覚醒
自分が魔王軍の密偵であることを告白したヴァイスは、ペレに懺悔するように昔話を始めた。
俺は一時期、この村を飛び出して彷徨っていた。死んだ炎帝をいつまでも祀っているだけの生活に耐えられなくてな。
その放浪の最中に、怪我をしていた魔族に出会った。酷い怪我だったんで、近くの小屋へ連れて行って看病をした。だがその魔族の怪我は重く、日に日に衰弱していった。
その魔族が死ぬ間際に言ったんだ。俺は、魔界から来た魔族だと。そして魔界の家族に俺の遺言を届けて欲しいと。その遺言状と共に魔界に連絡を取る手段を教えてくれた。
俺は半信半疑だったが、魔界には興味があったから試してみた。そうしたら、本当に魔界に繋がった。俺は驚きながらも遺言状を読み上げて、内容を伝えた。その後で、連絡を受けたヤツが言ったんだ。
「我々はその世界とやり取りできる者を探していた。君のような者であれば、我々は信用できる。もし君がよければ、魔界との架け橋になってくれないだろうか?かつて生み出された禍根を、共に乗り越えてくれる者を探していたんだ」ってな。
俺は迷った。迷ったが、受けてみることにした。死んだ奴に頼るぐらいなら、泥を被っても何かをすべきだと思ったんだ。
ペレは信じられないような物を見るような目でヴァイスを見つめながら尋ねる。
「ヴァイス、嘘でしょ……」
ヴァイスが錫杖を振りながら答える。
「嘘でこんな事は言わんよ。禁呪物を集めていたのも、魔界からの依頼だ。連中は次元を超える技術を自分だけの物にしておきたいのさ……」
ヴァイスが錫杖を地面に突いた。「シャン」という音が辺りに響く。ヴァイスが疲れたような声を震わせながら続ける。
「でも、そんな生活も疲れていた。俺ももう終わりにしたい。この世界と魔界との間に挟まれ続けて、頭がどうにかなりそうなんだ。俺は一体何なんだ。何者なんだ……」
ヴァイスが目元を歪ませながら俯き、地面を凝視する。そんなヴァイスを見たペレが、悲しそうな顔でヴァイスを見つめていた。
暫く俯いていたヴァイスが顔を上げた。そしてペレを真っすぐに見据えながら、真剣な顔つきで言う。
「これは魔界経由で手に入れた物だ。連中にしてみれば、炎帝なんて居なくなった方が良いからな」
そして毒見をするように、瓶の中身を一口だけ飲み干した。
ヴァイスが手に持った瓶を突き出しながら続ける。
「もしも今の話が信じられないのであれば、この瓶を投げ捨ててくれても構わない。俺をとっ捕まえて神官に突き出してもいい。俺はペレの選択を信じる!」
真剣なヴァイスの表情を見たペレが、決心を固めた。少しだけ形の崩れた炎帝の火を再びまとめながら、ペレも決心したように言う。
「分かった。私もヴァイスを信じる!」
ペレはそう言うと無言になり集中を始める。炎帝の火を頭上に掲げ、開いた口に注ぎ始めた。全ての炎を飲み込んだペレの手に、ヴァイスが蓋を開けた瓶を握らせる。
ペレは急いでその瓶に口を付け、一気に飲み干した。
ペレが瓶を取り落とした。落ちた瓶は硬い岩の床の上で粉々に砕け散る。ペレが口を抑え始めた。何かを吐こうと試みるが、吐くことが出来ない。ペレが地面に崩れ落ちた。
床へ付いた手に瓶の破片が突き刺さり、地面が赤く染まっていくが、それどころではない。
ペレが縋るようにヴァイスを見上げる。その目に映ったヴァイスは、心配するでもなく、冷静にペレを見下ろしていた。その顔を見た時、ペレは理解した。
「ヴァイス!貴方、私を……!」
ペレが血に濡れた手を握りしめた時、ペレの身体が燃え上がり始めた。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ペレの絶叫が洞窟に響き渡った。
ヴァイスが渡したのは、聖水などではない。魔界から持ち込んだそれらしき瓶に、井戸の水を詰めた物。
ヴァイスの狙いは、ペレに炎帝の火を更に飲ませる事にあった。そこに怒りをくべることで、無理矢理ペレの激情に引火させたのだ。
ペレの身体が赤い責め苦の炎に包まれていく。その皮膚が爛れ、弾け、肉が露になってく。赤髪が燃え上がり、更に赤い炎がなびき始める。ペレは激痛に耐えながら、その炎を御しに掛かる。だが突如として身を覆った大炎は、ペレの手に負えなくなり始めていた。
そんなペレの様子を見ていたヴァイスが、一言だけ呟く。
「駄目か」
炎に蝕まれていたペレの耳に、ヴァイスの心無い言葉が突き刺さる。ペレが泣きながらヴァイスを睨む。流れ出た涙が一瞬で蒸発していった。
ペレが叫び声と共にヴァイスを罵倒する。
「許さない。許せない。こんなの、あり得ない。絶対に、絶対に、絶対に……許さない!」
更なる激情がペレの炎帝の炎に薪をくべ、身体が更に燃え上がっていく。
「もう無理だな……」
ヴァイスはそう言うと、ペレから目を離して後ろを向き、錫杖を振り始めた。「リィン」となったその錫杖の先に、陽炎のような何かが現れはじめる。
「じゃあなペレ。結構、本当に、楽しかったぜ!」
ヴァイスがそう言って陽炎を越えようとした時、その背後に何か違和感を感じた。ヴァイスが振り返る。だが振り返った先に居たのは、ペレではなかった。
魔族の中にはドラゴンの血を引き、その姿を変えられる者が存在する。だがドラゴンの血を引いていれば誰でもドラゴンになれるわけではない。
ドラゴンになる者は、往々にしてその感情が高ぶった時に、初めて自分がドラゴンになれることを理解する。
そしてその条件は、偶然にも、炎帝のそれと全く同じであった。
ペレがその姿を変えていく。
体表が鱗に覆われ、その両手が翼となっていく。
後ろ足がくねり、指から鉤爪が生え始める。
顔が尖り、口から牙が生える。
その全身が責め苦の炎に覆われて、さらに激しく燃え上がる。
ヴァイスの目の前に、竜を象った炎の化身が現われた。
「ゴガアアアァァァァァァ!!!」
ドラゴンが怒りと苦痛のままに、激しい咆哮を上げた。
ヴァイスが目の前の燃え盛るドラゴンを見つめる。
子供のころから伝承で聞かされた炎帝。責め苦の炎に身を焦がし、この世界に君臨した強者。
男である自分では絶対に届かず、かといって仕える意味を見出せなかった不在の神。
それが赤く燃え上がるドラゴンとして、ヴァイスの目の前に現れた。
(凄い……これが、炎帝。ああ、なんて、美しいんだ……)
そのあまりの凄まじさと神々しさに、ヴァイスは我を忘れて思わず魅入ってしまった。
咆哮を終えたペレがヴァイスを睨みつけ、その口を開く。ヴァイスは我に返ったが、間に合わない。
ペレの喉奥から凄まじい火炎が流れ出し、棒立ちになっていたヴァイスを襲う。ヴァイスが叫び声も上げられずに、炎へ飲まれていった。
暫くの間火炎を吐き出していたペレは、疲れたようにその息吹を止める。それと同時に「リィン」と錫杖が鳴り、支える者が居なくなった地面に倒れ落ちた。
ヴァイスが居た場所には、錫杖以外は何も残されてはいなかった。




