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第48話 静寂の侵入

 校門へと続く緩やかな坂道には、容赦のない朝の光が降り注いでいた。9月に入ったとはいえ、アスファルトから立ち上る熱気はまだ夏の余韻を色濃く残している。


 俺は美桜としっかりと手を繋ぎ、1歩ずつ地面の熱を確かめるように歩いた。

 繋いだ手は汗ばんでいるのに、指先だけは氷のように冷たい。隣を歩く美桜も同じなのだろう。彼女の細い指が、時折こわばるのが伝わってきた。


「……ねえ、メッセージきた?」


 美桜が不安を押し殺すような、ひそやかな声で聞いてくる。俺はポケットの中のスマホに意識を集中させたまま、首を振った。


「ううん。監視スタート、って連絡があったっきり。それからは、1通も」

「あいつ、寝ちゃってるんじゃないかな……。大丈夫かな」

「流石にそれはないと思うよ。あんなに張り切ってたんだし」


 もし犯人が図書室に姿を現せば、すべてに王手がかかる。だが、もし空振りに終われば――。


「……ねえ、それで、もし犯人がわかったらどうするの?」

「まずは、スマホを抑えたい。証拠が一番確実だから」

「えっ? でも、相手は先生なんだよね……? 私たちだけで、そんなことできるのかな」


 その懸念は、昨夜から俺の脳内を埋め尽くしていた。だが、元警察官として導き出した解は1つしかない。


「今日の全校集会。全員が体育館に集まるあの隙に、職員室に忍び込むつもり」

「えぇっ!? 大丈夫なの、そんなことして……っ」


 美桜の握る手に、ぎゅっと強い力がこもった。


「先生たちは全員、指導のために体育館へ行くはず。だから、美桜には先生が1人も外に出ないか見張っていてほしいの。もし誰かが体育館を抜けたら、すぐに私にメッセージを送って。……監視役をお願いしたいんだ」

「……やだ。私も一緒に全校集会抜ける。朱音を1人にはさせない」

「ダメだよ。クラスが違う美桜が抜ければ、すぐに不自然に思われちゃう。愛ちゃんと神田さんと私がトイレに残って、職員室に向かおうと思う」


 美桜は悔しそうに唇を噛んだ。クラスが離れているという物理的な距離が、今はもどかしくて仕方ないのだろう。


「でも、これだけは美桜にしか頼めないの。お願い」


 俺は立ち止まり、美桜の両手を包み込むように握った。


「……わかった。その代わり、全部終わったらぎゅってさせてよね」

「うん。いつもしてるけど、今日はいつもより、もっと特別にぎゅってするから」


 口にしてみると、自分の顔に熱が集まるのが分かった。元警察官としての理性が、12歳の少女の肉体に引きずられて微かに揺らぐ。


「……それと、絶対、絶対に無理しないでよ。本当に。愛ちゃんにも言っておいたからね」

「……え? 愛ちゃんに?」


 美桜がしまったという顔をして、気まずそうに目を逸らした。


「……うん。ごめんね。朱音の体が心配だったから……無理しそうになったら止めてって、愛ちゃんに内緒で前からお願いしてたの。黙ってて、ごめん」

「ううん、ありがとう。助かるよ」


 その過保護なまでの優しさが、今は何よりも心強かった。

 教室に入ると、カーテンの隙間から漏れる陽光の中に、愛ちゃんと神田さん、そして梨花の姿があった。美桜も自分の席に鞄を置くと、すぐにこちらへ合流する。俺は声を潜め、今日のタイムラインを共有した。


「……わ、分かったけど。全校集会って15分も無いんだよ? 本当に大丈夫?」


 愛ちゃんが心配そうに眉を寄せる。


「うん。もしダメだったら、昨日職員室にいなかった誰かの先生にカメラのことを言うしかない。これが最後のチャンス」

「私は、朱音ちゃんが抜けても上手く言っておくから。任せて!」


 梨花が頼もしく胸を叩いた。


 やがて登校する生徒が増え、校舎は騒がしい朝の喧騒に包まれる。そこへ、少し疲れたような顔をした相澤くんが教室に入ってきた。


「田中さん、おはよう……。結局、誰も来なかったよ」

「そうなんだ。……ありがとう。朝早くから、本当に助かったよ」


 相澤くんは、彼なりに必死に監視を続けてくれたのだろう。俺は施設でもらったまま、カバンに入れていたチョコパイを1袋差し出した。


「これ、頑張ってくれたお礼。食べて」

「あ、ありがとうっ! マジで元気出た!」


 彼は現金なもので、それだけでパッと表情を明るくして自分の机に戻っていった。

 誰も来なかった。その事実が、俺の脳内に警報を鳴らす。もし不具合に気づいているなら、証拠隠滅のために真っ先に駆けつけるはずだ。……まさか、犯人にこちらの動きが気付かれているのか。俺は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


「……よし、時間だね」


 チャイムの鋭い音が校内に鳴り響き、全員が動き出す。俺と愛ちゃん、神田さんは人波に紛れてトイレへと滑り込み、クラスメイトたちが体育館へ向かっていく足音が消えるのを待った。


 ガヤガヤとした廊下の話し声が、徐々に遠ざかっていく。本当に上手くいくのか。半信半疑の不安が、直接心臓を掴まれるような痛みとなって込み上げてくる。


 やがて廊下の気配が完全に消え、重苦しいまでの静寂が訪れた。

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