毒とオムライス
結城のマンションは、彼の性格をそのまま形にしたような場所でした。
無機質なコンクリート打ちっぱなしの壁に、必要最低限の家具。生活感という血の通った温もりは、どこにも見当たりません。
「今日から君の寝床はそこだ。余計なものには触れるな。特に私の書斎には一歩も入るな」
結城はネクタイを緩めながら、リビングのソファを指差しました。
湊は、借りてきた猫のように小さくなってそこに腰掛け、部屋を見渡します。
「……結城さん、この部屋、冷蔵庫の中身も空っぽなの?」
「食事は外で済ませるか、効率的に摂取すればいい。キッチンは飾りだ」
そう言い捨てて、結城は寝室へ消えようとしました。しかし、数歩歩いたところで、背後から盛大な腹の虫が鳴り響きます。湊の腹の音でした。
「……チッ。無能な上に手間までかかるのか」
結城は舌打ちをし、渋々キッチンへ向かいました。監視対象が空腹で倒れられては、自分の管理能力を疑われます。彼は戸棚の奥に眠っていた数枚のレトルトパウチと、備蓄用の米を引っ張り出しました。
「これしかない。食えればいいだろう」
結城が差し出したのは、温めるだけの簡単なカレー。しかし、湊はそのパッケージをじっと見つめた後、ふらふらとキッチンに立ちました。
「……ねえ、結城さん。少しだけ、火を使ってもいい?」
「断る。火事でも出されたら——」
「大丈夫、体が覚えてる気がするから」
湊の瞳には、記憶を失った者特有の、縋るような真剣さがありました。結城は無言で数秒間彼を睨みつけましたが、
「失敗したら即刻追い出す」
と吐き捨てて、ソファに深く腰掛けました。
三十分後。
部屋に、この家にはおよそ似つかわしくない、甘く香ばしい匂いが漂い始めました。
「お待たせ。あるもので作ったから、見た目は自信ないけど」
湊がテーブルに置いたのは、二皿のオムライスでした。
黄色い卵の帽子に、どこか歪な形をしたケチャップの線。結城は眉をひそめ、不審物を見るような目でそれを見つめました。
「……言ったはずだ。私は効率を重視すると。こんな手の込んだ無駄なものは——」
「いいから、一口。毒は入ってないよ」
湊が期待に満ちた目で覗き込んできます。結城は溜息をつき、渋々とスプーンを入れました。
口に運んだ瞬間、熱いバターの香りと、驚くほどまろやかな卵の甘みが広がりました。
「…………」
「どう? 結城さん」
「……不味くはない。ただ、卵の火の通りが甘いな」
結城は毒づきながらも、二口目、三口目とスプーンを動かす手を止めませんでした。
心に刺さった氷の棘が、ほんの少しだけ溶けていくような感覚。その心地よさを、結城は「ただの空腹のせいだ」と冷酷に否定します。
一方の湊は、美味しそうに食べる結城を見て、満足げに微笑みました。
「よかった。……ねえ、結城さん。君、本当はすごく寂しい味がするよ」
「なっ……何の話だ」
「この部屋も、君の食べ方も。誰にも邪魔されたくないんじゃなくて、誰も入れてもらえなくて、凍えてるみたいだ」
スプーンが、カチリと皿に当たる音がしました。
結城の瞳に、鋭い冷徹さが戻ります。
「知ったような口を叩くなと言ったはずだ。君は私の道具であり、被疑者だ。……それ以上の深入りは許さない」
結城は皿を乱暴に片付けると、一度も振り返らずに寝室のドアを閉めました。
リビングに残された湊は、自分の分のオムライスを一口食べ、小さく呟きました。
「……やっぱり、君は嘘つきだ。結城さん」
二人の夜は、まだ始まったばかりでした。




