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町田くんの靴がいつもの履き古した黒いやつじゃない。
真新しく白い、ごつめのスニーカーになっている。
私はシャーペンの背で、隣の町田くんの腕をつついた。
びくっとして町田くんがこちらを見る。
「なに」とその口が動いた。
「靴、替えたんだね」
囁くと、町田くんは「いやそれは」と上擦った声を出す。それから慌てて周りを見回した。
ここは市の図書館だ。
わりと騒いでいる小さな子もいるし、町田くんの声くらいどうっていうことも無さそうだけど、町田くんにとっては罪深いことらしい。
町田くんとは大学で同じ講義を取っていたことが判明した。大きな講義室でやる生徒の多い講義だからお互いに知らなくてもおかしくないんだけど。
その講義には夏休みの課題レポートがあって、もう大体終わっているという町田くんに協力をお願いした。
彼氏のフリもやってくれる上に課題も手伝ってくれるなんて、ほんとにいい人すぎて心配になるくらい。
それで図書館に来て、町田くんは参考になる資料とか色々教えてくれたけど、そのうちその辺の棚から持ってきた本を読み耽り始めた。
あんまり集中しているから邪魔するのも悪いなと思っていたけど、私もレポートに飽き飽きして、今朝会ったときから気になっていた町田くんの新しい靴について話しかけたくなったのだ。
私に靴のことを指摘された町田くんは、ノートパソコンをたたんでリュックにしまう。
「どこいくの?」
「飲み物……」
この図書館の2階に、自動販売機が置かれた休憩コーナーがある。
「えーずるい、私も休みたい」
私も町田くんに続き、パソコンと貴重品だけ持って席を立った。
「岡崎さん……何飲む?」
自動販売機の前で町田くんが遠慮がちに振り返る。
「いいよ自分で買うから、町田くん先選んで」
「あ、うん……」
町田くんはペットボトルの炭酸ジュースを買っていた。
ちょっと君はジュースの摂取量が多くないかい?
前から思っててそう言いたくなったけど、飲み込んだ。
美容熱を押し付けて、他人の好みにまで口出しすることとか、そういうところも樹に嫌がられたのかな、なんて最近思うようになった。
私は今日は冷たい緑茶にした。
休憩スペースの、角が少し剥げた黄緑色のソファに町田くんと並んで座る。
他のソファには新聞を読んでいるおじいさんや、抱っこ紐で赤ちゃんを抱っこしたお母さんとかがいる。
ペットボトルに口をつけて一息ついた町田くんを見て、「靴いいね」と伝えたら町田くんがむせた。
でも本当に、ちゃんとしたブランドのもので、そこそこ高いやつだと思う。
「ちょっと……ごつくない?」
町田くんは足の甲のうえに自分のリュックをのせて、靴を隠すようにした。
私が何か言う前に「妹に言われて」と町田くんが付け足した。
「妹?」
「……靴のこと聞いたら、これゴリ押しされた」
そういえば家族の話をしたときに、高校生の妹がいると言っていた気がする。
「へえ」
「いや、だって、服新しくしたのに靴ぼろいと、変かなって思っただけで」
「私何も言ってないよ」
一人で言い訳している町田くんに笑うと、町田くんは「あ」と声を漏らして、いつものように落ち着かなく首筋を撫でた。
「でもそういうの流行ってるし、服とも合ってると思う」
「なら……いいけど」
ぷしゅ、と気の抜ける音を立ててペットボトルの蓋を開け、町田くんはまたジュースを飲んだ。
私もお茶を飲み、図書館らしい、何ともゆったりした時間が流れる。
お母さんに抱っこされた赤ちゃんがあうあう言っている声が可愛いなーと思っていると、
「……結構、高いよね」
と町田くんが呟いた。
「えーと……靴のこと?」
「とか。服も、化粧品も」
町田くんはペットボトルのラベルの小さな字を見つめている。
「昼飯何回分になるのかとか考えちゃう」
いやでもそれは必要経費だから。
可愛いを保つのは大変なんだから。
そんな熱弁を振るいたくもなるけど、白けた樹の顔が浮かぶ。
私は気持ちを抑え込んで、「だよね」と笑う。
「こんなちっちゃい美容液が2万とか普通にするし、興味ないと理解できないよね。まあ、他人の趣味ってそんなものかなと思うけど」
不意に町田くんがこっちを向いた。
「ほんとに、努力してるんだなって、岡崎さん」
「え? あ、まあ……」
「綺麗な人って何もしてなくても綺麗なんだろうって思ってたけど、色々調べて、お金も時間もかけて、頑張ってる結果なんだなって」
町田くんの言葉は、私の胸に何の抵抗もなくするりと届いた。
──“綺麗な人”って。
お世辞にしろ本気にしろ周りから言われることも少なくないけど、町田くんみたいな人に真顔で言われると、じわじわと暖かくなってきて、くすぐったい。
「べ……別に芸能人じゃないし。けっこう泥臭いんだよ」
私は笑みを作る。
「それにさ、頑張っても、振られちゃうし。見た目だけ磨いても意味ないっていうか」
ついネガティブな気持ちが口から転がり出て、町田くんは黙ってしまった。
「あ、ちがうよ」
私は慌てて言い直す。
「人によく見られたいからってだけじゃなくて、ほんとに、半分以上は私の趣味なんだよ」
「う、うん……」
「自己満足だから」
「うん……」
何かが気に触ったのか、赤ちゃんの甲高い泣き声が館内に響いた。振り返って見ると、お母さんが慌てて赤ちゃんをあやしている。
「でも俺も」
とぼそりと町田くんが言うので町田くんに視線を戻した。
「岡崎さんみたいな人の彼氏のフリとか、そう簡単にできることじゃないなって、改めて思った。だからその……頑張ります」
「……」
町田涼平は本当に良い人だ。
訳のわからない私のお願いを聞いて、手を貸してくれて、真剣に取り組んでくれている。
「ありがとう。本当に感謝してる」
「……えっと」
町田くんは取ってつけたような咳払いをした。
「戻ろっか。レポート、やらないと」
「うー、町田くん代わりに作ってよー」
「それはちょっとだめだと思うけど。書いたやつ、アドバイスくらいならできる、と思う」
どこまでも真面目で協力的な人だ。
「それでも助かる。じゃあ、もう少しできたら送るね」
「うん」
そして2人で階段を降りて元の席へと戻り、それぞれ静かにパソコンに向かった。
私は考えているフリをして、町田くんの横顔をそっと盗み見る。
髪型を整えるのも少しずつこなれてきている。本当にちゃんと練習してくれているみたいだ。
喜んでいいことのはずなのに、何でか胸の奥がきゅっと絞られるみたいに小さく痛む。
これは罪悪感なのかな。
真面目で優しいこの人を、私は利用している。
いや、私達はお互いにメリットがあって、それで合意しいる。
だから、別にこれでいい。
でも、町田くん自身が「変わりたい」と本当に望んでいるのか私は知らないのだと、この時初めてそんなことを思った。
──町田くんって、何考えてるんだろう。




