13 浄化の魔法陣
アマンダが目覚めると、すでに正午を回っていた。
身支度を整えたアマンダは用意してもらった軽食で腹ごしらえをすると、ディートハルトたちの元へ向かった。彼らは客間でお茶を飲んでいた。
「おはよう、アマンダ」
「おはようございます、ディートハルト様」
「スッキリした顔をしているな」
ディートハルトはわざわざ立ち上がると、アマンダの顔色をまじまじと見つめる。
(か、顔が近……っ)
ディートハルトの怖いくらい整った顔立ちが迫ると、それだけで焦ってしまう。
「お待たせして申しわけありません……」
「そんなことはない。そもそもお前がいなければどこに魔法陣を設置するべきか分からないのだからな、行こう」
「はい!」
ディートハルトに従い、アマンダたちは水源のある山へ向かう。
馬車で麓まで向かうと、そこから歩きだ。
テンゼント、チアタ、アマンダ、ディートハルトの順番で山道を進んでいくと、木々の間から黒い靄状のマナが見て取れた。
「……ここからでもマナの澱みが分かります。相当、強い澱みです」
「道理で何かがまとわりつくような気がしたわけだ」
ディートハルトは眉間に皺を刻んだ。
「きっとテンゼント様たちが遭遇した魔物は澱んだマナを吸収して、凶暴化した個体だったんだと思います」
急な上り坂を進んでいくが、次第に体力のないアマンダの歩みは遅くなり、前の二人と距離が離れていく。
「大丈夫ですか? 少し休憩しますか?」
チアタに聞かれたが、肩で息をするアマンダは首を横に振った。
「大丈夫です。急ぎましょう」
ディートハルトが手を差し出してきた。
「アマンダ。手を出せ」
「え? あ、はい」
言われるがまま手を出すと、ディートハルトにぎゅっと握られた。
「ディートハルト様!?」
鼓動が跳ねると同時に、頬が火照る。
「こうしたほうがいいだろう」
「で、ですが、手汗をかいてしまって……」
「そんなこと、気にしない」
しばらくすると先頭を進んでいたテンゼントがはっとした顔をする。
刹那、ディートハルトがアマンダを自分の胸へ抱き寄せてきた。
「ディートハルト様!? な、何を──」
「喋るな、舌を噛むぞ」
同時にディートハルトは詠唱すると、空を飛んでいると錯覚するほど跳躍した。
次の瞬間、ディートハルトのいた場所から巨大なムカデの姿をした魔物が地面を突き破り、姿を見せたのだ。
「テンゼント、魔物というのはあれで間違いないか」
「そうです!」
次々と現れる魔物は目に見えるだけでも、ざっと二十匹近くはいる。
シャイイィィィィィ……!
巨大ムカデは口からドロリとした体液を吐き出す。その体液を浴びた木々がみるみる腐っていく姿に、アマンダは息を呑んだ。
巨大ムカデたちはディートハルトめがけ次々と毒液を放った。
「氷壁よ、我らを守れ」
ディートハルトは自分の周囲に氷の壁を展開し、毒液を受け止める。毒液は氷の表面を溶かすことはできても分厚いそれを完全に突破することはできない。
(さすがはディートハルト様だわ。こんな短時間で、あれほど分厚い氷の壁を生み出せるなんて……)
アマンダは、ディートハルトの魔法の腕前に感動してしまう。
さすがは国一番の魔術師だ。
「ディートハルト様! その子は、我々が守りますので!」
テンゼントの言葉に、ディートハルトが冷たい一瞥を向ける。
「私の婚約者を、他の者に委ねるつもりはない!」
アマンダを抱いたままディートハルトはさらに詠唱を口ずさんだ。
無数の氷の礫を生み出せば、それらを魔物たちめがけ飛ばす。
氷そのものの大きさは大人の男の拳くらいあったが、目にも留まらぬほどの凄まじい速度で飛んでいくそれが魔物をズタズタに引き裂く。
ギィィィイイイイイイイイ……!?
魔物たちは悲鳴を上げ、藻掻き、地面の下へ逃げようとするが、ディートハルトは地面に手を置き、「氷結!」と唱えれば、ディートハルトを中心に地面がみるみる凍り付き、魔物たちが地面に逃げ込むのを遮った。
「テンゼント、チアタ、一気に仕留めるぞ!」
「はい!」
テンゼントとチアタはそれぞれ炎、風魔法を魔物たちめがけ放った。逃げ場を失い、パニックになっていた魔物たちは為す術もなく、消滅した。
(すごいわ。これが宮廷魔術師の実力……)
見とれてしまうほどの手並みの鮮やかさだ。
「警戒を怠るな。まだ残党がいるかもしれない」
緊張感を漲らせて周囲に目を向けていたディートハルトだったが、やがて彼のまとっていた緊迫した雰囲気が消えた。
「……全部、仕留めたようだな。アマンダ、平気か?」
「はい。ディートハルト様のお陰です。それにしてもディートハルト様の詠唱、すごく綺麗でした。まるで神々に奉納する詩のようでした!」
心の底から感動したアマンダがキラキラと輝いた瞳でディートハルトを見つめれば。彼ははっとした表情をすれば、目を逸らす。
「大袈裟な……。どれもこれも、大した魔法では……」
「ディートハルト様にとってはそうかもしれませんが、私にとってはそうなんです!」
「そ、そうか」
ディートハルトは小さく咳払いをすれば、「水源へ行こう」と言った。
テンゼントたちの案内で水源まで向かう。
(マナの澱みがどんどん強くなってる……)
呼吸もし辛い。
そして澱みが一際、濃い場所に水源である泉は存在し、濁りきっていた。
アマンダは周囲に目を向ける。
おそらくさっきの魔物たち同様、マナの澱みに引き寄せられ、縄張り争いに負けたであろう別の魔物の骨に混じり、鮮やかな色の石が転がっている。その石の周囲のマナの流れが歪になり、滞っていた。
「これは……魔石、ですね。それもかなり純度が高いです……」
「嵐の影響で崖が崩れ、地中深くに埋まっていた魔石が露出したんだろう」
ディートハルトが魔石を手に取りながら言った。
「確かに魔石が周囲のマナに影響を与えますが、魔石は非常に安定した存在のはず。だからこそ結晶化しているのですから。普通は外部から魔力という刺激を与えない限り、活性化はしないはずではありませんか?」
確かに、とディートハルトたちは魔石を見て回る。
と、ディートハルトがとある魔石を手に取り、「これを見ろ」と言った。
アマンダたちはその魔石を見れば、あることに気付く。
「魔石がところどころ溶解している」
「あ、本当ですね……。もしかして……?」
「さっきの魔物の毒液のせいで一部が溶けて不安定化した結果、純度の高いマナが溢れ出し、周囲のマナの流れを阻害したのだろう」
「清らかな小川に突然、濁流が押し寄せた……そんな感じでしょうか」
「そういうことだ」
「マナの澱みをなくすには魔石を処分しなければいけませんが、これほどの量をどうしましょう」
「私が何とかしよう。魔石を集めてくれ」
アマンダたちは手分けをして、ディートハルトに従う。
ディートハルトは呪文を詠唱すると、魔石はもちろん流出していたマナまで一瞬にして凍結させた。
魔石から流出していたマナに遮られていた、周囲のマナがなめらかに流れはじめた。
まるで堰き止められていた川がスムーズに流れるかのように。
「アマンダ、マナの流れはどうだ?」
「ちゃんと流れるようになりました。ですが、水源のほうは澱んだまま……魔物は地中に潜んでいましたから、土壌そのものもまた汚染されているんですね。浄化の魔法陣……うまくいけば良いのですが」
「やってみよう」
アマンダは水源である泉を包み込むように魔法陣を描いた。
アマンダは黒く淀んでしまっている湧き水が魔法陣の中心にくるように、描いていく。
完成した魔法陣に魔力を注ぎこめば、古代語が、鮮やかな緑色の輝きを放ち、肌を清浄な空気がそっと撫でた。
刹那、濁っていた水源がみるみる底が見えるくらいの透明度を取り戻していく。
「うまくいきました。常時、浄化魔法をかけているような感じですから、時間をかけて土壌に染みこんだ汚染も綺麗にしてくれるはずです」
「すごい!」
「これが魔法陣なんですね!」
テンゼントとチアタが驚きの声を上げた。
詠唱魔法であれば十数人もの優秀な魔術師が数日にわたってやらなければいけない浄化作業が、たったひとつの魔法陣で済んでしまったのだ。
それから日が沈むまでしばらく水源を観察していたが、魔法陣の起動には問題はなかった。
帰りはディートハルトが生み出した光魔法で足下を照らしてもらいながら山を下り、エドワードの元へ帰った。
首尾を報告すると、領主はアマンダに平伏するような勢いで頭を下げる。
「ありがとうございます! 皆様がいなければ、この領地がどうなっていたか分かりません! どうか、お礼をさせて下さい。我が家の家宝の中から、どれでも好きなものをお持ち帰りいただいてかまいませんので!」
「見返りのためにしたわけではありません。それに、とても美味しい食事をいただきましたので、それで十分です」
領主に見送られ、アマンダたちは屋敷を出た。
「アマンダ様、今日はほんとうに素晴らしいものを見せていただきました」
テンゼントたちから頭を下げられ、アマンダは「い、いえ」と慌てた。
宮廷魔術師は魔術師の最高峰と呼ばれる人たちに頭を下げられると困ってしまう。
「アマンダ様。魔法陣についてなんですが、一度、他の者たちの前で講義をしてもらえませんか?」
チアタにそう言われ、アマンダは驚く。
「わ、私がですか!?」
「はい。あの浄化の魔法陣は、常に人手不足の我々宮廷魔術師にとって……いえ、魔物の存在に苦しむ人々を救う希望になるかもしれません」
「私より、ディートハルト様のほうに聞いていただいたほうが……」
「魔法陣や古代語の知識、どちらもお前のほうが私より優れているだろう? 私が説明するより、アマンダのほうが適任だ」
「しかし私は学生の身です。宮廷魔術師の皆様に講義をするなんて畏れ多くて……」
「アマンダ様が学生であるかどうかは関係ありません。あなたには、我々にない魔法陣に対する豊富な知識がございます。ぜひ、お願いしますっ」
改めて頭を下げられ、アマンダは頷く。
「分かりました。そう言っていただけるのなら……」
「では改めてご連絡を差し上げます」
テンゼントたちと別れ、アマンダたちは馬車に乗り込み、タレットへ戻る。
その道中、アマンダは心地良い疲労感を覚えながら、馬車の揺れに身を任せた。
「今日はすごく充実した一日でした。魔法陣が役に立っただけじゃなくて、宮廷魔術師の方々にまで評価してもらえたなんて、まるで夢みたいです」
「これまでお前が博士の遺志を引き継ぎ、築き上げてきたものが順調に花開いた結果だ。誇って良い」
「あはは、そんなことを今言われてしまうと、調子にのっちゃいそうです」
「お前は謙遜が過ぎる時がある。調子にのるくらいが丁度良いだろう」
「全てはディートハルト様のお陰です」
「私の?」
「あなたが私をあの地獄から救ってくれました。ディートハルト様の庇護がなかったら、今も私は叔父たちの元で苦しんでいたんです。どれだけ感謝してもしきれません……」
「人は幸せになるために生きている。誰にもそうなる資格がある」
なんて優しい言葉をくれるのだろう。
(ディートハルト様は魔術師というだけでなく、人としても優れたお考えをお持ちなのね)
「ゆっくり休め」
ディートハルトはアマンダの隣に来ると、そっと肩に腕を回して抱き寄せてくれた。
「あ……」
魔力を使ったり、山登りで疲労した体に、ディートハルトの体温が心地よく伝わる。
彼の腕の中で、目蓋が落ちていく。
幸せな心地よさに包まれながら、アマンダはあっさりと意識を手放した。
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