第35話 夏休み直前のクレープ・タイム
夏休み直前の放課後。
この時期特有の湿っぽさと、それを跳ね飛ばすような解放感が混じり合っている。
「ね、何にする? 種類多すぎて迷うんだけど!」
愛ちゃんの弾んだ声に誘われて、俺たちは住宅街の路地裏にあるクレープ屋の前にいた。
みんなは、キャッキャと騒ぎながら慣れた手つきでメニューを指差していく。
愛ちゃんは苺、神田さんはメロン、美桜はチョコアイス。
俺はといえば、メニュー表と財布の中身を交互に見つめ、脳内で現金の残高を弾き出していた。
……千夏さんからの五百円と、清美さんからの千円。これが今月の全財産。なのに……
650円の通常メニューを嘲笑うかのように、メニュー表の隅に踊る「期間限定」の文字。清美さんからもらった大切な千円札が、財布の中で「使っていいんだよ」と囁いている気がした。期間限定の文字が俺の理性を揺さぶる。
喉を鳴らして決意する。
「えっと、いちごチョコクッキーアイスブリュレ……ホイップ盛り盛りでお願いします!」
「え、待って、1050円!? 朱音ちゃん、ガチで言ってる? 一番高いやつじゃん!」
愛ちゃんが素っ頓狂な声を上げ、美桜が心配そうに覗き込んできた。
「朱音、お財布死なない? 今月、まだ結構あるよ?」
「う、うん。今月はまだ全然使ってなかったから。……あとは節約するから、これだけは食べたいの!」
決死の覚悟で会計を終え、カウンターの横へ。
ふと見ると、梨花さんが看板の前で固まっていた。彼女の指先が、メニューの「300円のシンプルクレープ」のあたりで迷っているように見えた。
「あれ、梨花さんは何にするの~?」
「あ、ごめん。私は……大丈夫」
「梨花の分もお願いしまーす! 私と同じメロンで!」
遠慮する梨花さんを遮るように、神田さんが明るくコールした。
「神田さん、いいって。悪いよ……」
「いいのいいの! 梨花が今日、一緒に来てくれただけでマジで嬉しいんだし。出世払いってことで!」
梨花さんは一瞬、困ったように眉を下げたが、神田さんの「出世払い!」という魔法の言葉に、小さく頷いた。
梨花さんは何か事情でもあるのだろうか?
神田さんは、梨花さんの何かを知っているのだろう。押し付けがましさを微塵も感じさせない、見事な立ち回りでクレープを注文した。
届いたクレープは、まさに「欲望の要塞」だった。 ブリュレの焦げた香ばしさと、ホイップの暴力的な甘さ。
手にずっしりと重い1050円の輝きを前にすると、梨花に対し、猛烈な申し訳なさが込み上げてくる。
「あ、あの……これ、すごく美味しいから! 梨花さんも食べてみて?」
「えっ、でも朱音ちゃんの、高いのに……」
「いいの! 美味しいものは、みんなで食べた方がもっと美味しくなるんだよ!ほら、アイス溶けちゃう」
強引に促すと、梨花さんは「じゃあ……」と、ハムッと一口。
「美味しい……! ありがとう、朱音ちゃん」
その笑顔を見て、ようやく俺の罪悪感もホイップと一緒に溶けていった。
帰り道、俺たちはクレープを片手に歩き出す。
ブリュレのパリパリ感と、とろけるアイスが口の中で暴れ回る。……正直、最高だ。
「それにしても、朱音ちゃんって不思議だよね」
神田さんが、俺の顔を覗き込みながらポツリと言った。
「へ?」
俺は、甘さに夢中で全然聞いていなかった。
「クレープ食べてる時はこんなに幸せで可愛いのに、いざって時は頼りになるっていうか、なんか男前だよね」
「そ、そんなことないよ」
心臓を掴まれた気分で、わざとらしくクレープを頬張る。
「でも、そんな朱音が好き」
美桜が事もなげに言って、俺の口の端についていたクリームを指ですくい、ペロッと舐めた。
急な美桜のスキンシップに、恥ずかしくなった。
「……ね、ちょっと。もしかして二人ってさ、付き合ってたりする……?」
愛ちゃんのニヤニヤした突っ込み。俺は一瞬、言葉に詰まった。
変だと思われるだろうか。美桜が、施設の子だからと偏見の目で見られる上に、さらに変な噂を立てられたら……。
俺が言い淀んでいると、隣で美桜がキッパリと言い放った。
「うん、そうだよ。文句ある?」
「あ、やっぱ!? ごめん、変とかそういうのじゃないよ! 二人がお似合いすぎて気になってただけ!」
「そうそう、二人の空気感、マジで尊いもん」
神田さんが慌ててフォローを入れる。
「ここに、二人を悪く言う人なんていないし~」
「うんうん!」
「二人なら分かるよ~」
梨花さんも、大きく頷いてくれている。
みんなの真っ直ぐな視線に、胸の奥が熱くなった。
……俺は、本当にいい友達を持てた。
「ありがとう」
そう言うのが精一杯だった。すると、美桜がニヤリと笑って俺のクレープを奪って一口食べた。
「あ、たっかいの美味しい! ほら、みんなも一口いっちゃって!」
「あーっ! 私も!」
「私も食べたい!」
1050円の要塞は、あっという間にみんなの胃袋へと消えていく。
最後に、梨花さんも恥ずかしそうに寄ってきて、小さく一口。
「美味しい……」
ヘラッと笑う彼女の顔を見て、俺はなんて平和なんだと、この時は本気で信じていた。




