11 タレットの町へ
気付くと夕方になっていた。
透明感のある青い空が、茜色と暗紫色の混ざり合う複雑な色彩を見せる。
夕焼けに染まった空は、地上で見る時よりもずっと複雑な色をしているのだと、そんなことにさえ感動を覚えてしまう。
「ディートハルト様、あれは……?」
夕日に照らされた山を越えた空に、分厚い黒雲が垂れ込める。
「まずいな。本当はあの山を越えた先にある街に留まるつもりだったんだが、山の向こうはどうやら嵐らしい」
「ではこのまま飛ぶのは危険ですね」
「少し戻ろう」
「どうしてですか?」
「このあたりには宿場町もない。野宿はしたくないだろ?」
「私なら大丈夫ですので、気は遣わないでください。これでも子どもの頃は父と一緒に遺跡巡りで、野宿経験はありますので」
「……そう言うのなら」
ディートハルトがリシューの首を優しく叩けば、降下していく。
森の中の湖の畔に着地した。
最初にディートハルトがリシューから飛び降りると、手を貸してくれる。
「ありがとうございます」
着地すると、少し足下がふらつき、尻もちをつきそうになってしまうところを、ディートハルトが優しく抱きしめるように支えてくれた。
「大丈夫か?」
「! す、すみません……」
すぐそばでディートハルトの美貌を意識するだけで、アマンダは耳まで紅潮させた。
迷惑にならないようすぐに離れようと思うのだが、ディートハルトが腕を回したままなかなか離してくれなかった。
「ディートハルト様?」
はっとした彼は「すまない」と腕をほどけば、そばにあった洞窟へ向かう。リシューと共に中を検め、動物などがいないことをチェックした上で風魔法で洞窟の中を清掃した。
「魔物討伐に出る時には、夜営も珍しくはないからな。すっかり慣れた」
「お手伝いできることはございませんか」
「焚火をするから枝を拾ってきてくれるか?」
「分かりました」
森の中を散策すれば簡単に枝は集められた。
ディートハルトは魔法で火を付けると、アマンダが枝を探している間に、そばにあった小川で獲った魚を枝に刺して焼き始める。
火を囲みながら野外で過ごすなんて初めての経験で、それだけで胸がウキウキする。
パチパチと火の粉を弾けさせる焚き火を眺めているだけでも楽しかった。
「そろそろ焼けたな。ほら」
「ありがとうございます」
魚を受け取ると、ディートハルトに倣い、魚にかぶりつく。
都ではとてもできない体験だ。
身はふっくらして、パリパリの皮が美味しかった。
ディートハルトが念のためにと塩だけで味付けされていることが信じられないくらい、口の中に旨味が広がった。
「こうした調理法で魚を食べるのは初めてですが、美味しいですね」
「ああ、取れたてで新鮮だからな。ほらもっと食べろ」
「ありがとうございます」
焚き火の明かりに照らし出されたディートハルトの彫りの深い顔立ちは美しく、思わず見とれてしまう。と、アマンダの視線に気付いたのか、ディートハルトが顔を上げた。
「どうかしたか?」
「い、いいえ、何でも……」
盗み見ていることがばれてしまい、気恥ずかしさに首を横に振った。
顔が火照るが、焚火の明かりのお陰で、赤面した顔は誤魔化せているだろう。
「明日は夜明け前には出発するから、そろそろ寝た方がいい」
「ディートハルト様は?」
「寝ずの番だ」
「いけません。ディートハルト様にだけお任せするなんて。交代で番を……」
「言っただろう。野宿は慣れているから、心配しなくても大丈夫だ」
「でも私が」
「駄目だ。お前にそんなことをやらせたら博士が化けて出る。慣れていると言っても、アマンダは女性なんだ。分かったな?」
「……分かりました。ではお願いします」
アマンダは、体を丸めるリシューに寄り添うようにして目を閉じた。
♦
タレットの街には翌日の昼過ぎに到着した。そこは宝石や炭鉱などさまざまな鉱物資源が採掘される場所で、商人や鉱山労働者で賑わう。街には飲食や宝飾品を扱う店、宿屋に酒場、鍛冶場が軒を連ね、町全体が活気に満ちていた。
街に入ったアマンダはキョロキョロと辺りを見回してしまう。
市場の露店では宝石の原石が販売されていた。
(綺麗……)
「アマンダ、まずは仕事を先に片付けよう。観光はそれからでもできる」
「あ、はいっ」
頬を赤らめながら、ディートハルトと共にコンウォール商会の支社へ向かった。
店へ入ると、受付係の男性が「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」と物腰柔らかに聞いてくる。
ディートハルトはジョシュアから受け取った手紙を受付係に差し出す。
「少々お待ち下さい」
しばらくすると、支社長のバルカと名乗る男性が姿を見せた。
「書状を拝見いたしました。えーっと……お二人は魔術師で、えー……何かを設置したいとか」
「魔法陣、です」
アマンダが言った。
「ああ、それですね。あなた方の指示に従うよう書かれていたのですが、どうしたら良いですか?」
「まずは事務所を見せてください。魔法陣を設置するのにちょうどいい場所を見つけますので」
「もちろんですとも。どうぞ、ご自由に」
アマンダは事務所を歩き回り、魔法陣を設置するのに一番の場所を見つけた。
早速、アマンダは魔法陣を描き、王都で描いた魔法陣と対になるよう模様を描く。
「それで、良いのですか?」
バルカが興味津々に覗き込んでくる。
「あとはここに魔力を注ぎ込めば、通信ができるはずです」
アマンダが魔力を注ぎ込めば、魔法陣が輝きを放つ。
「──聞こえますか? アマンダです。コンウォール商会タレット支社から連絡を取っております。ジョシュアさん、私の声は聞こえますか?」
アマンダがおそるおそる魔法陣に声をかければ、『……こちら、ジョシュアです! 素晴らしい! アマンダ様。あなたの声が、はっきり聞こえます!』とジョシュアのまるで子どものようにはしゃいだ声が聞こえた。
バルカは驚きに目を瞠った。
「信じられない……ほ、本当にジョシュア様なのですか? 王都の……?」
『バルカか? そうだとも。私は今、王都で帳簿をつけていたところだ』
「すごい。これさえあれば、伝書鳩なんかいりませんね!」
『アマンダ様。あなたの魔法陣は本当に素晴らしい! ありがとうございます! バルカ。滞在中、アマンダ様たちのことをくれぐれも頼むぞ』
「もちろんですとも。──アマンダ様、ここに滞在される間は宿泊費用から何から全てコンウォール商会が出させていただきますので」
「ありがとうございます。ですが、学校がありますから、お気持ちだけありがたく受け取っておきますね」
「とはいえ、日暮れまでは余裕があるから、このあたりを見て回ろう。このあたりでおすすめの場所はあるか?」
ディートハルトが尋ねると、バルカは人当たりの良さそうな笑顔を見せた。
「でしたら、街を出てしばらくいったところに美しい花畑がございます。このあたりは都よりも標高が高いので、平野では見られないような希少な動植物がございます。足を伸ばしてみてはいかがです?」
「どうする?」
「是非、見に行きたいです」
「ではこれを」
バルカは木片を渡してくる。
「うちの商会の割り符です。これを見せれば、街の出入り口にある商会の馬車を自由に使えますので、移動の際にはどうぞご利用ください」
「ありがとうございます」
アマンダたちは店を出ると、まず市場を見て回ることにした。
人を縫うように進んでいる途中、向かいからやってきた人と肩がぶつかり、倒れそうになったが、ディートハルトに支えてもらう。
「平気か?」
「ありがとうございます」
ディートハルトはアマンダの手を握ったまま歩き出す。
大きく男性的な手ごしに伝わるディートハルトの体温に、のぼせてしまいそう。
「もう大丈夫ですから、手は離してくださっても……」
「この人ごみだから、また同じようなことが起こるかもしれないだろ」
「……あ、はぃ」
ディートハルトは向かいからやってくる大勢の通行人からアマンダを守るように盾になりながら、歩き続ける。彼のおかげで誰かとぶつかることを心配することなく歩くことができるのだが、一方で心臓が激しく高鳴り、掻き乱されてしまう。
ディートハルトには何の下心もないと分かっているからこそ、心を乱してしまう自分が浅ましく思えて嫌になってしまうが、こればかりはどうにもならないのだ。
「あの人、素敵じゃない?」
「本当。貴族の方かしら」
「一緒にいるのは恋人かな」
「まさか。あんな地味な子が? お付きのメイドか、妹じゃない?」
擦れ違う女性たちの囁き声が聞こえた。明らかにディートハルトのことを言っているのが分かる。
(世間的にはそういう風に見えるよね……)
ディートハルトと自分が釣り合わないのはわざわざ言われなくても分かっているし、アマンダにもその自覚があるから、怒りようもなかった。ただ改めてそれを突きつけられると落ち込んでしまう。
と、思わず足を止めた。宝石を商っている露店でディートハルトの瞳を思わせる琥珀を使ったブローチが置かれていたのだ。
宝石そのものもそうだが、台座の加工も見事だ。
「これはお目が高い。そちらは本日、入荷したばかりなんですよ。どうですか。ご試着してみては?」
商人がアマンダの視線に気付き、営業スマイルを浮かべた。
「あ、いいえ、大丈夫です。綺麗だなって思っただけなので」
「──付けてみれば良い」
横からディートハルトが言った。
「ディートハルト様!?」
「店主が良いと言っているんだ」
「いえ、ですが買う気もないのに」
尚もアマンダが躊躇っていると、ディートハルトがブローチを手に取り、「動くなよ」と胸に留めてくれる。
「よくお似合いですよ!」
店主が嬉々として告げた。
「これを包んでくれるか?」
「ありがとうございます!」
「い、いけません。こんな高いものを買っていただくわけには……!」
「よく似合っているし、こういうものは一期一会だ。それに婚約者にブローチひとつプレゼントしてやれないというのも情けないだろう?」
「すでに指輪をいただきました。それに私たちは」
仮初めですよね、と言おうとしたアマンダだったが、ディートハルトの優しげな表情に言葉を飲み込んだ。
「ほら」
「……ありがとう、ございます。指輪ともども大切にいたしますっ」
アマンダは喜びに口元を綻ばせれば、ディートハルトは口元を手で覆い、「……そ、そうか。さ、行こう」と歩き出す。
市場を抜けると街の出入り口が見えてきた。そのそばに馬車の駐車場がある。
ディートハルトが商会の割り符を見せると、駐車施設の人間がテキパキと馬車に馬を繋ぎ、御者も用意してくれた。
アマンダたちを乗せた馬車は街道を軽快に走った。
何をするとか目的地は決めず、流れていく景色をのんびりと眺めた。
空は晴れ渡り、風もなく、穏やか。
青空をのんびりと泳ぐ白い雲を眺める。
少し開けた窓からは入ってくる初夏とは思えない涼しい風が前髪を揺らし、その心地よさにうっとりしてしまう。
「あ、花畑というのはあれでしょうか」
「そのようだな」
ディートハルトは御者に言って、馬車を停めた。
先に下りたディートハルトが、アマンダに手を差し出してくれる。
「足下に気を付けろ」
「ありがとうございます」
甘い香りが漂い、蝶がのんびりと飛び回っていた。
「いい香りですね」
アマンダは花を摘み、子どもの頃を思い出しながら小さめの花輪を作る。
「花も種類によって香りが違うものなんだな」
アマンダの傍らに座りながら、ディートハルトが言った。
「そうですね。クチナシは甘くて、ラベンダーはすっきりしていますね」
アマンダは草地にごろんと横になる。
令嬢としてははしたないけれど、こうしていると童心に帰った。
「お父様と、こうしてよく一緒に寝転がったりしたんです。一緒に昼寝をして、夕立に遭って慌てたり……」
思い出し笑いをしてしまう。
「博士も抜けているところがあるんだな」
「お父様は研究のこと以外はかなり抜けていると子ども心にも思っていましたから」
「そうなんだな。……そろそろ昼だな。そばの町で食事でも取ろう」
「はいっ」
ディートハルトがアマンダの手を取り、起こしてくれる。
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