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【第二章  ちゃぽん】


翌朝。帰島前に、カナが鞍馬山の麓で小さなガラスの小瓶に土を詰めていた。

茶色い土。鞍馬神殿の麓に伸びる、参道の端っこの土。


ソウシが「何それ」と聞いた。


「おばあに見せてあげたくて。あたしたちは本土の空を飛んだんだよって、証拠に」


カナが照れたようにはにかんだ。



誰も何も言わなかった。

テルは眩しいものを見る目をしていた。

カイトが鼻の頭をぽりぽりかいて、そっぽを向いた。



    *    *    *



港に着いた。島の匂いがした。潮と、珊瑚と、どこかの家の夕飯の匂い。

帰ってきた、とテルは思った。



桟橋の先に、見慣れない旗が立っていた。白地に金色の鷲。アギラ連邦の紋章。

桟橋の両端には、連邦軍の兵士が数人立っていた。

テルよりも頭一つ以上高い体格に、連邦軍の深緑の制服。

腰に短銃を帯びて、顔には表情がなかった。

視線だけが動いて、船から降りてくる者たちを一人ずつ確認していた。


その手前に、和津國語を話せる役人が一人立っていた。


痩せた中年の男だった。連邦軍の制服ではなく、くたびれた事務服。

胸のバッジには「渡航管理局とこうかんりきょく 臨時検疫官」とある。


テルはそのバッジを一秒だけ見た。


和津國の字だ。


連邦の人間ではない。島の人間でもない。

本土の人間が、連邦の命令で、ここに立っている。



役人は感情のない声で言った。


「検疫を行う。持ち物を全て出せ」


誰も反論しなかった。できなかった。

背後の兵士が動いていないのに、その存在が全員の背中に貼りついていた。



テルのバッグ、カイトのバッグ、ソウシのバッグ。順番に開けさせられた。

役人の手が機械的な動作で素早く中を探る。感情を殺してやっている、という動作。


カナのバッグから出てきたのは、鞍馬の土が詰まったガラスの小瓶だった。


役人は一瞬だけ小瓶を見た。

何かがその目をよぎった気がした。なんだったのかわからない、テルには読み取れなかった。



役人は振り返り、連邦軍の兵士に向かって、テルたちの知らない言葉で何かを言った。

連邦語だ。


兵士が短く答えた。役人がまた振り返った。今度は、さっきよりも少し声が低かった。


「植物防疫法により、外地の土の持ち込みは認められない」



カナの顔が固まった。


「いやっ」


か細い声。


「いやっ、これは、鞍馬神殿の、土で」


役人は答えなかった。


背後の兵士が腰の短銃に手をかけた。

抜かなかった。ただ、手をかけた。



平良先生の手が、かたく握りしめられた。天を仰ぐ。

一秒。二秒。


「渡しなさい」


カナは唇を噛んだ。


「いや、だあ……」



カイトが動いた。

カナの手からガラスの小瓶を取り上げて、無言で役人に突き付けた。

カイトの目からは涙が流れていた。役人を睨んだまま、小瓶を突き付けていた。


役人はカイトの目を、一秒だけ見た。


そらした。



「海に捨てろ」


役人が感情のない声で言った。


カナがしゃがみ込んだ。声もなかった。


カイトは役人を睨んだまま、波打ち際まで歩いた。腕を振り上げて——



ちゃぽん。


ちゃぽん。



小さな音だった。

鞍馬神殿の土が入ったガラスの小瓶が、琉嶋の海に沈んでいった。



波が二回、砂浜を洗って、消えた。




    




テルは桟橋を歩きながらさっきの役人の目を思い返していた。


カナの小瓶を見て、カイトの目を見て、確かに何かがよぎっっていた。

怒っていなかった。嘲笑っていなかった。


なんだったんだろう。


ソウシが隣を歩きながら、低い声で言った。


「あの役人、本土から来た人間だ」


「うん」


「訛りがなかった。それに、バッジの字が本土の活字だった。島の印刷じゃない」


先生だけが、小さく、独り言のように言った。


「和津國が連邦に頼んで、ここに置かせてもらってる体だからな。命令は連邦から来る。でも手足は本土から借りてくる。そういう仕組みだ」



テルには半分しかわからなかった。

命令した顔は見えない。目の前にいるのは、同じ言葉を話す人間だった。


それがなぜか、一番こたえた。


連邦の兵士が怖いのは当たり前だ。外国の軍隊が銃を持って立っている、それはわかりやすく怖い。

でも、同じ言葉を話す人間が、感情を殺した顔で「海に捨てろ」と、言う。



    *    *    *



桟橋の出口を抜けると、島の人たちがいた。


老人が一人、立っていた。

白髪で、背が曲がっていて、でも目だけがまっすぐこちらを見ていた。


老人はテルたちを見て、ゆっくりと頭を下げた。

言葉はなく、ただ、頭を下げた。



テルは反射的に頭を下げ返した。

カイトも、カナも、ソウシも、マツルも。平良先生が一番深く、頭を下げた。


老人はまた顔を上げて、遠くを見た。連邦軍の旗が立っている、桟橋の方を。


その目には怒りがあった。でも、怒りだけじゃなかった。

目の奥にはもっと長い時間があった。



島の空に、夕日が落ちていった。アギラ連邦の旗が、潮風に揺れていた。




    *    *    *




港から帰った翌々日。平良先生がクラブハウスに雑誌を持ってきた。

本土の雑誌だった。週刊の、スポーツ専門誌。

何も言わずに、ひっくり返ったコンテナの上に置いた。


テルが手に取った。

表紙の右下の隅に、小さく見出しがあった。


「琉嶋の奇跡 占領下の島から来た小さな飛竜たち」



テルは雑誌を開いた。


見開き二ページ、カラー写真が三枚。

一枚目は大会当日のスタート前の写真で、ヴェルとテルが並んで写っていた。

本土の大型飛竜たちの間に挟まれた、一回り小さいヴェルが、妙に鮮明に切り取られていた。


二枚目はカナの写真だった。古都の街中で、カイトのそばで笑っている写真。

大会前日の観光のときに誰かに撮られたものだ。よく笑っている、カナらしい写真だと思った。


三枚目は、港の写真だった。



テルの手が止まった。

あの桟橋だった。連邦軍の旗が写っていた。役人が小さく写っていた。カナとカイトの後ろ姿が写っていた。


写真の下に、キャプションがあった。


「帰島時の検疫の様子。彼女たちは本土で拾った土を持ち帰ろうとしたが、規則により没収された。それでも笑顔を失わなかった」


笑顔?

後ろ姿なのに、笑顔かどうかなんてわからない。写真を撮った人間には、カナの顔は見えていなかったはずだ。



本文にはこう書いてあった。


「帰島の際、一人の部員が本土の土を小瓶に詰めて持ち帰ろうとした。おばあさんへの土産にしようとしたのだという。しかし検疫規則により、小瓶は没収された。それでも彼女は涙を見せなかった。いや、正確には、涙の代わりに前を向いた。来年もまた飛ぶ、と言ったそうだ」


テルは雑誌を閉じた。

カナは「来年もまた飛ぶ」なんて言っていない。少なくとも、みんなの前では言っていない。



ソウシが雑誌を手に取った。黙って読んだ。読み終えて、コンテナに戻した。


「写真を撮った記者がいたんだな、あの場所に」


それだけ言った。



カイトが壁から手を伸ばして、雑誌を引き寄せた。

カナの写真のページで止まった。


一秒。二秒。


雑誌を閉じて、コンテナの上に投げ捨てた。何も言わなかった。



マツルが雑誌を手に取った。速く読んだ。読み終えて、テルを見た。


「『来年もまた飛ぶと言ったそうだ』 これは誰が言ったの?」


「わからない」


「嘘ではないんじゃないかな。カナは来年も飛ぶ。だから嘘じゃない。ただ、カナが言ったかどうかは別の話」


テルは黙った。マツルの言っていることはわかる。わかるから、余計にもやっとした。


カナはまだクラブハウスに来ていなかった。



    *    *    *



テルは平良先生に聞いた。


「先生は、この記事、どう思いますか」


しばらく外を見たままだった。


「良い記事だと思うよ」


「でも、カナが土を捨てさせられたことは」


「書いてある」


「でも、没収されて、それでも笑顔を失わなかった、って」


「ああ」



先生が振り返った。


「本土の人間に向けて書かれた記事だからな。本土の人間に届く言葉で書いてある。俺たちの言葉では書いていない」


「俺たちの言葉って、なんですか」


先生は少し考えた。


「ちゃぽん、だ」



テルは黙った。


「あの音を聞いた人間にしか、わからん。記者は聞いていなかったか、聞いていても書けなかったか、どちらかだ」


また窓の外を向いた。


「良い記事だと俺が言ったのは、本当だ。この記事のおかげで、本土の誰かが琉嶋のことを少し考えるかもしれない。それは悪いことじゃない」



一拍あって。


「ただ、その誰かが考えた琉嶋と、お前たちが生きている琉嶋は、同じじゃない」


クラブハウスが静かだった。



テルは雑誌を見た。表紙の見出しが目に入った。


「琉嶋の奇跡」


テルには、何が奇跡だったのかわからなかった。

最下位だったし、土は捨てさせられたし、ヴェルは言うことを聞かなかったし、本土の空は広すぎた。


でも。


記事の中のテルたちは、奇跡を起こしていた。

笑顔を失わず、前を向き、来年もまた飛ぶと言っていた。


テルはその子たちのことを、よく知らなかった。

コンテナの上の雑誌が、午後の日差しを受けて光っていた。



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