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「ご、ごめん、待たせちゃって……」
町田くんは私の横に来て、小野くんを見た。
「あの……すみません、この人、僕の……」
そこで唾を飲み込んだのか、町田くんは一度言葉を切る。
「ぼ、僕の……で」
「は?」
小野くんは首を傾げて半笑いだ。
「何。よく聞こえないんすけど」
町田くんの紙袋を持つ手が微かに震えている。
「か──彼女。なんで、この人……僕の」
すごく小さい声だったけど、なんとか聞こえた。
町田くんの真っ赤な顔を見るとこっちまで熱くなった。
「だから」と町田くんはつっかえながら続ける。
「な、ナンパとか、しないでもらえると……」
町田くんは私が通りすがりの男にナンパされていると思ったらしい。
ふはっと小野くんが笑った。
「え、岡崎ちゃん、こいつと付き合ってんの?」
小野くんは町田くんの持つ紙袋を見ていた。漫画の絵がでかでかと描かれた……展示会のお土産だろうか。
町田くんを軽く見るような目つきだ。
「マジで? ねえ岡崎ちゃん」
「……なんか、おかしい?」
私がそう返すと、小野くんは目を瞬いた。
「え? いや……樹とは全然タイプちがくない? って思って」
「だから何、どうでもいいでしょ。じゃあ行くから、ばいばい小野くん」
呆気にとられたような小野くんを残し、私は町田くんのTシャツの裾を掴んで軽く引っ張っていく。
町田くんは何も言わずに引っ張られていた。
下りエスカレーターに乗るときに、裾を離した。
「あ、あの人……もしかして、岡崎さんの知り合いだった?」
ようやく町田くんが口を開いた。
「うん。同じ大学の人だよ」
「え、俺、勘違い……」
町田くんの顔がまた赤くなる。
「ごめん、岡崎さん、困ってたように見えたから……」
「……実際、ナンパされてたみたいなもんだし。謝らなくていいよ全然」
次のエスカレーターでさらに下に向かう。
「町田くん、なんで連絡くれなかったの」
私は振り返り、一段上にいる町田くんを見上げた。
「え」
「展示会、終わったら連絡してって言ったのに」
「あ……しようとしたんだけど、なんか急に電波悪くなっちゃって……」
安いやつだから、と町田くんがズボンのポケット越しにスマホに触れる。
「岡崎さん探した方が、早いかなって思った」
少し噴き出してしまった。
「電波探した方が早くない?」
「でも岡崎さんは、すぐわかるから」
思わぬ返答に私はちょっとどきりとした。
深い意味はないのか、町田くんは当然のことを言ったというような真面目な顔をしている。
「あ、そう……。でもちゃんと展示会見れたの?」
「み、見れたよ……」
その目が泳ぐ。
もしかしてすぐに切り上げて、お土産だけ買って私を探しに来たのかもしれない。
そのまま一階まで降りた。
化粧品売り場があって、色んな香水が混ざった匂いがする。
最新のコスメやアクセサリーがきらめいているけど、今はその前を通り過ぎていく。
この後どうするかは決めていない。
とりあえずデパートを出ようとしたら、正面出入口のところで急に町田くんが立ち止まった。
「どうしたの?」
「えっと……」
町田くんは壁の方に寄る。
手に提げた紙袋に視線を落として何も言わない。
とりあえず私も通行の邪魔にならないように壁際に寄ったけど、「ごめん何でもない」と言われた。
「あの、疲れたよね? ええと……この辺にカフェとかあるかな」
町田くんはスマホで調べようとする。
「町田くんさぁ」
「ん、ちょっと待って……」
「ねえ」
熱心に画面を操作する町田くんを私は遮った。
「服とか美容とか、私に言われてやってて、楽しい?」
町田くんは手を止める。私を見て、軽く首を傾けた。
「えっと……?」
「普通に考えて、私が町田くんにやってること、おかしくない? っていうか、迷惑じゃない? 私がただ元彼に見せびらかしたいからって、町田くんに色々押し付けて、引っ張り回して、時間もお金も使ってもらって」
なのに町田くんは大人しく言うことを聞いて、私の選んだ服を着て、私のことを“彼女”だと震えながらも小野くんに言ってくれた。
町田くんは戸惑ったように耳の後ろを掻いている。
「なんで岡崎さんが……そんなこと聞くの?」
町田くんの質問はもっともだ。私が聞くことじゃない。でも。
「……」
町田くんが何を考えているのか知りたい。
でもそれを知ると、越えてはいけない線を越えてしまうような気がする。
何も答えられなかった。
デパートの前の大通りを白い観光バスが走り抜けていく。何となくその姿を眺めていた。
「……最初は」
ぽつりと町田くんの声がした。
「からかわれてるのかなって、思った。ほんとに」
町田くんは言いにくそうに足元の艷やかな床を見つめている。
「岡崎さんみたいな人に、彼氏のフリしてとか言われて俺が喜ぶのを、面白がられて馬鹿にされるんじゃないかなって……」
罰ゲームじゃないかって不安そうに聞いてきた町田くんを思い出す。
「だから私はそんなこと」
「前にそういうことあったから。高校の時」
早口にそう言った町田くんの声は低い。
私は咄嗟に何も返せなかった。
「でも」と町田くんは続けた。
「岡崎さんと色々出掛けたりして、岡崎さん、真剣なんだなってわかった。その……方向性はおかしいと思うけど、俺をからかったりとか全然しないし、ちょっとしたことでも褒めてくれるし、本当に俺の見た目を良くしようって、頑張ってくれてるんだって。俺も、美容とか服とか、自分でも調べたりするようになった」
一つ一つ、町田くんは丁寧に言葉を選んでいる。こんなにたくさん話す町田くんは初めてな気がする。
「前より自分が良くなってる気がして、自分比だけど、少し嬉しくて……自信がつくって岡崎さんが言ってたのも少しわかる」
町田くんは微かに笑ったけど、そのまま両手の紙袋に視線を落とした。
「自分の……好きな世界だけでも、満足してた。でも、岡崎さんと関わらなかったら、知ろうとも思わなかった世界があって、それを知るのも、けっこう楽しいって、今は思ってる」
遠慮がちだけど、いつもより柔らかな表情。
これまで、「私に協力してくれるお人好しな人」としか思わなかった、その枠からはみ出ることのないように接していたはずの町田涼平という人が、一気に立体的に見えて、戸惑う。
「だから、あの、別に迷惑とかじゃないから」
私が黙っているからか、町田くんがさらに付け加える。
「……ありがと」
私はそれしか言えなかった。
気まずいわけじゃないけど、話題を広げていいのかしまっていいのかよくわからない。
そんな沈黙が流れた。
「でも、さっきの俺。すごい下手だったよね、彼氏のフリ」
何となく硬い空気を破るように町田くんが冗談っぽく、恥ずかしそうに言った。
「もっと頑張らないと、周りから信じてもらえないよね。さっきみたいに“こいつと?”って言われちゃう」
自分が何度も使っていた“彼氏のフリ”という言葉が、今はやけに引っかかる。
「……別に、そんなことなかったよ」
「あ、そうかな……」
デパートの出入口にこんなに長く留まっているのは私達ぐらいだろう。
そろそろ動き出さないと。
「ねえ、町田くん」
「ん?」
「貸してよ今度、漫画」
町田くんは「へ?」と気の抜けた声を出す。
「おすすめなんでしょ? 完全版」
「あ……うん、もちろん貸すけど。重たいけど平気?」
「一度に全部はいいから。最初の1、2巻くらい読んでみたいかなって」
町田くんはぱっと笑顔になった。
「次会う時持ってくる」
「うん、約束ね」
町田くんが私の“彼氏”らしくなろうと頑張ってくれるのなら、私だってこの人の“彼女”らしくならないとだめだ。
そのために私も町田くんのことをもう少し知るべきなんじゃないかなって、そう思い始めていた。




