弱者たちの反撃
その後、バスは予定通りエノシマに着いた。
僕とヒメカは水族館に入り、普通に遠足を楽しんだ。
ツバキさんからの連絡はまだない。
「わぁーっ、でっかい水槽! 見て見て! 魚が集まってボールみたいになってる!!」
回遊魚の大水槽を前に、ヒメカがはしゃぐ。
たぶん水族館に入った瞬間から、作戦の緊張は完全に忘れているのだろう。
「ベイト・ボールだね。捕食者から逃げるために、こうしてひと塊になるんだよ」
「へぇー、そうなんだ。リィト賢いね!」
ヒメカの隣に立ち、銀色に光るイワシの群れを見上げる。
弱者が強者に対抗するため、集団になって移動する――
まるでこの遠足を暗喩しているみたいに思えて、苦笑いが込み上げてくる。
「じゃあ……あたしらはあの、群れから離れた魚だね」
そう言って、ヒメカが指を差す。
見ればベイト・ボールに交わらずに泳ぐイワシが二匹いた。
どうやらヒメカも、この群れと遠足を類似と捉えているらしい。
……そう。
邪神アメノの前では、僕らはただの被捕食者だ。
容易く嘆き、妬み、憎み、絶望する弱い存在。
だから、学院という群れを成し、身を護らなければならない。
けれど――絶望するだけが人間じゃない。
イワシだって、シャチに喰らいつくことがあるはずだ。
そしてシャチは、そんな反撃が来ることを予想すらしない。
その強者の驕りを……今日、打ち砕いてやる。
と、水槽を睨むように見上げていると――僕の手を、ヒメカがきゅっと握った。
はっとなって彼女を見ると、はにかんだ笑みを僕に向けていた。
「えへへ。遊園地もよかったケド……水族館デートは、なんかオトナなカンジだね」
「……そうかな」
「うん。静かだし、暗いし……でもすっごくキレイで、ドキドキする」
ヒメカが水面を見上げる。
そのときめきを映すように、大きな瞳がキラキラと輝いている。
「あ。でもリィトは……元カノと来たことあった?」
……またそれか。
今日はやけに聞いてくるな。
「……一回だけね」
「そっか。うーん、じゃあ次はどこに行く?」
「……え?」
「あたしとのデート。元カノと行ったことない場所のが新鮮で『キュン』とするかもしんないじゃん? それか、逆に行ったことある場所に行って、思い出を上書きしてあげよっか?」
ヒメカが笑う。
海底にまで届く陽の光のように、眩しい笑顔で僕に言う。
「だって――あたしと行ったら絶対楽しいに決まってるもん! リィトの行きたいトコ、やりたいコト、なんでも付き合うよ! リィトが胸キュンを思い出すまで、あたし……ずっと側にいるから!」
……その光に照らされて、僕の心に、忘れかけていた熱が灯る。
けど、その感覚が怖くて。
思い出してしまったら、後戻りできない気がして。
恐怖を誤魔化すように、僕は……ヒメカの手を引き、彼女を抱き締めた。
「ひゃっ……り、リィト?」
「………………」
「もしかして『キュン』来そう?! どうしよ、ちゅーとかしてみる?!」
「…………ちょっと黙っててくれるかな」
駄目だ。やっぱりヒメカはヒメカだ。
なんなんだもう。どうして僕が振り回されなきゃならない?
苛立ちを覚えた僕は……彼女の耳元で、こう囁く。
「……できるモンなら、してみてよ」
「……へっ?」
「ちゅー。してくれたら……『キュン』ってするかもよ?」
ヒメカの身体が、ビクッと揺れる。
予想通りの反応に、少し満足する。
できるわけない。わかってて言った。
照れ臭さに耐え切れなくなって、離れるのがオチだ。
そう、思っていたのに。
「………………ッ」
ヒメカは僕の肩を掴むと、真っ直ぐに見つめて、
「…………わかった」
なんて、覚悟を決めたように言うので……僕は焦る。
……うそ。
まさか、このまま本当に……
ヒメカから、キスを…………?
「……………………っ」
固まる僕に、ヒメカがゆっくりと、近付き始めた…………
…………その時。
「…………んんっ」
真横から聞こえる咳払い。
ドキッとして首を回すと……
気まずそうに佇む、ミコ・ミコシバがいた。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが……そろそろ、約束のお時間です」
言いようのない羞恥心に包まれ、僕とヒメカは……静かに、身体を離した。
* * * *
水族館を後にし、僕たちは隣接する浜辺へと向かった。
平日ということもあり、人は少ない。
話をするには相応しい環境だった。
「では……教えてください。クラガノさんの現在の状況を」
黒髪を海風にたなびかせ、ミコが言う。
その表情には、緊張と不安が滲んでいる。
僕は一度ヒメカと視線を交わすと……用意していたセリフを口にした。
「……死んだよ」
「…………え?」
「クラガノ君は死んだ。邪神に心を蝕まれて、そのまま。助からなかった」
「…………うそ」
ミコが目を見開く。
僕は構わずに続ける。
「嘘じゃない。君も見たでしょう? 彼の身体から発せられた黒いオーラを。邪神がドラゴンに憑依し、彼の絶望ごと精神を喰らったんだ」
「…………そんな」
ズサッ、と砂に膝をつくミコ。
顔から血の気が引き、瞳が動揺に震えている。
「彼が死ぬなんて……違うっ。私……私は…………っ」
「そんなつもりじゃなかった――って?」
僕が尋ねる。
すると、ミコがバッと顔を上げる。
僕は彼女の前にしゃがみ、言う。
「ホトヤンに彼女ができたのが許せなかった。私が味わった絶望の片鱗を彼に味わせたかった。けど、殺すつもりはなかった……君が言いたいのって、つまりはそういうこと?」
「あなた……なにを知って……?!」
「知ってるよ。君の本当の名が、『ナキリ・イオキベ』であることも、ミコ・ミコシバの影武者として雇われていることも……その立場を利用して、クラガノ君に復讐しようとしていたことも」
僕はスマホを掲げる。
そして……ある音声を再生した。
『――彼女にフラれたんでしょう? ふふっ、いい気味だわ。ファンの気持ちを蔑ろにして浮かれているからそんな目に遭うのよ! あなたみたいな中身のないガキ、最初から金目当てで遊ばれただけに決まっているじゃない。だって、男としての魅力がないんだもの。女が本気になるわけないわよねぇ?』
「な……何故それを……!」
ミコ――否、ナキリが質す。
今しがたの音声と同じ声で。
「クラガノ君のバイタリストで録音していたんだよ。競技大会の仮想空間の中で、君はドラゴンの攻撃で負傷したフリをし、クラガノ君に近付いた。そして防壁の陰に隠れ、二人きりになったタイミングでこの言葉を囁き……彼の絶望のトリガーを引いた」
「いつから……私がミコと入れ替わっていることに気付いていたの……?」
「最初に違和感を覚えたのは、競技大会メンバーの初顔合わせの時かな。入学直後の実戦演習で見せた雰囲気と、どこか違う気がした」
「そんな……誰にも気付かれなかったのに……!」
彼女たちの入れ替わりについては、既に裏が取れている。
僕がツバキさんに依頼し、調べてもらったから。
ミコシバは、世界的な大企業だ。
一人娘であるミコには、常に誘拐の危険が付き纏う。
だから彼女は、いつも雄ブタ――という名のSP集団を引き連れていた。
しかし、それだけでは安全性が不十分だと判断し、親が影武者を用意した。
それが目の前の彼女、ナキリだった。
本物のミコは、最初の実戦演習の翌日から欠席している。
理由は、僕が顕現した雪だるまに頭から突っ込むという醜態を晒したため。
プライドを傷付けられ、不登校になったミコに代わり、影武者であるナキリが学院に登校していたのだ。
「君はクラガノ君のファンで、恋人ができた彼に一方的な恨みを抱いていた。そして、その憎しみに目をつけた邪神徒に声をかけられた……そうでしょう?」
これは僕の推測だったが、ナキリの表情を見るに当たっていたようだ。
「協力すればクラガノ君を破局させてやるとでも言われたんだろう。君はミコに成りすまして学院に通い、邪神徒からの指示を受け、情報を送った。学院に謎の地下空間があることを密告したのも君だ」
だから邪神徒は、『学院が隠しているもの』を探ろうとしていた。
そこに僕らの弱点があることを確信して。
「君の望み通り、クラガノ君は失恋した。そこへ、次の指示が下された。『彼の心にトドメを刺せ』と。君は憎しみに任せ、先ほどの言葉を彼に突き付けた。けれど、君は知らなかったんだ。君の身体に"邪神の断片"が取り憑いていたことも、クラガノ君の絶望がその餌にされることも」
ナキリは、完全なる邪神徒ではない。
だからこそ利用された。
僕たちに警戒される心配のない、使い勝手の良い駒だったから。
そうしてその身体にアメノの断片を忍ばせ、ノーリスクで学院のネットワークに侵入した。
ホトギという"食料"と共に。
「私の身体に邪神が……? それじゃあ、私のせいでホトヤンは……?!」
「そうだよ。クラガノ君が死んだのは、君のせいだ」
僕はナキリを見下ろす。
それから……一番残酷な事実を彼女に告げる。
「……もう一つ、君が知らないことを教えてあげる。クラガノ君と付き合っていたのは…………邪神徒の幹部だよ」
「…………え……」
「君はずっと、恋敵の手のひらで踊らされていたんだ。そして、恋敵の指示でクラガノ君を殺した」
「……………………うそ」
ナキリが首を振る。
鬼の形相で僕を見上げ、髪を振り乱す。
「嘘よ……そんなのウソ! 私を騙そうったってそうはいかないわ!!」
「なら――これを見ても、嘘だと言える?」
僕はスマホの画面をナキリに見せる。
そこに映るのは、ホトギのスマホから移したデータ……ホトギとツバメのツーショット写真だ。
「君に声をかけた邪神徒の中に、この女がいたんじゃない?」
「…………っ!」
ひゅっと鳴るナキリの喉。
どうやら見覚えがあるらしい。
「……これでわかっただろう。邪神徒と関わるとどうなるか。強すぎる憎しみは利用され、さらなる痛みとなって自分に返ってくる。これに懲りたら、今後は……」
「…………はは。あはははははははははははっ!!」
僕の言葉を遮る、狂ったような笑い。
ナキリが、ふらりと立ち上がる。
「今後? 私に未来なんてないわ。だって…………今ここで死ぬんだから。万象載典!!」
ナキリの前に、半透明の本が現れる。
財神神に認められた神律師が扱う、万物を購入できる媒体だ。
直後、一振りのナイフが顕現する。
ナキリはそれを手にし……自らの首筋に押し当てた。




