故郷
「ふむ、この錫杖に付いている金属の輪は特に関係ない。杖そのものに手を加えればいいのですね」
ヴァイスが自分しかいない木造の個室で、誰かとブツブツ話しながら、机の上に置かれた錫杖を指でなぞっている。部屋のつくりは簡素で、ベッドや机以外の家具は殆ど置かれていない。机の近くの床には古びた本が積まれているが、他には何もなかった。
ヴァイスが机の引き出しにしまわれた小刀を取り出した。その刃先に刃こぼれが無い事を確認したヴァイスは、左手で抑えた錫杖に向けて右手で器用に持った小刀を向ける。息を止めて集中し始めたヴァイスが、その刃先を錫杖の持ち手に立てようとした瞬間だった。
「ちょっとヴァイス!起きてるー?」
部屋の扉を乱暴に叩く音と共に、ペレがヴァイスを呼ぶ声が聞こえる。うっとおしそうに頭の上に付いた耳をピクピクと動かしたヴァイスが、息を吐きだすと共に小刀を持つ手をずらし、目を閉じながら天井を仰ぐ。
ヴァイスは舌打ちをすると、小刀を机の上に置いて扉の方を振り向き、大声で叫びかえす。
「なんなんだよ。今は忙しいんだ」
その言葉を合図とするように、ペレが扉を開け放った。そこには白と紅の生地で彩られた衣装を着たペレが、自慢げな表情をしながら立ちはだかっている。
ペレが腰に手を当てながら、ヴァイスに声をかける。
「どう?」
ヴァイスが露骨に面倒くさそうな表情を浮かべながらペレを見つめる。ペレの赤髪が炎帝を祭る神官の衣装と馴染んでおり、似合っていると言っても良いだろう。
だがそれを伝えるのは癪だったので、ヴァイスは面倒くさそうな表情のままで答えることにする。
「何が?」
ペレが「分かっていないな」という表情を浮かべながら言う。
「ちょっと、ヴァイス。貴方って節穴なの?なんかもうちょっと気の利いたことを言いなさいよ!」
ヴァイスは頭に付いた耳をうるさそうに倒しながら「はいはい、似合ってますね」とだけ答えると、扉を背にして机に向かった。
ヴァイスの様子を見たペレは不機嫌そうな声で「はあ、忙しいって、男はどいつもこいつも……」とブツブツ言いながら、部屋の扉を開けたままでどこかへ歩いて行った。
ヴァイスはため息をつきながら立ち上がると、扉へと近づいて行く。扉を閉めようとして扉ノブに手を掛けた瞬間、年老いた白虎の獣人がひょっこりと顔を出した。ヴァイスの母だ。
母がペレの後ろ姿を見つめながら言う。
「アンタが女を連れて来るなんてどういう風の吹き回しかと思ったけど、凄く可愛い子じゃない。アンタ案外やるわね!」
ヴァイスはうんざりし切った顔で母に言う。
「アイツはそんなんじゃない。仕事の関係でたまたま連れてくる流れになっただけだ」
ペレを連れて来てから、母からの話題の殆どがこの流れになっている。そんなうんざり気味のヴァイスへ、母はニヤニヤとした顔をして見つめながら言う。
「はいはい。そういう事にしておいてあげる。じゃあ私はあの子を炎帝の祠に連れて行くから、アンタも後から来なさい」
そう言うと母は、ペレの後を追うようにその場を去っていった。
ヴァイスは深いため息をつきながら、無言で扉を閉めた。
砦の一件の後、ヴァイスはペレを連れて故郷の村へと連れて帰って来た。炎帝の祠が近くにあり、村には炎帝を祭る神官や巫女が住んでいる。ヴァイスの母もまた炎帝に仕える巫女であった。ヴァイスは母の伝手を使って、ペレを炎帝の祠へ近づけようと考えたのだ。
だが久しぶりに帰還した息子が女性を連れて来たのを見て、母親は完全に勘違いをしている。ヴァイスが何度訂正しても、認識を改める気が無い。
ヴァイスがほぼ完治している足を撫でながら、帰って来てからのペレの様子を思い出す。
(ペレのヤツ、最初はそんな感じじゃなかったのに、最近では母のノリに完全に同調してきている。一体何なんだ?ヨヒアを取り戻すんじゃなかったのか?)
ヴァイスがペレを連れて来たのは、ペレに炎帝への道を進ませるためだ。炎帝には魔法使いとしての素養の他に、高ぶる感情の激情が必要になる。砦で見たペレの怒りの様子を見て、ヴァイスはペレがその条件を満たしていると考えた。
だがここに来てからのペレの様子はそうでない。やけに満足そうにしており、怒りなど完全に忘れたかのように振舞っている。
(女心は良く分からん……)
ヴァイスは内心で愚痴りながら、撫でている足を少しだけ庇うようにしながら立ち上がった。立ち上がったヴァイスは机の上に置かれた錫杖を見ながら独り言ちる。
(祠の神官にペレを確認してもらってから考えよう。場合によっては何か手を考えなければいけないかもしれない……)
ヴァイスは錫杖から目を離すと、自分も祠に向かうため、部屋の扉へと向かって行った。




