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第46話 職員室の攻防

 全速力で追いかけたい衝動が脳髄を焦がすが、自分の胸に手を当てれば、心臓はすでに警告のような激しい鼓動を刻んでいた。ここで無理をすれば犯人を捕まえるどころか、自分がその場に倒れ込み、友人たちの足を引っ張ることになる。


 元警察官としての矜持と、この呪わしい12歳の身体という枷。俺は奥歯を噛み締め、溢れ出しそうな焦燥感を押さえた。


「……あ、あのさ。結局、俺は何だったわけ?」


 相澤くんが、怯えと困惑が混ざったような声で聞いてくる。俺は荒い呼吸を整えながら、彼に向き直った。


「……ごめん、相澤くん。疑うような真似をして。でも、今、私たちのプライバシーを脅かす本当に悪い奴がこの近くにいたんだ。……美桜たちが追いかけてるのが、その犯人だと思う」

「犯人……? よくわかんねーけど、あいつら女子3人で大丈夫なのかよ」


 相澤くんの言葉は、俺の懸念そのものだった。

 相手が大人であれば、中学生の女子3人が束になっても体格差で押し切られる危険がある。ましてや、盗撮という陰湿な犯行を半年も続けていた執着心を持つ相手だ。追い詰められて何を仕掛けてくるかわからない。


「梨花、図書室の戸締まりをお願い。……私は、少しだけ様子を見てくる。相澤くんも一緒に来て欲しい」

「お、おう」


 俺は慎重に準備室を出て、3人が走り去った廊下を凝視した。

 静まり返った校舎。窓の外では秋の夕暮れが急激に色を濃くし、長い影が廊下に伸びている。俺は心臓を労るように、ゆっくりと、しかし確実に足音を殺して廊下を進んだ。


 この先には階段がある。犯人が上へ逃げたのか、あるいは下へ降りたのか。どちらか分からないが、ひとまず下へ降りることを選択した。


「なぁなぁ、田中さん。一体何があったんだよ」

「巻き込んでごめんね。後で全部説明するから、今は……」


 俺は唇に人差し指を立てた。

 階段の昇り降りだけでも、今の俺の体力は削られていく。話をしながら動く余裕など一分もありはしなかった。


「う、うん。ごめん……」


 相澤くんは素直に従ってくれた。

 下の階に行き廊下を確認すると、そこには愛ちゃんと美桜、神田さんが立ち止まっていた。俺は呼吸を殺しながらゆっくりと近づく。


「あ、朱音ちゃん」


 3人は俺を確認すると、焦りを滲ませた顔で小走りに寄ってきた。


「見失っちゃった?」

「うん……でも」


 愛ちゃんが言い淀み、悔しげに視線を落とす。そして意を決したように後ろを向き、1本の指を差した。


「あの部屋に入ったと思う。ごめん、結局、姿は見えなかった。でも、扉が閉まるところは見えたの」


 指の先にあるのは、この学校を保護する者たちの牙城。


『職員室』だ。


 一つの可能性として考えてはいた。だが、実際に的中したとなると、得体の知れない嫌悪感が胸の奥で広がっていく。俺は迷わずに職員室の重い扉に手をかけた。


「あ、朱音?」


 背後で美桜たちが息を呑むのが分かった。


 職員室の中に入ると、4人の教師がいた。他学年の教師、教頭、体育教師、そして学年主任を務める1組の担任。教頭は席に座ろうとしており、学年主任は手元のスマホを見つめている。

 体育教師はパソコンの画面と睨めっこをし、他学年の教師は無心にキーボードを叩いていた。この中の誰かが、あの黒い瞳の主だ。


「田中、どうした?」


 声をかけてきたのは体育教師だった。

 体育の授業を受けられない俺をいつもサポートしてくれる。その配慮からか、俺の名前をよく覚えてくれている教師の1人だ。


「あ、すみません。図書室の鍵を返却に来ました」


 私は努めて穏やかな、1人の生徒としての声を出す。


「そっか。ボックスに入れとけよ。もう下校時間だから、早く帰れよ」

「はい」


 そう答えて、俺は教卓の隅にある返却用ボックスへと歩を進めた。

 わざと、学年主任が座る狭い背後を通るように足を進める。俺が至近距離まで近づくと、学年主任は反射的にスマホの画面を下にして机の上に置いた。


 その隠す動作は、俺の元警察官としての直感に鋭く反応した。


 鍵ボックスを開け、中の鍵の順番を不自然にならない程度に入れ替える。その数秒の間、俺の視線は鋭く室内の観察を続けていた。教頭は、頬杖を付いたまま、じっとこちらの様子を伺っている。


 俺は小さく会釈をしてから歩き出した。

 背中に刺さる視線の熱を感じながら、俺は職員室の出入り口で待つ美桜たちのもとへと静かに戻った。


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