禁じ手
ヴァイスが自分の部屋で壁に向かって立っている。その手には錫杖が握られていた。
机の上に置かれた蝋燭の灯りが、闇の中のヴァイスと錫杖を照らす。ヴァイスの瞳は闇の中で瞳孔を広げながら、かすかな光をその目に集める。
蝋燭に照らされた錫杖の輪は、ほのかに鈍く輝いていた。
ヴァイスが集中しながら壁に向かって錫杖を振るう。すると「リィン」という音ともに、錫杖の向けた先に陽炎のような物が現れ始めた。ヴァイスが陽炎に手を伸ばすと、手から先が陽炎の中に消えていく。暫くもぞもぞとした後で、陽炎から腕を引き抜いた。引き抜いた手には、古めかしい意匠の瓶のような物が握られている。掴んだ物を確認したヴァイスが、何かに向けて呟くように言う。
「受け取った物を確認した。問題無さそうだ」
ヴァイスの耳に何かが答えたのか、頭に付いた耳がひくひくと動く。ヴァイスが再び錫杖を振ると、陽炎は一瞬でその姿を消した。
ヴァイスが錫杖を机に立てかけ、卓上の蝋燭を吹き消した。部屋は更なる闇に包まれ、輝きを失った錫杖が闇の中に埋もれていく。
ヴァイスは闇の中で目を輝かせながら部屋の扉を開き、そのまま廊下へと出て行った。
ヴァイスが居間へ行くと、ペレが食卓に腰かけていた。ペレは体を折りたたむようにして、食卓に上半身を乗せている。赤髪が机の上へ咲くように広がっていた。
ペレがヴァイスの気配に気がつくと、顔だけを起こして笑みを浮かべながら話し始めた。
「お母さんならまだ祠にいるよ。炎帝の命日の準備が忙しくて、帰るのは遅くなるみたい」
ヴァイスがペレを見つめながら言う。
「そう言えばそうだったな。じゃあ夕飯はなんか適当に喰うか」
そう言ってヴァイスが食料棚を漁り始めた。棚の中にはパンやら干し肉、山菜、果物などが詰め込まれている。棚を漁っているヴァイスの後ろから、ペレが声をかける。
「この村はいい人たちばかりね。私みたいな魔族にだって優しいし」
ヴァイスが棚を漁りながら、振り向かずに答える。
「ここは炎帝に仕える者が暮らしているからな。炎帝に信仰を捧げる者であれば公平に扱う。炎帝の炎を取り込んだペレは猶更だろうな」
だからペレはヴァイスの家での居候が許されているのだ、とまでは言わない。ヴァイスが続ける。
「前の砦ではどうだったんだ?上手くやっていたように見えたが」
ペレが思い出すような様子で答える。
「やっぱりドワーフと魔族の間では少しだけ溝はあったわね。ヨヒアは特に不満そうだった」
手に肉や果物を抱えたヴァイスが机の近くまでやって来た。机に伏せっていたペレが顔を上げる。その顔には乱れた赤髪が数本張り付いたままになっていた。ヴァイスが机の上に食材を並べながら言う。
「ヨヒアのヤツはあるところまで行ってから、何かの壁にぶち当たったのかもな。まあどこにでもそう言うのはある。ペレは無かったのか?」
料理の出来ない二人は、そのままで食べられそうな食材を見繕う。
ペレが机の上に並べられたリンゴを手に取って一口だけ齧る。シャクシャクと咀嚼して飲み込んだ後で、不満げに齧ったリンゴを机の上に置いた。ペレが机の上に置いたリンゴを指で転がしながら言う。
「私はあんまり。みんなとは上手い事やっていたし、何かあったらヨヒアが何とかしてくれたし……」
ヴァイスが干し肉をナイフで切り取りながら尋ねる。
「ヨヒアか……千手騎士に連れていかれてからもう一年ばかし。アイツは無事なんだろうか?」
その言葉を聞いた瞬間、ペレが目元歪ませた。ペレが齧りかけのリンゴに爪を立てて握りしめながら、絞り出すように声を出す。
「千手騎士!アイツ……私を騙して!」
そんなペレの様子を、目を細めて見ていたヴァイスが言う。
「ペレはそのために炎帝を目指すんだったしな。炎帝には成れそうか?」
ペレが握っていたリンゴを机の上に置いた。リンゴにはペレの爪痕が残されている。ペレがリンゴを眺めながら答える。
「分からない。そう言えばヴァイスはやけに炎帝にこだわっている気がするけど、自分が炎帝になろうと思ったりはしないの?ヴァイスも魔法は上手いんだし、炎帝の火を取り込むことは出来るんじゃないの?」
切り取っていた肉を口に放り込んでいたヴァイスは、軽く咀嚼した後でゴクリと嚥下してから答える。
「炎帝は代々女がなると言われている。男も何度か挑戦したらしいが、ことごとく失敗した。何でも炎帝となるために宿す責め苦の炎の痛みに、男は耐えられないらしい」
机に肘をついたペレがリンゴを突っつきながら呟く。
「やっぱり炎帝になると痛いのかな。苦しいのかな……」
炎帝の纏う責め苦の炎は消えない炎。その炎に焼かれ続ける痛みは尋常でないと言われている。だからこそ炎帝に仕える者は、その炎を自ら身に宿す炎帝の候補者に敬意を払うのだ。
ヴァイスが机に肘をついているペレを見つめながら言う。
「ペレは後悔しているのか?炎帝の炎を取り込んだことを」
炎帝になったところで次元を越えられる確証も無い。だがその代償は尋常でない。ペレは無言で目を伏せた。
ヴァイスがその様子を見て、口元を引き締めた。
ヴァイスが小さくため息をついてから言う。
「俺は少し後悔している。復讐のためとはいえ、ペレに炎帝の炎を取り込ませたことにな。復讐なんてもっと早くやめさせるべきだったんだ」
ヴァイスの言葉を聞いたペレが、驚いたように顔を上げた。ヴァイスが顔を伏せ、くぐもった声で絞り出すように言う。
「ペレがこの村に来てから、毎日が明るくなった。母さんも楽しそうだしな。こんな日が続くなら、それも良いなと思ったりもした」
ペレが表情を隠すように顔を伏せた。顔を上げたヴァイスが続ける。
「実は、炎帝の炎を消す方法がある」
ペレが思わず顔を上げてヴァイスを見つめながら、問いただすように口を開いた。
「そんな方法があるなんて聞いたことが無い。本当にあるの?」
ヴァイスが答える。
「ああ。とても例外的な禁じ手だから、一般的には知られていない。わざわざ炎帝の候補を減らすわけだからな。知っていても教えてくれないのさ。だからそれを使っても、誰もペレが炎を失ったことに気がつかない。俺はペレにこれを使って欲しい」
ペレが身を乗り出しながらも、口を抑えながら言う。
「でもそんなことをしたら……」
ヴァイスが真摯な目でペレを見つめて言う。
「バレたらただでは済まない。それでも俺はペレにそうして欲しい。そして一緒に居て欲しい。これからも」
ペレは恥ずかしそうに両手で顔を抑えて、顔を伏せた。そして顔を上げると、満面の笑みを浮かべてヴァイスを見つめながら「嬉しい」と呟く。
ペレは椅子から立ち上がると、机を回ってヴァイスの方へと向かった。そして自分の手のひらを机の上のヴァイスの手に重ねながら、妖艶な笑みを浮かべながら囁く。
「お義母さん、まだ遅くなるわよ……」
ヴァイスは重ねられたペレの手を握りしめると、椅子から立ち上がる。そしてペレの肩を抱いて共に居間から出て行く。
机の上には、一口だけ齧られたリンゴだけが残されていた。




