0.6mmの距離
………………って、
「え……ツバキさん?」
「そうっ! だってあんな可愛くてスゴイ技、ツバキ様じゃなきゃできないもん! メルりんのライブを台無しにしないよう、こっそり賜魔術を使ってくれたんだよね?! まじ神なんだけど!!」
……なるほど、そうくるか。
斜め上を行く推理に言葉を失っていると、ヒメカがはにかみながら続ける。
「あの時、リィトが『念じろ』って言ってくれたから、あたしもノリで賜魔術かませる気がしたんだケド……フツーに考えたら貰魔力0のあたしにあんなコトできるわけないもんね。たまたまタイミングよくツバキ様が助けてくれたんだって、後で気付いたよ」
……違う。
あれは、間違いなく君の力だ。
「やっぱりツバキ様はすごいなぁ。理事長やって、神律師のリーダーもやって、悪者退治までしちゃうなんて! 永遠の憧れ……まじでヒーローだよ」
違うよ。みんなを救ったのは、君なんだ。
君にはすごい力がある。
だから……貰魔力が0であることを恥じないでほしい。
そんなセリフが喉まで出かかる。
けど、思い留まる。
もし、あの闇を払ったのが自分なのだと知ったら……アメノに対抗できる特別な力を持っていることを知ったら、ヒメカは間違いなく喜ぶだろう。
そして、邪神徒との戦いに参加したいと言い出すに違いない。
もちろん、ツバキさんも最終的にはそうなることを望んでいる。
だからこそ、僕とバディを組ませたのだから。
しかし、未だヒメカを正式な仲間には迎えていない。
そこにはきっと、何かしらの考えがあるのだ。
そうしたツバキさんの意向を抜きにしても、僕はまだ、ヒメカに本当のことを知ってほしくなかった。
邪神徒との戦いは熾烈だ。
肉体的な危険はもちろん、精神的な苦痛も伴う。
奴らの目的は人の絶望を集めること。胸糞悪い事件を目の当たりにすることも多々ある。
そんな世界に、ヒメカを引き込みたくなかった。
この純粋な瞳を、無垢な魂を、穢れた現実で曇らせたくはなかった。
だから……
「……そうだね」
僕は、笑顔で嘘をつく。
「僕も焦っていたから混乱気味だったけれど……あれはツバキさんの賜魔術だったと思う。早めに応援を要請して正解だったよ」
「だよねだよね! あのヒゲ面のおっさんは逃げちゃったケド、それもツバキ様がすぐに捕まえてくれるっしょ! ライブは大成功だったし、まじ最高の一日だった!」
……そう。今はこれでいい。
いずれ本当のことを知る時が来るとしても、今は、これで。
僕は密かに胸を撫で下ろす。
と、ヒメカがツンと唇を尖らせ、呟く。
「んまぁ……リィトから『キュン』がもらえてたら、もっともっと最高な一日だったんだケドね」
……ああ、そっか。そもそもそれが目的のデートだったね。いろいろありすぎて忘れてた。
「けっこうがんばったんだけどなぁー。けっきょく1キュンももらえず……はぁ、悔し」
がくっと肩を落とすヒメカ。
けど、それについてはちょっと思うところがあるよ。
「それを言うなら……僕的には途中でクラガノ君を誘ってほしくなかったんだけど」
「…………え」
…………あれ。
僕、何を口走っているんだろう。
「それって…………最後まで二人っきりでデートしたかった、ってコト?」
……そんな顔しないでくれ。
こんな度量が狭いことを言うなんて、僕自身が一番驚いているんだから。
「……そうだよ。だって、デート中に他の男を合流させるなんて……普通に考えたらありえないでしょ?」
「う、たしかに。ごめん、ぜんぜん深く考えてなかった」
だろうね。
いや、何だ『だろうね』って。なにを拗ねているんだ僕は。
「……ねぇ、リィト」
いたたまれなくて目を逸らす僕を、ヒメカが呼ぶ。
そして、向かいの座席を離れ、すぐ隣に座ると、
「今から……ちょっとでも挽回させてもらえたりしない?」
なんて、遠慮がちに聞いてくる。
その困ったような上目遣いが可愛くて……僕は試すように聞き返す。
「挽回って……何をしてくれるの?」
「……リィトは、元カノと観覧車乗ったことある?」
…………ここでそれを聞かれるとはね。
「……あるよ」
「キスとかした?」
「……した」
「唇に?」
「もちろん」
「その時、『キュン』ってした?」
「どうだろう……忘れたけど、たぶんしたんじゃないかな」
「そっか。じゃあ、あたしもする」
…………マ?
って、ヒメカの口調が移った。
ヒメカは手を伸ばし、僕の眼鏡をそっと取る。
それから、下ろしている前髪を掻き上げ……僕の瞳を露わにした。
「……最初のキスの授業ん時さ、リィト、言ってたじゃん。唇は身体の中で二番目に皮膚が薄いって。一番薄いのは、どこなの?」
突然そんなことを聞かれ、僕は「え?」と聞き返す。
ヒメカは緊張気味に眉を寄せると、僕をじっと見上げて、
「元カノが唇にしたんなら、あたしはもっと薄いトコロにする。リィトに一番近付ける場所にキスしたら……『キュン』ってしてくれるかもしんないから」
…………何その発想。可愛いな。
「んで? 一番薄いトコって、どこなの?」
縋り付くように尋ねるヒメカ。
僕は、ちょっと悔しいような気持ちになって、
「……さぁ、どこだろうね。キスして当ててみてよ」
なんて、意地悪に答えた。
ヒメカの顔が、じゅわっと赤くなる。
整った眉がハの字に下がる。ラメで飾った目が弱々しく揺れる。
本当に、なんて初心なギャルだろう。
「う、薄いトコ……どこだ……?」
言いながら、僕の顔をぺたぺた触りまくる。
さては、ムードってものを知らないな?
「じ、じゃあ……目ぇ、閉じて?」
蚊の鳴くようなその声に、僕は大人しく従う。
目を閉じてみて、初めて気付いた。
自分の鼓動が、少しだけ速くなっていることに。
……ツバメに裏切られたあの時、僕の恋心は完全に死んでしまった。
だから、誰に何をされたって、もうときめくことはない。
そう確信しているのに……
もしかしたらもう一度、この心を『キュン』と生き返らせることができるんじゃないか、なんて……少しだけ、期待している自分がいて。
ヒメカの手が、僕の頬を包む。
閉じた瞼の向こうに影が落ちる。
ふわりと香る、知っている匂い。
思い出したくない記憶が過ぎり、見て見ぬふりをする。
近付く体温。
ヒメカは本気だ。
思わず息を止め、その時を待つ。
と……
――ちゅ……っ。
彼女の唇が、触れた。
優しく、遠慮がちに。
………………僕の、おでこの真ん中に。
……いや、おでこって。
子どもの寝かしつけじゃないんだから。
「ど? 合ってた?!」
開いた瞼の先で、わくわく顔のヒメカと出会う。
「むかし壁にぶつかった時、おでこがパッカーンて割れて、血がぶしゃーって出たの! 皮膚が薄いから切れやすいって言われたの思い出してさぁ。正解はおでこっしょ?」
………………このギャルめ。
僕は、ヒメカの手首を掴む。
そのまま、ぐっと顔を近付けて、
「残念。不正解」
「へっ? ってか、カオ近っ……!」
「正解を教えてあげるから……目、閉じて」
低く言うと、ヒメカがびくっと震える。
息がかかりそうな距離でその目を見つめていると……やがて覚悟を決めたように、きゅっと瞼が閉じられた。
頬にかかるピンクの髪を撫で、耳にかけてやる。
ぴくんと跳ねるヒメカの身体。
右手はそのまま肩に、左手は顎に添え、くいっと上を向かせる。
……可愛くて無防備なキス顔。
きっとこれを見たのは、僕が初めてだろう。
そう思うと、なんだか気分が良かった。
残念ながら、君では僕にかけられた呪いは解けなかった。
けど、楽しかったよ。
君とのデートは、本当に……楽しかった。
その気持ちを込めて、僕はキスをする。
優しく、慈しむように。
人の身体の中で、最も皮膚の薄い場所。
その正解は、瞼。
グラデーションを描くアイシャドウの上にそっと口付けを落とすと、ヒメカが息を飲むのが聞こえた。
続けて、『キュン』という電子音。
僕の貰魔力が溜まった音だ。
唇を離しながら、僕は思わず微笑む。
「……君がときめいてどうするの」
「だ、だって……こんなん初めてだし……っ」
「そう。それは光栄だな」
「余裕すぎてむかつくっ……!」
気付けばゴンドラは、まもなく地上に帰り着こうとしていた。
僕たちのデートも、いよいよ終わりだ。
「でも…………よかったよ」
ヒメカが、ぽつりと言う。
視線で聞き返すと、彼女は照れ臭そうに笑って、
「……初デートの相手が、リィトでよかった。すっごく、楽しかったから。……また来たいな」
頬を染めながら、そう言った。
……流石の僕も認めざるを得ない。
今の言葉は、素直に嬉しかった。
だから……
「……うん。僕も楽しかった。……また来ようね」
約束は嫌いだけれど。
今だけは……してもいいかもしれないと思えた。




