第6話 京
天正三年、六月。
「兄上」
「なんだ」
「京も伊勢も、まこと面白いところでした」
「そうか」
「…………」
家久は隣を歩く歳久の横顔を見た。
「兄上」
「なんだ」
「聞いておりますか」
「聞いておる」
「では、もう少し興味を持ってください」
歳久は足を止めた。
「又七郎。お主は先に京に来ておったが、儂は先日着いたばかりなのだぞ」
通りには人が溢れていた。
商人、職人、僧侶、武士。
荷を担ぐ男が声を上げ、その横を牛車がゆっくりと進んでいく。
薩摩とはまるで違った。
言葉も、着る物も、売っている物も違う。
家久は京を堪能したようだ。さらには伊勢から大和を回り、昨日京へと戻って来た。明日には薩摩へと戻る。
歳久はため息をついた。
「面白いと思うておるぞ」
「とてもそうは見えませぬ」
「遊びではないからな」
歳久が来たのは当然、情報収集のため。それと、できれば織田との繋がりを作りたいからだった。
「遊びではなかったのですか……」
「遊んでおったのか?」
「そんなことはありません!」
家久は少し慌てた。
その顔を見て、歳久がわずかに笑う。
「それで、今日はどこへ行きたい」
「昨日の店へまた行きましょう」
「断る」
「あの酒は美味かったでしょう?」
「旨い。だが高い」
「京まで来て銭を惜しんでどうするのです」
「高いと心ゆくまで飲めんのだ」
「兄上は飲み過ぎなのですよ……」
歳久は返事をせず歩き出した。
「兄上!」
家久が慌てて追いかけてくる。
その足音を聞いて歳久はふっと笑った。
家久は兄二人とは違い、母違いの弟だ。以前は思うところもあったが、義久に嗜められて以後は考えを改めた。
「兄上! 待ってください!」
そう家久が言った瞬間。歳久が止まり、慌てて家久も止まる。
「兄上?」
その問いかけには答えず、商人たちの会話に耳を立てた。
「――武田が大敗したそうだ」
二人は顔を見合わせた。
「長篠ですな」
「ああ。伝わるのは早いものだ」
すでに京では、その話でもちきりだった。
五月二十一日。
三河国長篠。
織田信長と徳川家康の連合軍が、武田勝頼率いる軍勢を破ったという。
武田といえば、遠く薩摩にまでその名が聞こえる強兵である。
それが大敗した。
歳久は再び歩き出した。
家久が横に並ぶ。
「種子島……すさまじい数の鉄砲だったそうですな」
歩きながら家久が言った。
「儂は千や二千と聞いた」
「五千とも聞きました」
「全く違うではないか」
「噂とは当てにならぬものですから」
「では間を取って三千としよう」
「それでいいのですか?」
家久が笑った。
「しかし三千であれば……」
家久は指を折るような仕草をした。
「一斉に撃てば、どれほどの者が死ぬのでしょうな」
歳久は答えなかった。
「兄上?」
「多くが死ぬだろうな。それだけあれば如何に当たらぬ武器でも関係がない。だがそれよりもだ」
「はい?」
「三千丁揃えるのにどれほど金がかかる」
突然の問いに家久が瞬きをする。
「そうですな……」
「他にも弾、火薬も必要だ」
「確かに。ですが我々にも千や二千はありましょう」
「かき集めれば、あるやもしれんな」
家久が眉を寄せた。
「何をおっしゃりたいのです?」
「儂は三千丁そのものよりも、戦場一つに三千丁を集め、運ぶことが出来るほうが恐ろしい」
「ですが、三千はあくまで噂で……」
「五千であっても、京の者たちは織田殿であれば不思議とも思わぬ」
歳久は立ち止まった。
「それだけの力があるのだ」
家久も黙った。
やがて二人は無言で歩き出す。
角へと差し掛かったとき、家久が口を開いた。
「兄上なら、どう戦います」
「何がだ」
「織田殿とです」
歳久が家久を見る。
「鉄砲を三千、五千と並べて待っておる相手に、兄上ならどう戦われます」
「戦わぬ」
「…………」
家久が立ち止まった。
「戦わぬのですか?」
「お主は戦いたいか?」
「はい!」
「嬉しそうに言うな」
「ですが、戦わねばならぬ時もありましょう」
歳久の足がわずかに緩んだ。
「…………」
「こちらが戦いたくなくとも、向こうが攻めてくることもある」
歳久は弟を見る。
家久は先ほどまでとは違い、真剣な顔をしていた。
「その時は、どうします」
今度は歳久が黙る番だった。
しばらく歩いた。
人々の声が行き交う。
遠くで寺の鐘が鳴った。
「鉄砲の前に立つことだけが戦ではなかろう」
やがて歳久が言った。
家久は不思議そうに兄を見ていた。
歳久は京の町を見渡した。
これほど多くの人間がいる。
これほど多くの物がある。
これほど多くの銭が動いている。
薩摩では見たことのないものばかりだった。
初陣の時。あの時は、ほんの数挺だった。
その轟音に、人が怯んだ。
それから二十年余り。
今や、何千という鉄砲を戦場へ持ち込んだという男がいる。
——それが天下人と呼ぶべき力なのかも知れぬ。
「又七郎」
「はい」
「薩摩は遠いな」
家久が首を傾げる。
「ここまで来るのに随分とかかりましたからな」
「そういう意味ではない」
「では、どういう――」
「腹が減った」
「兄上!」
「昨日の店へ行くぞ」
「高いのではなかったのですか」
「又七郎が払え」
「なぜ俺が!」
歳久は答えず歩いていく。
家久がその背中を追った。




