21 仮初めは真になった
夏の暑さが真っ盛りを迎えていた。
全てが収まるべきところに収まり、平穏な日常が戻ってきた頃、アマンダはディートハルトと共に王宮に招かれた。
夏特有の原色の花々が咲き乱れている離宮は、甘い香りで満たされている。
アマンダとディートハルトは、国王夫妻に頭を下げた。
「陛下。このたびはご招待いただき、まことにありがとうございます」
「堅苦しい挨拶はやめてくれ」
「そうですよ。あなたたちは都に住む、大勢の人たちを救った功労者なのですから。さ、座って」
「失礼いたします」
王妃に促されてアマンダたちが着席すると、紅茶が運ばれてくる。
口をつけると、ほんのりとした甘みの中に豊かな香りがふわりと広がった。
王室が所有する農園でのみ栽培される茶葉だ。
「殿下の調子はどうですか?」
ディートハルトが尋ねた。
「まだ落ち込んではいるが、少しずつ元の日常を過ごしはじめている」
国王が言えば、
「……あの娘の本性を見抜けず、ただ恥じ入るばかりだわ」
王妃が深いため息をこぼす。
「それは余も同じだ……っと、せっかくのお茶会にこの話題は不適当だったな。ディートハルト。アマンダとはいつくらいに式を挙げるつもりなんだ?」
「っ」
ドキッとし、目の端でディートハルトを窺う。
彼はいつも通りで、動じていない。
「私としてはアマンダが卒業してから、と考えておりますが、それに関しては話し合って決めるつもりでいます」
「そうか。今やアマンダもディートハルトも、我が国には欠かせない貴重な人材。余としても盛大に盛り上げたいと思っているからな。日取りが決まったらすぐに知らせるように。いいな、二人とも」
「分かりました」
「わ、分かりました……」
アマンダはぎこちなく頷く。
「アマンダ、最近は魔法陣についてはどうだ?」
「家のことでバタバタしていましたが、少しずつ魔法陣についての研究は再開しております」
「学業との両立は大変だろう。無理せぬようにな。無理をして体を壊してしまっては元も子もない」
「はい、肝に銘じます」
「ディートハルト、婚約者としてしっかり支えるのだぞ」
「当然です」
それからいくつかの他愛のない世間話をし、アマンダたちは離宮を後にした。
すでに日没近くになりつつある。
アマンダは夕日に照らされる王都が黄金色に染まる美しい光景を眺めながら、
(いつまで私たちはこの関係でいられるのだろう)
そう考えずにいられなかった。
自分たちの関係はあくまで仮初め。愛し愛される関係ではない。
そろそろ解消したほうが良いのではないだろうか。
この関係が長く続けば続くほど解消した時の衝撃が大きくなるはずで、ディートハルトにとってマイナスが大きくなるばかりだ。
(……解消するタイミングは今が良いはず、よね……。叔父たちはもうこの国にいない。もうディートハルト様と同居する理由もないんだから……)
それでも切り出せない。いや、切り出したくないのは、アマンダの中に芽生えたディートハルトへの想いが大きくなっているからだ。
今の関係を終わらせたくない。
それがアマンダの嘘いつわりない気持ちだった。
しかしその本心は決して口には出せない。
ディートハルトに不愉快に思われたくなかった。
「アマンダ、これから少し付き合ってくれないか?」
「構いませんが、どちらへ?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
「分かりました」
どこへ行くのだろう。
馬車は街を出ていく。
その頃には日が没し、茜色に染まっていた空が紫紺に塗り替えられていく。
ちりばめた砂金のような星々が一つ、また一つと空で瞬いた。
やがて馬車は小高い丘で停まった。そこには古ぼけた塔がある。
「ここだ」
一緒に馬車を降りて塔の中に入ると、らせん状の階段が上へ上へと延びていた。
「さ、アマンダ」
ディートハルトのエスコートを受け、共に上っていく。
「ここは何の建物なんですか?」
「今はもう使われていない物見の塔だ。古ぼけてはいるが、頑丈に作られているから崩れるようなことはないから心配しなくて良い」
最上階へ上ると、アマンダは目を瞠った。
「あ……っ」
空が地上よりもずっと近くに見えた。三日月はもちろん、無数の星々がすぐ目の前まで迫ってくるような錯覚をおぼえる。手を伸ばせば届きそう。
「……綺麗」
「街では明るすぎるからな。ここで一緒に星を見たかった」
ディートハルトから微笑を向けられれば鼓動が高鳴り、アマンダは顔の火照りを意識して俯いてしまう。
(そんなに優しく微笑まないで下さい!)
そんなことをされたら、ますます離れたくなくなってしまう。
ディートハルトにとっては何てことのないことなのは分かっている。
それにいちいち感情が揺らぐアマンダがいけないのだ。
「どうした? 気に入らなかったか……?」
ディートハルトの眼差しが不安そうに揺れる。
はっとしたアマンダは首を横に振った。
「いいえ、とても気に入りました! でもどうしてこんな素敵な場所にわざわざ連れてきてくださったんですか?」
「大事な話をしたくてここに来た」
「大事な……?」
思い当たるのは一つしかない。
「婚約解消、ですよね……。そうですよね。これ以上は良くありませんよね。お、お互いに……。あの、でもディートハルト様の有責で婚約解消というのは駄目だと思うんです。ディートハルト様にもこれからの人生がおありになるでしょうし、愛する人もできるでしょうし。これまでディートハルト様にはたくさんお世話になりました。たくさん感謝もしています。そんなあなたの評判に傷をつけるような真似はしたくありません。ここはお互いに問題があって、話し合った末の解消としたほうが……」
「違う。そんな話じゃない」
「では……?」
ディートハルトは真剣な表情で、その男女問わず魅了するほど神秘的な琥珀色の瞳にアマンダを映す。
心臓が激しく高鳴りすぎて、息が苦しい。
なのに目を逸らせない。逸らしたくない。
「アマンダ、私の正式な婚約者になって欲しい」
「え……」
アマンダは驚きに目を瞠った。
聞き間違いかと疑ってしまう。
「今、なんて……」
「私の正式な婚約者になって欲しい」
ディートハルトはもう一度、言ってくれる。
「これはずっと前から考えていたことだ。だが、今の状況の居心地の良さに、お前との関係が変わってしまうのが怖かった。約束を違えて拒絶され、お前を失いたくなかった。しかしこのまま仮初めの婚約者でいることが耐え難かった……。いずれ、この関係が終わりを迎え、アマンダが別の男と寄り添うことを考えるだけで、胸が苦しくなった。そんなことは想像するのも嫌だった」
ディートハルトの顔が辛そうに曇った。彼のそんな表情を見たのは初めてかもしれない。
「すぐに答えは求めない。しかし考えてくれないか? 私はつまらない男だと思う。だが、お前を幸せにすることを誓う」
アマンダはこみあげてくる熱いものに、思わず目を伏せてしまう。
ディートハルトが小さく息を呑み、恐る恐るという風に、アマンダの肩に触れてくる。
「……すまない。困らせるつもりはなかった。嫌なら考えなくても構わない。私が軽率だった……」
違います、とアマンダは首を横に振った。
「嬉しいんです。私も同じ気持ちでしたから」
ディートハルトがはっとした表情をした。
「本当か……?」
「はい。ディートハルト様のことをずっとお慕いしておりました……。でもまさかディートハルト様も同じ気持ちでいてくださったなんて……まるで夢を見ているみたいです」
ディートハルトが包み込むように、アマンダの手を握りしめてくれる。男の人の大きな手。伝わってくる温もりが嬉しく、胸の奥がくすぐったい。
「でも、結婚はまだ待ってください。今は侯爵家を建て直すという務めが……」
オーランドたちの放漫財政の影響で、侯爵家の財政は火の車だった。
「それなら、余計に一緒になるべきだな。一人より二人でやったほうが侯爵家も早く立て直すことができるだろうし、使用人についても公爵家で働いている者たちをそっくり使えば良い」
「! そこまでは甘えられません! 公爵家はどうなさるのですか」
「そんなものどうでも良い。たかだか祖父の時代に始まった家に過ぎない。侯爵家のほうがよほど歴史は長い。子どもが二人生まれれば、一人を侯爵家に、一人を公爵家の跡継ぎにするという選択肢もないでもないが」
「子どもだなんて、いきなり話が飛躍しすぎです……!」
唐突なディートハルトの発言に、アマンダは赤面してしまう。
そんなアマンダを、ディートハルトは優しく見つめる。
「すまない。少し先走ってしまった……。しかし、そういう選択肢もある、ということだ」
ディートハルトの手がそっと顎にかかった。
「生涯、この私の全てを賭けて大切にし、幸せにすると誓う」
「わ、私も……あなたのことを大切に、幸せにしますっ」
ディートハルトはそっとアマンダの唇を奪う。
優しく包み込むようなディートハルトの温もり。そして彼がこれからの先の人生を共に歩いてくれるという喜びに、アマンダははにかんだ笑みをこぼれさせた。
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