大事な存在
――賜魔術競技大会におけるアメノ襲撃の事実は、生徒たちには秘匿された。
あの日以来欠席しているホトギを案ずる声はあるものの、人気ユーウォッチャーとして心労が祟ったのだろうと、それほど疑問視されなかった。
それから二週間。
アメノや邪神徒による動きは見られない。
まるでこちらの出方を待っているかのような静けさの中、季節は梅雨へと移り変わり……
「――ということで。突然だが、来週遠足を決行することになった。場所はエノシマ。水族館のチケットは配布するが、基本的には自由行動だ。班も特に指定しない。各自、集合時間までにバスへ戻るように」
担任のミカモ・ナナカマドが告げる。
驚きと喜びに色めき立つ愛神科の生徒たち。
当然、僕の隣にいるギャルも……
「っしゃ! 水族館だって!! あ、そーだ。リィトのために甘いお菓子持ってくから、バスで一緒に食べよーね!!」
……ご覧の通りの浮かれ様だ。
どう見ても素ではしゃいでいる彼女に、僕はこそっと耳打ちする。
「これ、例の作戦だよ。まさかツバキさんに言われたこと、忘れたわけじゃないよね?」
「あ。……あったり前じゃん! 演技だよ、エンギ!」
なんて苦笑いしてるけれど、絶対に忘れてたよね?
遊園地の一件で捕えたスーツ男を尋問して得た情報によれば、近頃邪神徒はエノシマ近辺に拠点を構えているらしい。
奴らの縄張りに学院の生徒総出で乗り込んで刺激してやろう、というのがツバキさんの作戦だ。
当然、この作戦を知っているのは僕とヒメカと教師陣、そしてツバキさんが選抜した一部の生徒のみだ。
多くの生徒はただの遠足として現地に向かうことになる。
ミカモ先生が遠足のしおりをデータで配布し、そのまま当日の行動を各自で話し合う時間となった。
僕とヒメカが話していると、一人の生徒が近付いて来た。
艶やかな黒髪を持つ、日本人形のような少女――ミコシバ財閥のご令嬢、ミコ・ミコシバだ。
「あの……ちょっとよろしくて?」
「ん? お嬢様じゃん。どったの?」
「競技大会の日から、クラガノさん……ずっとお休みされていますわよね」
「あー……うん、そうだね」
「……あのドラゴンとの戦いで、何があったのです?」
生徒たちの賑わいに紛れる様に、ミコが尋ねる。
「わたくし、途中で脱落してしまったので、あの後何が起きたのか知らなくて……クラガノさんの様子がおかしかったのも、ずっと気になっていて。クラガノさんは今、どうされているのでしょう? ご存知なら……教えていただけないかしら」
その疑問はもっとも……というより、予想通りだった。
「えぇっと、それは……」
「いいよ」
「リィト?」
ヒメカが驚く。
けど、僕は構わずミコを見つめ、
「彼が今、どんな状況なのか……遠足の当日、教えてあげる。水族館を回った後、浜辺で会おう」
そう答えた。
ミコはきゅっと唇を結ぶと、頭を下げて、
「……ええ。よろしくお願いしますわ」
小さく言って、離れて行った。
その後ろ姿を、ヒメカは何も言わずに見つめている。
「……ヒメカちゃん」
「うん? なに?」
やっぱり、少しテンションが下がっている。
僕はヒメカの気分を変えるために、こう言うことにする。
「……遠足のおやつ、お互いが喜びそうなものを用意して……当日、交換こしようよ」
僕の提案にヒメカは、わかりやすく瞳を輝かせた。
* * * *
そうして、翌週。
エノシマ遠足の日は、梅雨を忘れたような快晴に恵まれた。
学院から大型バスに乗り、エノシマへ向かう。
僕とヒメカは横並びに座り、早速おやつ交換会をした。
「はい、ヒメカちゃんの分のおやつ」
「わーい! なになに?」
「唐辛子せんべいにカレーナチョス、あと明太子クッキー」
「くぅーっ、辛くておいしそうなのばっか! さっすがリィト、あたしの好みわかってるぅ!」
花が飛びそうなほどの笑顔を浮かべるヒメカ。
今日は遠足だからか、メイクに一層力が入っているように見えた。
いや……大事な作戦の決行日だからか。
こう見えて、ヒメカも緊張しているのかもしれない。
「じゃあ次! あたしが持ってきたおやつを発表するね! リィトのために用意したのは……じゃじゃーんっ!」
言って、鞄の中から取り出したのは……
丸いお弁当箱に詰められたパンケーキと、スプレー缶?
「えっと……説明をお願いしてもいい?」
「こっちはあたしが今朝焼いたパンケーキ! んで、こっちは生クリームのスプレー! 見てて?」
と、ヒメカはスプレー缶を振って、パンケーキに向けると……生クリームでハートを描いてみせた。
「仕上げに桜の形のクッキーを乗せて……はい、完成! ど? カワイイっしょ?」
……なるほど、そういう。
まさかこんな場所で、生クリームもりもりパンケーキを手作りされるとは思わなかった。
「……あり。あんまだった? リィト生クリーム好きだし、絶対『キュン』てすると思ったのに。あ、もしかして……」
ぐっと、ヒメカは僕の顔を覗き込み、
「……パンケーキにハート描かれるのも経験済み? 元カノにされたコト、あった?」
なんて尋ねられ、思わずドキッとする。
一体、どういう感情で聞いているのだろう。
嫉妬? 焦燥?
返答によっては傷付けてしまうだろうか。
……と、少し心配になったが、ヒメカの目を見て杞憂であると悟る。
これは、単なる好奇心だ。
どうすれば僕の恋愛不感症を治せるか、過去の傾向を把握しようとしているだけ。
元カノに負けたくないとか、そういう感情は一切見えてこない。
……まぁ、それはそうか。ヒメカだし。
「ごめん。美味しそうでびっくりして、固まってた。こんな風に描いてもらうのは初めてだよ。僕が描くことはあったけれど」
「まじ?! リィトが?!」
「うん。オムライスを作って、ケチャップでハートを描いたんだ」
「えーいいなーっ。今度あたしにも作ってよ!」
「いいよ。ハートも描いてあげる」
「いやっ、せっかくなら別のを描いて。らぶたんとか!」
「むずっ」
重要な作戦の前とは思えない、呑気な会話。
でも、ヒメカのこういうところに何度も救われてきた。
ヒメカは、この作戦の切り札だ。
僕の復讐が成功するかどうかもヒメカにかかっている。
だから、彼女のことは絶対に護る。
けれど、そんな損得勘定を抜きにしても、僕はヒメカを危険な目に遭わせたくなかった。
何故なら――
「……わかった。らぶたんの絵、練習してみるよ」
……なんて返してしまうくらいには、ヒメカのことが大事になっているみたいだから。
「ホント?! やったー! 楽しみにしてるね!!」
そう言って笑うヒメカに、僕もつられるように笑みを返した。




