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第70話 獅子の咆哮(後編) 警察視点


 大型モニターに、通報者から提供されたスマートフォンのスクリーンショットが次々と転送されてくる。青白い光が、張り詰めたフロアに並ぶ捜査員たちの横顔を照らした。


「これは?」

「通報者の栗原から聴取している神奈川県警の捜査員が、撮影して送ってきたものです。被害者が所持していた別端末、iPhoneの『探す』アプリの画面です」


 そこには、GPS反応が多摩川沿いの一点で力尽きたように止まっている様子が映っていた。


「現在も動いているのか?」

「いえ、位置は二十分前から停止したままです。現在、この地点へ所轄の機動捜査隊を秘匿で向かわせています」


 誘拐事案の初動で最優先なのは、犯人に察知させないことだ。ここでサイレンを鳴らして白黒車両を突っ込ませれば、人質がどう扱われるか分からない。だからこそ、現場へ向かう捜査員は一般車に紛れ、息を殺して寄っていく。


「……分かった。他には?」

「通報者は『whoo』という位置共有アプリも並行して監視していました。それによると、武蔵小杉駅からこの停止地点まで、車道に沿って不自然な高速移動が確認されています」

「そのルート上を通った車両のNを洗え。停止時刻の前三十分に絞れ」

「はっ。すでに抽出していますが……該当時間帯の交通量が多すぎます。十分ごとの通過車両が多く、現時点で百台以上です。このままだと絞り切れません」

「言い訳はいらん!絞り込め!」


 すぐには抜けないか。


 キーボードを叩く音が焦燥を煽るようにフロアへ広がる。誰も顔を上げない。分単位で遅れれば、そのぶん少女は遠ざかる。


 その時、ビデオ解析班が声を張り上げた。


「管理官、武蔵小杉駅ロータリーの街頭防犯カメラ、抽出完了しました。映します」


 メインモニターに、粒子の粗い夜の映像が再生された。


 画面の隅、街灯に照らされたロータリーの端に、あの大宮駅で確認された制服姿の少女、田中朱音が立っていた。スマホを耳に当て、何かを必死に訴えているように見える。


 その直後だった。


 背後から、黒のワンボックスカーが滑り込む。スライドドアが開き、中から男が二人飛び出した。少女の胴を後ろから羽交い締めにし、そのまま一気に車内へ引きずり込む。抵抗の隙すら与えない、慣れた手際だった。


 現場には、少女が落としたと思われるスマートフォンだけが残され、液晶の光が虚しく夜の地面を照らしている。


「2班!……アルファードだ。型式からナンバーを拾え。Nの結果と突き合わせろ」


 怒鳴りながら、頭の中では別の計算が回っていた。


 なぜ、この少女を連れ去る必要があった。単なる受け子なら、捨て駒で済むはずだ。金を持ち逃げした様子もない。なら、こいつは見たのか。知ったのか。あるいは、組織にとってそれだけ危険な異物になったのか。


「現場に落ちていたスマホは確保したか?」

「今、所轄が回収済みとの報告が入りました。……管理官、端末の通話履歴に異常があります」

「何だ」

「拉致の直前、この端末から110番への発信記録があります」

「何だと」


 フロアの空気が、ぴたりと止まった。


「内容は?」

「回線は繋がっています。ただ、受理記録では『無言、環境音のみ、呼びかけへの応答なし』。通信指令課はいたずら、もしくは誤発信の疑いとして数秒で切断したそうです」

「――馬鹿野郎がッ!」


 拳がデスクを叩いた。重い音が響き、一瞬だけフロアが静まり返る。


 その数秒が、少女の命を分けたかもしれない。


 だが、通信指令を責めている暇はない。現場で毎日無数の無言通報を処理している側の事情も分かる。分かるが、それでも腸が煮えくり返る。よりによって、本物の人質事案を捨てさせたのか。


「管理官、追加です。通報者の栗原が持っていたスマホに、被害者からスクリーンショットが大量送信されています」


 モニターが切り替わる。


 最初はTelegramの通話履歴。その後に並ぶのは、見慣れない数字とログの羅列だ。


「解析班。俺に分かる言葉でで説明しろ」


 若い解析班が駆け寄りモニターを食らいつく。


「……これ、パケットキャプチャです。Telegram通話時の通信ログを拾っています」

「結論は?」

「通話相手側のIPアドレスが記録されています。P2P通話の設定が甘いと、こういう足跡が残ることがあります」

「つまり?」

「組織側の接続元を追えます」

「すぐやれ」


 若い解析員が眼鏡を押し上げ、別の端末へ飛びつく。周囲の席も一斉に連動し、照会とクロスチェックが走った。


 匿名性を売りにしている連中が、こんな初歩的な足跡を残す。笑えもしない。だが、笑っている場合ではない。その穴を、12歳の少女が中からこじ開けた。


 子どもを駒にしたことが腹立たしいんじゃない。違う。


 子ども相手なら黙って使い潰せると思っていた、その舐め腐った考えそのものが、反吐が出るほど気に食わない。


「管理官。IP、照合出ました。『宮城県ケーブルテレビ』です。仙台市内の集合住宅回線に当たります。契約者を緊急照会実施します!」

「よし、県警本部に情報流せ! 契約者判明次第一課と機捜を突っ込ませろ。拠点を一気に潰す」

「はい」


 後ろで、特捜課長がすでに受話器を取っていた。


「宮城県警本部長には私から話をつける。向こうも寝かせておく余裕はない」


 その声に、課長席の周囲がさらに慌ただしくなる。


 次の瞬間、別の島からまた怒声が上がった。


「管理官。機捜から追加報告。路上でカード型GPSトラッカーを発見。物理的に破壊され、投棄されています」

「やはり気づかれたか……Nはどうだ」

「絞れました。川崎市臨海部へ向かう車両群の中に一致度の高い一台があります。……マズいです、進行先は、埠頭のコンテナターミナル付近」

「港だと……!」


 背筋を冷たいものが走り抜けた。


 人質事案。港。出港前。

 ここで通常の機動隊や所轄の突入準備を積み上げていたら、間に合わない。船に乗せられた時点で、国内の捜査権は一気に扱いづらくなる。外国船籍、公海、外交ルート、全部が絡み始める。


「この港からは東南アジア向けの貨物船が定期で出ています。今夜の出港予定、照会中です」

「全件、広域配備に切り替えろ。川崎臨港署、神奈川県警本部の応援を全速で向かわせろ!」


 俺が怒鳴った直後、背後から、地を這うような声がフロアを貫いた。


「――これ以上の猶予はない。今すぐ、SATを出動させろ」


 特別捜査課長だった。


 フロアの空気が、一段下がる。


 対テロ・対銃器・人質救出。警察組織が持つ最終の武力だ。そこまで切るのか、という空気が一瞬だけ走ったが、誰も異を唱えない。港湾部。人質。出港寸前。その条件が揃えば、ためらっている時間そのものが敵だ。


 俺はモニターに映る、粒の荒い少女の横顔を見た。


 田中朱音。

 お前がどこまで読んでいたのかは知らない。だが、お前の残した破片は、ここまで届いた。


 間に合え。


 その一言だけを胸の奥で噛みしめながら、俺は新たな指示を飛ばした。


 警視庁特別捜査課。

 眠れる獅子が、ついに牙を剥いた。


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