メガネと女神
刹那、眩い光が溢れ……迫っていた槍が消える。
「ひめ、か……?」
驚いて彼女を離す。
と、ヒメカは光を放ち……その背から、桃色の翼をばさっと出現させた。
髪がうねりながら伸び、ピンク髪と金メッシュの色が反転する。
星の粒を集めたような冠が頭を飾り、その瞳が黄金色に輝く。
まるで、太陽。
常闇を切り裂く絶対的な光源のように、彼女はそこに君臨した。
「――彼は、『あたし』のファーストキスの相手……虫けらだなんて呼ばれたら悲しいわ」
ヒメカの顔。
ヒメカの声。
けど、ヒメカじゃない。
まさか……
『――艿那与比咩……貴様、死んだはずでは……?』
アメノの断片の声が降る。
やはり彼女は…………逝去したはずのニナヨ神?
「――ふふっ。相変わらず面白いひと。私たちは肉体なき思念体……弱ることはあれど、死ぬことはない。あなただってそうでしょう?」
……そうか。
やはり、ツバキさんの予想は当たっていたんだ。
十五年前の戦いで、ニナヨ神は力を使い果たし、一度現世を去った。
そして、力を蓄えるため、人間に転生した。
そうして生まれたのが、ヒメカ――ニナヨ神を祭る神社で拾われた、親のない子供。
桁外れの与魔力を持つ、愛に溢れた少女。
「――せっかくひと時の休暇を楽しんでいたのに、野暮な邪魔をしてくれたものね。でも、そんなところも好きよ。天辞代命?」
『――黙れ』
「――お願いだから、そのお手々をしまってくれない? あなたとは戦いたくないの。いつも言ってるでしょう?」
『――…………』
アメノの断片は答えない。
代わりに、巨大な手でヒメカを――ニナヨ神を強く握り締めた。
「――……そう。残念。それでも私は、あなたが好きよ? けれど――――他のふたりは違うみたい」
――直後。
さらに巨大な光る手が虚空より現れ、ニナヨ神を握るアメノの手を、ブヂッと引きちぎった。
アメノの枯れ枝のような手が、黒い塵となって消える。
続けて、断片の泥のような身体を、これまた巨大な物体が踏み潰す。
あれは……招き猫。
神々しい光を放つ、黄金の招き猫だ。
『――無事か? 艿那与比咩』
「――まぁ。白夜礼淵神に、深水主命。久しぶり。元気にしてた?」
『――そりゃこっちのセリフだ。少し見ねぇウチに小さくなりやがって。景気の悪い』
僕は唖然とし、目を疑う。
どうやら、あの筋肉質で巨大な手が健の神・シラヤで、金色の招き猫が財の神・ミスミらしい。
古来よりニッポンを守護してきた三柱が今、一堂に会している……まるで神話だ。
「――違うのよ。まだお休みしているつもりだったの。でも……この子の甘い接吻のせいで目が覚めちゃった。ふふ。欧の国の御伽話みたいでしょう?」
……もしかして、僕がキスしたせいで、ヒメカの中のニナヨ神が覚醒したのか? なんて畏れ多い。
『――なんでぇ、艿那与はまだ休暇中か。なら、あと百年はこいつを黙らせねぇとな』
『――うむ。義を弁えぬ奸賊は、我が許さぬ』
招き猫に潰され、光る剛拳に握られ、アメノの断片が小さくなってゆく。
僕ではまるで歯が立たなかったのに、圧倒的過ぎる力だ。
黒い泥団子のようになったアメノの断片に、ニナヨ神が静かに近付く。
そして、その小さな団子をそっと両手で掬い、
「――いつも邪魔してごめんなさいね? でも、人の子たちを護るには仕方がないの。だって、あなたは死なないけれど、人の子は容易く死んでしまうでしょう?」
『――……っ……』
「――大丈夫よ。あなたのおこないは見過ごせないけれど……私は、あなたも愛している。だから――またいつか会いましょう?」
そう言って、ニナヨ神は――アメノの断片に口付けをした。
まるで、微睡む子供の額に、夢を落とすように。
泥団子のような断片の表面が、白く乾きひび割れてゆく。
そして、
『――嫌だ……誰か、我を……我だけを…………愛…………』
そう、何かを言いかけて。
アメノの断片は真っ二つに割れ……砂になって、消えた。
同時に、空が晴れた。
暗雲もオーロラも今度こそ消え、アメノが齎していた重い空気から解放される。
と、
「――リィト! 無事か?!」
下方から、ツバキさんが飛んで来た。
アメノに遮断され、介入できなかったのだろう。ひどく焦った顔をしている。
「僕は大丈夫です。けど……状況は、ガチでヤバイです」
なんて、ヒメカみたいな語彙力を発揮してしまう。
だって、ヒメカがニナヨ神で、他の二柱も降臨して、アメノの断片を殲滅しただなんて。大事すぎて、一口には説明できない。
しかし、僕の恐縮をよそに、ニナヨ神はけろっとした顔で手を上げる。
「――あら、椿妃じゃない。久しぶりね、元気だった?」
……え、親戚のおばさんか何か?
と、思わず不敬なツッコミをしそうになる。
「あはは。やっぱりヒメカの中にいたのですね、ニナヨ様。お久しぶりです。ミスミ様にシラヤ様も」
「――んもう、私の介入ありきで作戦を立てたわね? 言ったでしょう? 来世は精神動力を蓄えるために人の子になって恋愛を楽しむって。向こう百年は休ませてってお願いしたじゃない」
「すみません。妹を奪還できる絶好の機会だったので、私も背に腹はかえられず、貴女を頼ってしまいました。でも、これからは大丈夫です」
「――本当? その言葉、信じるわよ? 緋愛花の恋がちょうど盛り上がってきたところなんだから。邪魔しないでちょうだいね?」
頬を膨らませ、ぷんぷん言うニナヨ神。
そして、彼女は僕に目を向け、
「――神無月黎人。驚かせてしまってごめんなさいね。私はまた緋愛花の中で眠り、力を蓄えるけれど、私と緋愛花の人格は完全に別のものだから……変に畏まらず、これまでと同じように接してあげてね」
そう言って微笑む。
いや、さすがに無理だよ。
そう言いそうになるけれど……思い留まる。
ヒメカの顔。ヒメカの声。
でも、違う。
僕の知っている笑顔じゃない。
僕が会いたい笑顔は……これじゃない。
……そうか。ヒメカはヒメカなんだ。
ニナヨ神から独立した、ごく普通の人間。
女神に身体を間借りされただけの、ただのメッカワなギャル。
そのことを理解し……僕は頷く。
「……わかりました。これまで通り、全力で貰魔力稼ぎに使わせてもらいます」
「――んん。あなたもなかなかにややこしい子ね?」
なんて、困ったような笑みを残して。
「――それじゃあね、愛しい子たち。須臾を生きるあなたたちの詩が、愛に満ちたものになりますように」
その言葉を最後に、ニナヨ神の光は消え……ミスミ神、シラヤ神も姿を消した。
ふっと脱力するヒメカの身体を、僕は抱き留める。
髪色も元通り。完全にヒメカに戻ったようだ。
未だ目覚めぬ眠り姫を、僕は優しく抱き締めて、
「……おかえり、ヒメカ」
そして、さようなら――
そう胸の内で、呟いた。




