竜騎士
雲一つない蒼天の空の元を、白銀のドラゴンが翔ける。
前腕と四本の指が支える翼膜で風を掴み、ゆっくりと優雅に滑空する。ドラゴンはそのまま左右の翼を交互に傾け、大きく旋回し始めた。旋回は成功し、流れるようにその軌道を変えていく。
旋回を成功させたドラゴンは、続いて左右の指を複雑に動かし、急旋回を試みる。だがその時、風をつかみ損ねた右腕が大きく空ぶった。左手だけが風を掴んだことでバランスを崩し、空中で転がるように風の道から転落していく。
ドラゴンは一度両手を縮めると、大きく左右の翼を広げて落下の速度を落としていく。地面へ叩きつけられる寸前に自重と釣り合った浮力を利用して、何とか草原への着陸を成功させた。
着陸したドラゴンの身体が光り輝き始める。光の中でドラゴンからより小さな人型へと変えていく。
光の輝きが終わるころには、そこにヨヒアの姿があった。
墜落死しそうになったヨヒアは、疲れと恐怖で全身が汗だらけになっている。そのまま倒れるように草原へ大の字になった。
「危ない。死ぬところだった……」
ヨヒアはボソリと呟いた。
ヨヒア達がこの世界に来てから三か月ほどが経っていた。
千手騎士は何度かペレへの連絡を取ろうとしていたようだが、ペレからの交信が無ければそれも無理らしい。それで帰る手段が見つかるまでは、千手騎士が面倒を見てくれることとなった。
突然呼び出されたにも関わらず奮闘したヨヒア達は、騎士たちが治めるこの世界で敬意を勝ち取ることに成功していた。待遇などは元の世界にいた時よりも良いぐらいだ。戦いに参加しなかったドワーフたちも、武器の手入れをする技能が評価され、その面で活躍をし始めている。
そんな訳で初めの内は元の世界へ帰りたそうにしていた仲間たちも、最近ではこの世界に腰を落ち着けるような素振りを見せ始めていた。
寝ころんでいるヨヒアは、誰かが近づいて来る気配を感じた。だが疲れ切ったヨヒアはその体勢のまま空を見上げている。するとその誰かがヨヒアの顔を覗き込むように、頭上からひょこりと顔を出した。
切れ目の長い目に黒曜石のような黒い瞳が輝き、長い鼻梁に長い黒髪を持つ若い女性だ。上品な白絹の長衣が均整の取れた細身を纏っている。逆さに映る女性がヨヒアに声をかける。
「もの凄い勢いで落下していましたが、大丈夫でしたか?」
その顔を見たヨヒアが慌てて身体を起こすと、跪礼を取り始めた。
「フィオナ様。無様な様子をお見せしてしまい、誠に申し訳ございません」
フィオナと呼ばれた女性が慌てた様子で押しとどめるように、両の手のひらを突き出しながら言う。
「いえいえ、私こそ突然声をお掛けしてごめんなさい。その御様子なら大丈夫そうですね。楽になさってください」
そう言われてヨヒアが立ち上がった。フィオナがヨヒアを見上げながら尋ねる。
「ヨヒア様はここの生活には慣れましたか?」
ヨヒアは笑顔を浮かべながら答える。
「ええ、皆さんには良くして貰えていますし。仲間も満足そうです。飛ぶのにはまだ慣れませんが……」
そう言って頭を掻くヨヒアを見て、フィオナが口に手を当てながら「ふふふ」と上品に笑う。
そんなフィオナにヨヒアが尋ねる。
「そう言えばフィオナ様は、何故このような場所へ?」
ここは城から少し離れた場所にある草原だ。最近では人気が無いこの場所で、ヨヒアが飛行練習を行っている。
フィオナが後ろを振り返って答える。そこには杖を突いて歩く千手騎士の姿があった。
「お父様が散歩をしたいと申しましたので、その付き添いに。まだ怪我が治り切っていませんので……」
そう言ってフィオナが目をしかめる。千手騎士がこちらに近づいて来ているのを見て、フィオナが慌てて近くへと走っていく。ヨヒアもフィオナについて千手騎士の元へと向かって行った。
千手騎士の元にフィオナが近づき、窘める。
「ご無理をなすっては駄目です。お父様!」
娘に叱られた千手騎士は苦い顔をしながら言う。
「お前は本当に心配性だな。少しは歩かないと駄目だと、医者にも言われている」
そう言って笑っている千手騎士の足をヨヒアが見つめる。噂では千手騎士が魔王軍との戦いで負った傷は大きく、完治は難しいだろうとのことだった。
ヨヒアの目線に気がついた千手騎士が、ヨヒアに声をかける。
「貴公もそんなに心配するような目で吾輩を見ないでくれ。一気に歳を取ったような気分になって敵わん」
ブツブツ文句を言い始めた千手騎士をみて、ヨヒアは顔を上げて少しだけ笑う。そして話題を変え始めた。
「戦いはまだ続くのでしょうか?魔王軍との講和が上手く進んでいないとお聞きしました」
その言葉を聞いた千手騎士がヨヒアを一瞥してから、その口を開いた。
「講和の条件で揉めている。魔王軍が一方的に攻めて来たのだから、何らかの賠償を支払わせるべきだという声が大きい。これは最もな話ではあるのだがな……」
そう言って千手騎士が口を噤んだ。
この世界の最高戦力である千手騎士が、現在戦闘不能状態にある。それ以外の騎士たちにも重傷者が多く、継戦は難しい状態になっていた。
その一方で、異世界を渡って侵攻している魔王軍の損害も馬鹿にはなっていないという声もある。もう少し戦ってでも有利な条件を引き出すべきではないかという意見も根強い。
戦線と共に交渉も停滞し始めていた。
ヨヒアが気まずそうに口を開く。
「この世界に来てから良くして頂いているのに、お役に立てず申し訳ありません」
ヨヒア達は客人の立場という事もあり、最初の戦い以降、戦闘には参加していない。
魔族であるヨヒアは、敵対しているのがそのルーツである魔王軍という事もあって、戦いに参加出来ていないことに引け目を感じていた。
そんなヨヒアを千手騎士が意外そうな顔をして見つめながら言う。
「貴公らは吾輩が半ば無理矢理連れて来たのだ。文句を言うならばまだしも、その様に後ろめたく感じる必要は無いはずなのだがな……」
千手騎士は暫く考えるような素振りを見せた後で、思いついたように口を開いた。
「貴公がよければなのだが、騎士として正式に吾輩に仕えては貰えないだろうか?」
それを聞いたヨヒアとフィオナが、千手騎士を同時に見つめた。ヨヒアが思わず聞き返す。
「しかし私は魔族です。現在魔王軍と戦っているのに、私などが騎士になっても良いのでしょうか?」
千手騎士がヨヒアを見つめながら言う。
「貴公の奮闘と献身を見ていた吾輩は、貴公を疑ってはおらん。それにこれから停戦を迎え、何らかの形で魔王軍とのやり取りは起こるだろう。その中で魔族である貴公の立場は、我々にとっても重要な存在になるはずだ。私に二言は無い。これは貴公の意志による選択の問題だ。どうする?」
千手騎士の言葉を聞いて、ヨヒアはその顔を地面へと向けた。嬉しかったのだ。
ヨヒアは頭を下げたままで千手騎士の前で跪き、暫くの間涙を堪えてから、無言で顔を上げる。
千手騎士が剣を抜いた。フィオナが千手騎士の傍らで身体を支えながら剣に手を添える。千手騎士とフィオナの握る剣の平がヨヒアの右肩に置かれた。そして剣を上げると、続いて左肩に置かれる。
千手騎士が宣告する。
「貴公は吾輩を正当なる主君と認め、忠誠を誓うか?」
ヨヒアは千手騎士を見上げながら答える。
「はい。誓います!」
フィオナもヨヒアを見つめ、笑みを浮かべながら言う。
「これで貴方は正式な騎士となりました。私が証人となりましょう!」
草原に風が吹き、草が揺れ動く。雲一つない蒼天の元で、騎士の授与が終わった。
この日、この世界で初めてとなる、ドラゴンの騎士が生まれた。




