責任
ヨヒアがヴァイスの襟元を両手で掴んだ。ヨヒアは怒りに顔を歪めながらヴァイスに吠えかかる。
「どういうことだ?どいうつもりだ!なぜ、ペレを巻き込んだ!」
ヴァイスは驚く様子もなく、目と鼻の先で怒りを露にするヨヒアへ言う。
「別に無理強いはしていないぜ。炎帝になりたいって言ったのはペレだ。お前を救いたいって一心でな。泣ける話じゃねえか。そこで俺が背中を押すために、色々とやってやっただけだよ」
予想外の回答を聞いたヨヒアが疑問に思った。
(ペレが俺のために炎帝に?あのペレが!?)
ヨヒアの知っているペレは、やんわりと他人を誘導するのに長けた、強かな女だったからだ。
一瞬だけヨヒアの掴む力が緩んだことを確認したヴァイスが、続けて口を開く。
「これでペレは目的を達成するための力を手にする。元の世界には新たなる炎帝が生まれ、パワーバランスが復活する。他の異世界からの防衛力にもなる。どうだ、いい事づくめじゃないか?」
再び締め上げる力を入れようとするヨヒアに向かって、馬鹿にするような顔をしたヴァイスが言葉を投げつける。
「大体、お前がペレについて何か言う資格があるのかよ?それとなく他人を利用しようとするあんな女。ぶっちゃけ、もうどうでもいいと思っていただろう?」
それを聞いたヨヒアが驚いたように目を見開いた。反射的に「そんなことは……」とまで言いかけたヨヒアが上ずった声に、ヴァイスが怒鳴るように声を重ねる。
「だってよ、お前、一度も聞いてこなかったよな。どうやったら元の世界に帰れるか、ってよ?もう、全然帰る気ねえじゃねえか!」
ヴァイスを掴んでいたヨヒアの手から力が失われていく。ヴァイスが力の抜けたヨヒアの手を、うっとおしそうに跳ね除けた。ヨヒアはそれに逆らわない。
「そんなことは……」
そう言いながらヨヒアが逡巡するが、続いて言うべき言葉が思いつかない。
いきなり殴られたような顔をしたヨヒアの首筋に、大量の冷や汗が流れ始めた。
ヨヒアに額を突きつけるように覗き込みながら、ヴァイスが言葉を積んでいく。
「ペレはお前のために身を焦がして炎帝になった。俺は元の世界のために泥を被って炎帝を復活させた。で、お前は何をした?この世界で良い子ちゃんになって、美人とイチャイチャして、ひたすら出世街道をまっしぐらだ」
ヨヒアが口に溜まった唾液を飲み込みながら、慈悲を乞うような目つきでヴァイスを見つめる。
そんな目線を無視して、猛獣が獲物に止めを刺すかのように、ヴァイスが最後の一撃を加える。
「お前が一番、自分のことしか考えてねえ!」
ヴァイスの容赦ない言葉が、ヨヒアに突き刺さった。
(俺は、いや、俺は……だが、しかし。いや、うあ……)
ヨヒアは完全に言葉を失い、ふらつきながら壁際にその背を付けた。何とか膝が崩れ落ちることを防ぎながら、過呼吸になったかのようにぜえぜえと激しく肺を震わせる。全身が冷や汗でびっしょりになっていた。
ヴァイスは満足げな顔をしながら、そんなヨヒアを見下ろしていた。
壁にもたれ掛かっているヨヒアが、何かの波動を感じた。ヨヒアは息を切らせながら頭を上げ、波動を感じた方角へと目を向ける。
ヴァイスも同じ方角に顔を向けながら、楽しそうに呟く。
「誰かが次元を越えて来たみたいだな。次元を越えられるようにした錫杖を置いて来たから、ペレがそれを使ったのかもしれんぞ」
ヴァイスの言葉がヨヒアの鼓膜を揺らすが、ヨヒアはもう反応する気になれない。何も考える気にもならない。
ヨヒアは壁に背を付けながら、ただ茫然としていた。
ヨヒアの耳に誰かが駆けてくるような足音が届く。足音の主が苔むした地面にその靴底を喰い込ませながら急停止する。足音の主はフィオナだった。
フィオナが慌てたように口を開く。
「ヨヒア!こんなところに居たのね!」
フィオナのただならぬ気配を感じ取ったヨヒアが、頭を無理矢理切り替えて、壁から背を離してフィオナの元へと近づいて行く。ヴァイスの存在に気がついたフィオナが、邪魔だと言わんばかりにヴァイスを睨みつける。
ヴァイスはやれやれというように両手を広げると、二人を背にしてその場を立ち去り始めた。
立ち去りながらヴァイスは波動の元を眺め、誰にも聞こえないような声で呟く。
「俺はもう故郷には帰れない。元の世界にあった物は、何もかも失った。ヨヒア。お前だって何かを失うべきなんだ……」
ヨヒアが袖で汗を拭いながらフィオナに尋ねる。
「どうした?何があった?」
フィオナは憔悴し切っているヨヒアを見て一瞬だけ言葉に詰まったが、思い直したように口を開いた。
「先ほどの波動を感じたお父様が、自分じゃないと駄目だと言って、波動の元へ走って行ったの。でも駄目なの。お医者様からはもう戦えないと言われているのに」
ヨヒアはこの世界が再び異世界からの侵攻を受けているという可能性を頭に浮かべた。頭を埋め尽くしていた罪悪感を押しつぶしながら、歯を食いしばり、自分がすべきことを考え始める。
ヨヒアがフィオナを見つめながら指示を出し始めた。
「僕が後を追う。もしも魔王軍の仕業であれば、ここに来た魔王軍幹部たちを逃がすわけにはいかない。そうで無くても、連中に俺たちの動向を知られるわけにはいかない。義父上は僕に任せて、フィオナはここで連中を、それとなく監視していてくれ!」
フィオナは頷いた。そして素早くヨヒアを抱きしめ、心配そうに言う。
「お父様をお願いします。貴方も、気を付けて」
ヨヒアも抱き返しながらフィオナの耳元で「分かった。ここは任せる」と呟く。そして直ぐにフィオナとの抱擁を解いた。
ヨヒアが身に着けたペンダントを握りしめながら、裏庭を助走するように駆け始める。ペンダントが光り輝き、ヨヒアの身体を覆って行く。
光の中から現れた白銀のドラゴンが裏庭から飛び立ち、一瞬で風を掴んだ。軽く旋回をした後で、風を切って目的の場所めがけて羽ばたいていく。
フィオナは胸に手を当てながら飛んでいくドラゴンを見送る。ドラゴンが見えなくなったのを確認すると、胸に置いた手を離して歩き始めた。
胸を覆う恐れと不安を隠しながら、何でもない様子を保つ。そしてゆっくりと建物の表へ、歩みを進めて行った。




