【終章 琉嶋の空】
数年が経った。
テルは島に戻っていた。
本土の飛竜専門学校で二年間学んで、島に帰ってきた。
今はシュリ飛竜部の練習を手伝っている。
正式なコーチでもなく、OBのつもりでもなく、ただ飛竜小屋に入り浸っている。
昔から変わらない。
クラブハウスの壁に新聞の切り抜きが何枚か貼ってあった。
先生が貼ったものだ。
大会の写真、順位表、各区間のタイム。
その隅に、一枚だけ、別の切り抜きがあった。
小さな見出し。
「琉嶋返還協議、本格化か。和津國・連邦間で水面下の交渉」
テルはしばらくその文字を見ていた。
それから、飛竜小屋に向かった。
小屋の中に、見慣れない影があった。
小さい子どもだった。
十歳くらいの男の子が、飛竜小屋の柵の隙間から手を差し込んで、中にいる飛竜の鼻先に触れようとしていた。
テルは声をかけなかった。
飛竜が男の子の手のひらに、そっと鼻先を押し当てた。
男の子が息を呑んだ。
テルにはわかった。
あの感触。温かくて、自分を拒絶しない、あの感触。
テルは柵に背中を預けて、空を見上げた。
晴れていた。
島の空は今日も低い。飛行制限がある。高くは飛べない。
それは、まだ変わっていない。
男の子がテルに気づいた。目が合った。
どこかハーフっぽい顔立ちで、色白で、細くて、テルは昔の自分を見ているみたいだった。
「お前も飛竜が好きか」
男の子は頷いた。
「怒られないか、忍び込んで」
「…… いつも怒られる」
テルは笑った。
「俺もそうだった」
男の子がまた飛竜の方を向いた。飛竜はまだ鼻先を柵の隙間に押しつけていた。
テルは空を見上げた。
この子が飛ぶ頃には、どうなっているだろう。
飛行制限がなくなっているだろうか。
申請書類に「琉嶋列島代表」ではなく、普通に書けるようになっているだろうか。
それはまだわからない。
でも。
シュリ飛竜部が本土の空を飛んだことを、島の人間は知っている。
あと三秒、届かなかったことも。
その種が、この子の胸の中にも、落ちているかもしれない。
男の子が振り向いた。
「あの…… 本土の空って、どんな感じですか」
テルは少し考えた。
「広い」
それだけ言った。
男の子はまた飛竜の方を向いた。
飛竜が男の子の手のひらに鼻先を押しつけたまま、目を細めていた。
島の空は低い。制限がある。それでも
琉嶋の空は、どこまでも蒼く、広がっていた。
——完




