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情けない叫び声とともに、私は急勾配の石造りの階段を豪快に転がり落ちた。
視界がぐるぐると360度回転する。一段、二段、三段……ゴツン、ゴツンと頭を打ち、肘を擦りむき、背中を階段の角で強打しながら、私は最下層の踊り場まで一直線に転がり落ちていった。
ドスン!
派手な音を立てて仰向けに倒れ込んだ私の上空で、階段の上から冷ややかな声が降ってきた。
「あら……? 突き落とした感触が案外軽かったですわね。……あら嫌だわ、間違えましたわ。似たような色の服を着ているから、てっきりあの生意気な泥棒猫かと。まあ、誰だか存じませんけれど、そこに転がっている方もお気をつけあそばせ? ほほほほ!」
オクタウィア様は高価な扇子で口元を覆うと、階段の下で倒れている私を一瞥することすらなく、優雅な足取りでカツカツと去っていった。
「まちが……えましたわ、で……すまされるかい……ッ!」
床にへたり込んだまま、私は全身を襲う激痛に身悶えした。
骨は……神の加護か奇跡的に折れていないようだが、全身激しい打撲である。肘からは薄っすらと血が滲み、制服のあちこちに埃と擦り傷がついている。血の涙を流しそうになりながら、私は心の中で叫んだ。
間違いで階段から突き落とされて「まあいいですわ」で済まされるモブの理不尽さ! 悪役令嬢ならここでイケメン王子が駆けつけて介抱してくれるお約束展開があるかもしれないが、私はただの通りすがりの被害者Aだ。
「うぅ……痛い……立ち上がれない……誰か、誰か助けて……」
冷たい石畳の上でへたり込み、情けない声を漏らしていたその時だった。
カツン、カツンと、洗練された高級な革靴の音が階段の上から近づいてきた。
重厚で気品ある足音。誰かが私に気づいて助けに来てくれたのだろうか?
そう思った直後――
ドスッ。
「ふべっ!?」
私の腰から背中にかけ、容赦のないズッシリとした体重がかかった。
靴音が、倒れている私の背中をダイレクトに、かつ確かな手応え(踏み応え)とともに踏みつけたのだ。踏み台にされた人間の肋骨が悲鳴を上げる。
「おや失礼。こんなところに踏み台……いや、見知らぬ令嬢が倒れていたとは。怪我はないかい?」
背中を踏みつけられた衝撃で肺の空気が出し尽くされ、呼吸が止まりかけた私の上から、まるで鈴の鳴るような恐ろしく透き通った美声が降ってきた。
痛みで涙目になりながら見上げると、そこには昼の光を反射して輝く眩しい金髪をファサと揺らし、心配そうに(しかし視線は明後日の方向を向きながら)優しく手を差ししのべる青年がいた。
第一王子、ルキウス・アルビヌス殿下その人である。
彫刻のように美しい顔立ち、溢れ出る王族としての気品、そして傷ついた令嬢に手を差し伸べるその姿。
背中を踏まれた強烈な激痛すら一瞬で吹き飛ぶほどの、完璧で絵画のような王子様の降臨であった。
(つ、ついに来た……!? これが転生者の特権、イベント発生ってやつ!? 階段から落ちて傷ついた可哀想な私を、王子様が抱き起こして『大丈夫かい、可憐な少女よ』って甘い言葉をかけてくれるやつ……!?)
不運続きだった私の人生に、ついに春が訪れたのかもしれない。
不運と影の薄さに泣かされてきたモブ令嬢の、大逆転シンデレラストーリーが今、ここから始まるのだ!
私は込み上げる期待に胸を躍らせ、傷ついた頬をぽっと赤らめた。
そして、擦りむいて泥がついた手をそっと王子の美しく差し出された手に伸ばし、上目遣いで王子を見つめながら、弱々しく立ち上がった。そして、うつむき、モジモジと語る!
「あ……あの、殿下……! 私、大丈夫ですわ……。踏んづけて……いえ、助けてくださりありがとうございます。その……少し階段から転んでしまっただけで……でも、殿下がこうしてお優しく声をかけてくださったおかげで、体の痛みがスーッと和らぎましたの……っ」
甘い吐息を交えながら、前世で読んだ少女漫画のヒロインになりきって演じきる私。
さあ、その手で私を優しく抱き寄せ、名前を聞いてくれるがいい、殿下!
……しかし。
「……殿下?」
差し伸ばした私の手が空を切った。
不思議に思って目をパチパチと開けた私は、その場の光景に絶句した。
ルキウス殿下は、すでに私の横を何事もなかったかのように通り過ぎ、十メートルほど先の廊下で、後から追いついてきた側近の騎士と笑顔で歓談しながら歩いていたのだ。
「……え?」
「殿下、今の令嬢はどなたでしたか?」
遠くから、側近の騎士マルクスが怪訝そうな顔で殿下に尋ねる声が風に乗って聞こえてくる。
「さあね。だが無事だと言っていて何よりだった。ところで名前は分かるか、マルクス?」
「いいえ、存じ上げませんね。この学園にあのような令嬢がいたでしょうか……?」
「そうか。私も見かけない者で暗殺者かもしれないと思ってすぐに去ったのだが、ただの壁に向かって一人で熱心に語りかけている不思議な令嬢だったが……まあ、怪我がなくて本当に良かった」
廊下の向こうで、ルキウス殿下は「うんうん」と一人で納得したようにうなずいている。
……待ってほしい。せめて名乗らせて欲しかった。
だが、さらに最悪な状況が私を襲った。
「ねえ……見なさいよ、あの人……」
「階段のところで、誰もいない壁に向かって一人で手を伸ばして、うっとりした顔で喋ってるわ……」
「……怖いわね。関わらないようにしましょう……」
休み時間になり、たまたま階段の吹き抜けを通りかかった他の生徒たちが、足を止めて私を遠巻きに見つめていた。
彼女たちの視線の先にいるのは誰か。
階段の最下層で、泥と埃にまみれ、擦りむいた手を空中に伸ばしたまま、うっとりとした表情で壁に向かって甘いセリフを囁いていた痛々しい少女――私、クラウディア・カシウスである。
「ち、違うの……! 今のは殿下が……殿下がそこにいて……っ!」
言い訳をしようと口を開かけたが、周りの生徒たちはひっと短い悲鳴を上げると、気味の悪いものを見る目でサッと目をそらし、距離を取って去っていった。
誰も私を「カシウス男爵家のクラウディア」だと認識していない。
ただ「誰もいない壁に向かって一人芝居を始めるヤバい不審者」としてしか認識されていないのだ。
「う……ウソでしょ……」
激痛に耐えながら、私はポケットの中から潰れた自家製の乾燥芋を取り出し、ガクガクと震える手でそれを口に運んだ。
硬い芋の味が、涙が出るほど口の中に広がる。
絶大な魔力もない。
悪役令嬢としての華やかな美貌もない。
王子様との甘いイベントどころか、全校生徒に「壁と喋る不審者」認定されるという最悪のスタート。
「神様……私の第二の人生、前途多難すぎませんか……!?」
誰もいない静かな階段の踊り場で、私の悲痛な心の叫びだけが虚しくこだましていた。




