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第36話 境界線上の刺身

 夏休みも中盤。

 俺は施設の先輩である清美さんの買い物に付き合わされ、駅前のショッピングモールに来ていた。清美さんはそのままパートへ。俺と美桜は、うだる暑さと心地よい冷気が交わるスーパーの入り口付近に取り残された。


「あつーい。アイス食べたい……」

「パピコとか良くない?あれなら二人で一個だし、安いじゃん」

「……うんうん。今の私の財布をよく分かってるー」


 俺は内心でため息をついた。クレープ代の1050円が致命傷となり、俺の財布はもう虫の息だ。


 だが、金欠以上に俺の神経を逆撫でしているのは、今この身に纏っている格好だ。

 清美さんの好みで選ばれた、白いブラウスに黒の大きなリボン。そして黒のプリーツスカート。


 ……うぅ、育ちの良さを煮詰めたようなコスプレみたい。


 いつものフリフリとはまた違う、清楚系特有の気恥ずかしさが全身を刺す。すれ違う連中に見られている気がして、顔から火が出そうだ。


「朱音、その格好ガチで似合ってるのに。なんでそんなに俯いてるの?」

「……う、羨ましいなら、美桜のTシャツと、交換してよ……」


 俺は消え入りそうな声で答え、美桜にジトッと睨む。


 その時だった。


「あ、あれ。梨花さんじゃない?」


 美桜が声を潜めて指差す先に、見慣れた後ろ姿があった。鮮魚コーナーだ。


「あ、本当だ。買い物かな?」

「……たぶん」


 俺は、この恥ずかしい格好を同級生に見られたくない一心で、距離を置いて様子を伺っていた。

 だが、何かがおかしい。梨花の家は二駅先だ。わざわざこのスーパーまで来る理由がない。


 梨花は一パックの刺身を手に取ると、そのままレジに向かって歩き出した。

 手に持っているのは、刺身と総菜パン。目はレジのではなく、出口の自動ドアだけを凝視している。

 え、何か、あの目線変だ。もしかして……


 俺は無意識に美桜の手を引き、梨花を追った。


「梨花さん……!」


 彼女の手首を掴んだのは、自動ドアが反応する寸前だった。

 梨花は弾かれたように固まり、ゆっくりと振り返った。その顔を見て、俺は息を呑む。

 普段から身の回りを気にしない人だと思っていたけど、今日はボサボサの髪、汚れの目立つ服。クレープを食べていた時の面影はない。


「……あの、それ。お、お金払って、ないよね……?」


 俺の声は、自然と震えた。


「あ……朱音、ちゃん……?」


 梨花さんの意識が現実に戻ってきた。背後からねっとりとした声が響いた。


「おやおや、そこの嬢ちゃんは泥棒だぞ」


 声をかけてきたのは、腕を組んだ中年男性――店長だろう。眼鏡の奥にあるのは、悪意というよりは「疲弊」だった。


「事務所でゆっくり『お話』をしようか」


「あ、あ……」


 梨花が絶望に顔を歪める。俺は咄嗟に梨花の前に出た。


 万引き、即ち窃盗。彼女の将来が、この男の嫌味な笑みの向こう側で消えかかっている。

 俺は梨花を背にかばい、男を見据えた。


「……店長さん。ごめんなさい、この子、暑さで少し……。支払わせてください!美桜、お願いして良い……?」


 俺は深々と頭を下げた。美桜が俺の意図を察し、即座に財布から千円札を取り出し、セルフレジへ走る。


 男は鼻で笑い、やれやれと首を振る。今は、相手に対して誠意を出すしか無い。

 例え店を出ていないとはいえ、商品を持って出入口に向かうだけで「不法領得の意思」は認められる。梨花を助けるためとはいえ、嘘をついたことで胸に痛みが走る。


「……チッ。店外に出てなきゃいいってもんじゃないんだよ」


 男性はイライラした様子だ。


「うちは毎月、君らみたいな『泥棒』に五万円分も万引きされてるんだよ。君の財布から毎月五万円が消える気分、お勉強のできる君なら想像がつくかな?」


 男の言葉はトゲだらけだった。だが、商売人の男性の言いたいことも分かる。怒っている意味も分かる。だから、俺は黙って聞く。正論の鉾が収まるまで……。


「……本当に、ごめんなさい。二度と……させませんから……」


 俺は深く頭を下げた。店長は大きくため息をした。


「正直言うと、その子は前々からマークしてたんだ。怪しい動きしてるって報告があったからね」


 店主は俺の格好と梨花の薄汚れた格好を交互に見て、最後に俺を指差した。


「君は悪くないんだろうねぇ、友達を選ぶのもお勉強のうちだよ。……二度と、この子を連れてくるなよ。次は本当に警察だ」


「はい、約束します……」


 俺は、そのまま頭を下げ続けた。


「それと、その親にもちゃんと言っといてよ。出禁だって」


 そう言って、店長は店の奥に歩いていった……



 スーパーを出ると、アスファルトの熱気が俺たちを包み込んだ。

 梨花は糸が切れたように、地面に座り込んでしまった。


「梨花さん……!」


 俺は、パピコを買うはずだった小銭をかき集めて、自販機でスポーツドリンクを買った。


「……これ。飲んで……。熱中症、かもしれないし……」


 梨花は震える手でボトルを受け取り、少しずつ飲み干すと、ようやく人心地ついたようだった。


「……ごめんなさい。お金、絶対……返します。本当に……」

「お金は、いいから。それより何か、あったの……?」

 

 俺の問いに、梨花は視線を地面に落としたまま、固く唇を閉ざした。

 その沈黙は、ただの反抗ではない。

 助けを求める方法すら忘れてしまった者の、重苦しい沈黙だった。


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