儀式をやめろ!」
ディートハルトが立ち上がり、叫んだ。
周囲の人々がざわつくが、サマンサは構わず詠唱を続ける。
彼女を中心に周囲のマナが吸い寄せられていくが、ますますサマンサの顔が苦痛に歪んだ。
アマンダの目には、魔石の強すぎる影響で周囲のマナがみるみる澱んでいくのがはっきりと見えた。あれだけの純度の高い魔石だから当然だ。
「サマンサ、今すぐ詠唱をやめて!」
アマンダは声を上げて立ち上がり、駆け寄ろうとするが、衛兵が押しとどめる。
「近づかないで下さいっ」
「儀式の最中ですっ」
「そんな場合じゃ……。陛下、止めてください! このままでは……!」
そこに割って入るように、叔父夫婦が叫ぶ。
「なんて馬鹿げたことを! 邪魔をするな!」
「そうだわ! サマンサに嫉妬して、まさかこんな大それたことを始めるなんて何を考えているの!?」
「何を言っているんですか。サマンサは苦しんでいます! 分からないんですか!?」
彼女の魔力によって活性化した魔石がますます周囲のマナを巻き込み、澱ませていく。
「サマンサ、やめて!」
「む、無理……魔石が止まらないのぉ……!」
サマンサが悲鳴まじりに叫んだ。
魔石が暴走しているのだ。
あれだけの純度の高い魔石をいくつもつけているのだから当然だ。
その時、聖堂の天井がいきなり崩れたかと思えば、瓦礫が貴客席に降り注ぐ。
(何が起こったの!?)
貴族たちはキャアキャアと悲鳴を上げながら逃げていく。
誰かが「魔物だ!」と叫べば、アマンダは顔を上げた。
天井に走った亀裂から顔を覗かせたのは、胸から上が人間、下半身が鳥の魔物ハーピー。
きっと膨大に溢れるマナの澱みに吸い寄せられてきたのだろう。
(まずい。このまま澱みが拡大すれば、魔物が押し寄せてしまうかもしれない!)
ここは浄化の魔法陣で一度にマナの澱みを解消するしかないだろう。
「陛下を逃がせ。早くっ」
衛兵たちが国王夫妻、王太子を避難させるのを横目に、アマンダはサマンサに目を向けた。
嫌いな従姉だったが、死んで良いなんて思わない。
「アマンダ、逃げるぞ!」
ディートハルトが叫んだ。
「いいえ、マナの澱みを放置するわけにはいきません。誰かが浄化しなければ、魔物が押し寄せることになります!」
アマンダは瓦礫の破片を掴むと、魔法陣を描くために床を削る。
しかしアマンダに気付いたハーピーが髪を振り乱し、「ギャアアッ!」と鋭い声を上げ、牙を剥いて襲いかかってきた。
その鋭い爪が届こうとした刹那、無数の氷の礫がハーピーを切り裂く。
「アマンダ! 魔物は私に任せて、魔法陣を!」
「はいっ!」
しかしハーピーの数はますます増えていく。
国一番の魔術師のディートハルトといえども、その顔には焦りの色が浮かぶ。
そこへ火、風、水などの魔法が飛び、アマンダを狙うハーピーたちを打ち落とす。
宮廷魔術師たちが駆けつけてくれたのだ。
「アマンダの支援を!」
「了解いたしましたっ!」
ディートハルトの指示に、宮廷魔術師たちが応じる。
アマンダは古代語を床へ書きなぐった。
(あともう少し……!)
アマンダはついに魔法陣を描ききった。あとは魔力を注ぎ、起動させるだけ。
そう思った次の瞬間、ハーピーのやかましい声がふっと遠のく。
(まだ浄化はしていないはずなのに、何……?)
宮廷魔術師たちも突然のことに戸惑い、警戒の姿勢を崩さない。
その時、聖堂の外壁が外から大きく崩される音が響き、建物全体が大きく揺れた。
崩れた壁によって巻き上げられた土埃ごしに見えたのは、巨大な影──。
(ドレイク!?)
土埃を突き破って姿を現したのは十メートル近い身の丈の、赤い鱗を持つ竜種。
ハーピーどころではない。
ディートハルトの召喚獣であるグリフィンと同じく、A級の魔物だ。
圧倒的な存在感に当てられた体が本能的な恐怖に戦慄き、アマンダはその場に縫い付けられたように動けなくなってしまう。
ドレイクが大きく口を開ける。禍々しいほどの魔力に、アマンダは総毛だった。
ドレイクが青白い炎を迸らせる。
逃げないと頭では分かっているはずなのに──。
「アマンダ!」
ディートハルトがアマンダを背に庇い、防御魔法を展開する。
ドラゴンの下位にあたるドレイクは普通、ブレスを吐かないはず。
(澱んだマナを吸収したせいだわ!)
「く……!」
ディートハルトは顔を歪める。
ブレスをたった一人で受け止めているのだから、当然だ。
無事にしのぎきるが、ドレイクは再びブレスを吐こうと大きな口を開いたその時、ドレイクは側面からまともに魔法攻撃を受けた。
宮廷魔術師たちが支援してくれたのだ。
しかしその巨体がかすかに揺らいだだけで、すぐに踏みとどまる。しかしその注意が宮廷魔術師たちに向く。
(魔法陣を起動させないと!)
さもなければ、ますますドレイクが澱んだマナを吸収し、手がつけられなくなってしまう。
アマンダは魔法陣を起動する。
浄化の魔法陣が青白い輝きを放てば、その魔法陣の中心にいたサマンサを中心に広がっていたマナの澱みがみるみる浄化されていく。
「やった……」
これで魔物たちが、澱んだマナに吸い寄せられることもなくなるはず。
さらに浄化の影響を受けたのはマナだけではない。
体中に澱んだマナを貯めこんでいたドレイクの動きが目に見えて、鈍重になった。
「よくやった。あとは私に任せろ!」
「はい!」
ディートハルトは風魔法で加速してドレイクに肉薄すると、氷魔法で作り出した剣を振り下ろす。
ギイイィィィイアアアアア……!!
ドレイクが悲鳴を上げれば、消し飛んだ。
「く……っ」
肩で息をしていたディートハルトが不意に右膝を突く。
普通の魔術師であればとても防ぎきれなかったであろうブレスを受け止めきっただけでなく、弱体化したとはいえ、ドレイクをたった一人で倒したのだ。
いくらディートハルトが国一番の魔術師とはいえ、消耗はかなり大きいはず。
「ディートハルト様、大丈夫ですか!?」
アマンダは駆け寄った。
「大丈夫だ……」
「本当ですか?」
ディートハルトの手が、アマンダの頬に優しく触れる。
「っ」
「もちろん。だから、そんな悲しそうな顔をせず、笑ってくれ」
アマンダは「はい」と笑顔で頷き、彼に手を貸して一緒に聖堂を出る。
すでに宮廷魔術師たちによってサマンサは救助され、外で看護を受けていた。
広場には騎士たちが揃い、貴族たちの警護に当たっている。
と、騎士団長がこちらへ駆けてきた。
「アマンダ様、公爵様、お二人ともご無事で良かった……。アマンダ様にお礼を言わなければなりません。通信用の魔法陣のお陰で、迅速に各支部から援軍を募ることができ、死傷者を一人も出さず、都に集まってきた魔物を討伐することができました。従来の伝書鳩による通信ではこんな迅速に動くことはできなかったでしょう……」
本当にありがとうございます、と騎士団長が頭を下げた。
「お役に立てたのでしたら、良かったです」
「ええい! いつまでこんなところにいさせるつもりだ! 私を誰だと思っている!? 侯爵だぞ! さっさと屋敷へ戻らせろ!」
叔父の怒鳴り声が聞こえた。
「叔父様。残念ながら、あなたはお帰りいただくわけにはいきません」
アマンダは叔父をまっすぐ見すえて告げた。
「何だと!? アマンダ、誰に向かってそんな口をきいている!? 私は侯爵家の当主なんだぞ!?」
「今はそんなことは話題にはしておりません。サマンサの魔力が暴走したのは、彼女が身に着けていた魔石のせいですよね」
「……な、何を言っているのよ。変なことを言わないで!」
サマンサが目を吊り上げた。
「サマンサ。今回の騒ぎは、あなたたちのせいよ」
「アマンダの言う通りだ。私もそれは確認している。お前から迸っていた魔力は明らかに、お前の手に余るものだった。コントロールできなくなるのは当然だ」
ディートハルトにまで指摘され、サマンサは顔を赤黒くさせた。
「偉そうなことを言わないで。私がどれだけ苦しい思いをしてきたか……アマンダ! 全部、あんたのせいなのよ! あんたなんかが魔法陣なんて使いはじめて、私の邪魔をするから……。あんたは大人しくいつまでも、私のために働いていればそれで良かったのよ! あんたがいなくなってから何もかもが最悪よ! 返しなさいよ! 完璧だった私の人生を返しなさいよおおおおおおおお……!」
取り乱したサマンサは宮廷魔術師たちを振りほどき、アマンダに掴みかかろうとする。
しかしディートハルトが割って入るや、サマンサの喉元めがけ氷魔法で生み出した剣の切っ先を突き付けた。
「ひ……」
「それ以上、近づくな。アマンダには指一本触れることは許さない」
ディートハルトのまとう魔力の強さと、彼の怒りを滲ませた双眸に、サマンサは表情を引き攣らせたまま立ち尽くす。
そこへ、「サマンサ……」とかすかに震える声が聞こえた。
振り返れば、そこには国王一家がいた。
カイニスが信じられないものでも見るように、サマンサを見つめている。
彼が、取り乱したサマンサがぶちまけた激情、そしてアマンダに掴みかかろうとしたその一部始終を目撃したことは明らかだった。
「ち、違うんです。殿下。これは……あの……!」
「陛下! このアマンダという娘は適当なことを申しているだけです! 惑わされないでください!」
オーランドが必死に弁解しようとするが、無表情の国王がおもむろに口を開く。
「……侯爵よ。アマンダが適当なことを言うような者ではないことは、余でも分かるというのに身内であるそなたが分からぬとはな……」
「陛下……?」
オーランドは顔を青ざめさせる。
「調査をすれば事実は明らかになるだろう。侯爵、もちろん協力してくれるだろう?」
「……」
「侯爵よ」
国王の声が低くなれば、オーランドはびくっと肩を小さく跳ねさせ、「御意のままに……」と頭を下げた。それしかこの状況でオーランドに言えることはない。
その後の調査によってオーランドが高純度の魔石を調達したことが明らかになると同時に、ディートハルトの調べで騎士団主催の伝令コンテストにおいてクベット子爵がオーランドから多額の賄賂を受け取り、審査結果をサマンサに有利に進めたことが明らかになると、いよいよこのスキャンダルは社交界で知らない者がいないほど広まった。
オーランドが画策した一連の出来事を重大視した国王によってサマンサとカイニスとの婚約は白紙に戻されただけでなく、今回の騒動の責任を取らされ、オーランドは爵位を取り上げられ、一家は国外追放の刑に処された。
そしてオーランドたちに代わり、アマンダが侯爵家を継ぐようにという勅命が下った──。
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