表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/50

第33話 青白い証明


「待って!」


 俺は叫んだ。


 男は苛立った様子で、だるそうに振り返る。


「あぁ? まだなんかあんのかよ、チンチクリン。あんまりしつこいと訴えるぞ? 俺、知り合いに弁護士いんだけど」


 法律を知っている、弁護士、警察の知り合い。

 犯罪者の中には、そうやって権威をちらつかせて脅してくる奴がいる。そういう奴は決まって気が小さい。そして、あらかじめ逃げ道を用意している卑怯者だ。


「あなたの手には、私の服の繊維とかが付いてる! 本当に触ってないなら、警察で検査受けて!」


 鑑識活動の中で、接触箇所から微物が検出されることはよくある。

 それが俺のスカートの繊維と一致すれば、容疑は濃厚になる。


「はっ、そんな暇ねぇっつってんだろ、ガキが」


 そう言って、男は鞄の中に手を突っ込んだ。


「あっ」


 男はハンカチを取り出し、右手をゴシゴシと拭き始めた。

 証拠隠滅だ。


「やめて! 本当にやってないなら、そんなことする必要ないじゃん! 証明してよ!」

「は? うっせぇな。お前こそ証拠出せよ。証拠がねぇなら、俺は行くからな」


 男はそう言い捨て、汚れたハンカチを丸めて線路側へ放り投げた。

 証拠を消すつもりだ。そこまでして逃げたいくせに、まだ潔白を装う。


「……通報された人ですか?」


 その時、私服の男性が男の前に立ちはだかった。胸元から警察手帳を提示する。警察官だ。駅員からの連絡を受けて駆けつけたのだろう。恐らく刑事課か生活安全課だ。


「ちっ」


 男は露骨に舌打ちした。


「お巡りさぁん、俺、こいつらに嵌められそうになってんすよぉ。こいつら詐欺で捕まえてくださいよ。あ、名誉毀損もセットでね」

「分かりました。お話を聞かせてください。まずは身分証明書を見せていただけますか?」

「なんで見せなきゃなんねぇんだよ。任意だろ?」


 警察官は腕時計をちらりと見ると、鋭い眼光で男を睨みつけた。


「見せないってことでいいですか? 被害者は、逃げようとしたあなたのシャツを掴んでいたと聞いていますが」


 男は、何かを察したようで、さらに苛立ちを募らせた。


「はっ、見ろよ! これで満足かよ!」


 そう言って、鞄の中から免許証を乱暴に取り出し、警察官の胸元に押し付けた。

 警察官はそれを受け取ると、無線を持った別の制服警官に手渡す。照会にかけるのだ。


 男は捲し立てるように、さっきまでのやり取りを主張し始めた。駅員にも同意を求め、あたかも自分は潔白で、逆に被害者であるかのように振る舞う。


 俺も、少し離れた場所で女性警察官に声をかけられた。


「大丈夫? 怪我はない?」


 俺は頷く。

 だが、このままだと「疑わしきは罰せず」で逃げられるかもしれない。物的証拠が弱い。


「……前、176が一件と、条例一件です」


 戻ってきた制服警官が、私服警官に耳打ちした。


 男の顔が引きつる。


 俺にはその暗号の意味が分かる。

 176条は不同意わいせつ。条例はおそらく迷惑防止条例だ。つまり、痴漢か盗撮もしている。

 こいつは前科持ちだ。性犯罪の常習者。手口が慣れているのも納得がいく。


「俺はなんでも協力するって言ってんだろが! 署に行くんだったら行くよ。身の潔白を証明しにな! その代わり、あの女どもを名誉毀損で被害届出してやるからな! 覚悟しとけよクソガキ!」


 男は俺や美桜を指差し、唾を飛ばして怒鳴った。

 その剣幕に、俺の身体が一瞬すくむ。隣の美桜も、女性警察官も息を呑んでいる。


「分かりました。じゃあ、警察署に行きましょう」


 男は盛大に舌打ちして、警察官と一緒に歩き出した。勝ち誇った、いやらしい薄笑いを浮かべて。

 俺も女性警察官に促される。


 ――逃がさない。


「ちょっと待ってください!!」


 俺は腹の底から声を出して、男と私服警察官を呼び止めた。


「あぁ? てめぇ、しつこいんだよ! 調子こいてんじゃねぇぞ!」


 男が肩を怒らせて近づいてくる。

 女性警察官がとっさに前へ出て、俺を庇おうとしてくれた。


 俺は震える手で、鞄の中から小さいジッパー付きのパケットを取り出した。

 中には、白い微細な粉が入っている。


「何だそれ? 粉? ……お遊びじゃねえんだぞ」

「これ……今朝、施設で仕込んできました。私の下着と、スカートの内側に塗ってあります」


 昨日の失敗で思い知った。

 証拠がなければ、こいつは逃げる。

 だから今朝、もう“触っても言い逃れできない”ように仕込んできた。


 男はぎょっとした顔で白い粉を凝視した。


「それは何ですか?」


 私服警察官が尋ねてくる。


「特殊な蛍光パウダーです」


 俺はもう一つ、鞄の中から切り札を取り出した。


「これはブラックライト。これを当てれば、粉が付いた場所が光って見えます」


 男の額には脂汗が滲み、表情が凍りついている。頭の中で言い訳を高速で組み立てているのだろう。


 俺はブラックライトを女性警察官に手渡した。


「そのライトで、私のスカートの中……照らして見てください」


 女性警察官が私服警察官に目配せすると、私服警察官が頷いた。


「分かりました。確認します」


 女性警察官は、野次馬や男たちから見えないように、自分の身体で壁を作ってくれた。

 俺はスカートの裾を少し上げる。恥ずかしい。でも、今は捜査のためだ。


 女性警察官が屈んでライトを当てる。


「……光っています。青く、はっきりと」


 その声が響いた瞬間、空気が変わった。

 私服警察官が男に向き直る。


「その蛍光パウダーで、何を証明したいのかな?」


 口調は静かだった。だが、もう確信している声音だった。


「あの男の右手を、ライトで確認してください!」


「は? ふざけんなよ。誰がそんなのやるかよ」


 男は後ずさった。無意識なのか、左手で右手を擦っている。

 だが、後ろには他の男性警察官も回り込んでいる。逃げ道はない。


「協力をお願いします。無実の証明のためにも、確認しましょう」

「ち、分かったよ……やりゃいいんだろ、やりゃあ」


 男はそう言いながら、右手を服や鞄に執拗に擦りつけながら近づいてきた。


 私服警察官は大きなカバンのようなものを用意し、その中に男の手を入れさせる。そこへライトが当てられた。


 スイッチが入る。

 暗い袋の中で、青白い光が浮かび上がった。


「……かなり強く出ていますね。指先だけじゃない。掌、手首、ワイシャツの袖まで光ってる」

「は? いやいや、さっきハンカチで綺麗にしたし、そんな残るはずねぇだろ!」


 男が叫んだ瞬間、空気が止まった。


 自分で『拭いた』ことを認めた。


 私服警察官の目が細くなる。


「今、拭いたと言いましたね」

「っ……」


 警察官は袋の口を少し開き、男自身にも見せた。

 自分の右手が、まるで発光体みたいに青白く輝いている。


「う、嘘だろ……?」

「この粉は、簡単には落ちません。少なくとも、ハンカチで拭いた程度では」


 理屈はそれだけで十分だった。

 スカートの内側に塗ってあった粉が、男の手首から袖まで付いている。

 つまり、手を入れて、擦って、出した。その痕跡が残っている。


「この女性のスカートの中にあった粉が、なぜあなたの右手に付いているんですか?」


 私服警察官が、一つずつ逃げ道を潰すように問う。


「掌全体、手首、袖口。付き方にも整合性がある。これで、まだやっていないと言うんですか?」

「い、いや……だって……」


 男の顔色は土気色だった。額から吹き出る汗を何度も拭っている。

 初夏とはいえ、尋常じゃない量だ。


「あ、そうだ! 昨日の夜、ガンプラ作ってたんだよ! その時に蛍光パウダー使ったの忘れてたわ! それだよそれ!」


 男は引きつった笑顔で言った。

 私服警察官は、呆れたようにため息をつく。


「プラモデル作りなら、普通は指先に付きますよね。ですがあなたの手は、掌全体と手首、それに今日着ているワイシャツの袖まで光っている。これは、手を差し入れて、擦って、掴んだ付き方です」


「っ……!」


 男が言葉を詰まらせた。

 理屈で詰んだのだ。もう、感情論では逃げ切れない。


 俺は、さらに言葉を重ねる。


「線路に捨てたハンカチも回収してください。あれにも粉が付いてるはずです。証拠を消そうとしたことも含めて、全部残ります」


 私服警察官が小さく頷いた。


「それに、家宅捜索すれば分かりますよ」


 俺は男を睨みながら言った。


「令状を取って家に行けば、その『ガンプラ』とやらに本当に同じ蛍光パウダーが付いてるか、すぐ確認できます」


 私服警察官が一瞬だけこちらを見た。

 俺は口をつぐむ。少し言いすぎたと思ったが、もう止まれなかった。


「……さて」


 警察官は男に向き直る。


「まだ続けますか?」


 男はギロッとこっちを向いた。目が血走っている。


「うるせぇ!! てめぇ余計なこと言ってんじゃねぇ! 黙ってろクソガキ!」


 逆ギレだ。


 だが、キレたいのはこっちだ。

 今まで飲み込んできた怒りが、一気に喉までせり上がる。


「黙って苦しんでる子ばかりだと思わないで!」


 声が震えた。

 でも、止まらなかった。


「あなたのせいで、学校に来られなくなってる子がいる! 毎日、黙って耐えてる子がいる! 何も言わないからって、傷ついてないわけじゃない!」


 男が一瞬だけたじろいだ。


「私だけの話じゃない。ずっと泣いてた子もいる。怖くて、恥ずかしくて、誰にも言えなくて、それで壊れていった子がいる!」


 目から涙が溢れてくる。

 悔しさも、恥ずかしさも、梨花さんの痛みも、自分の無力さへの怒りも、全部まとめて喉から噴き出していた。


「もう逃げるな。絶対に許さない」


 短く言い切った瞬間、男が俺に掴みかかろうと近寄る。


「うるせぇよ! ガキが偉そうに……!」


 ガシャリ。


 冷たい金属音が響いた。

 私服警察官が、男の手首に手錠をかけていた。


「はい、そこまで。不同意わいせつの現行犯で逮捕する」


 男は自分の手首を見て、信じられないという顔をした。

 そして、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。


「……ご、ごめんなさい」


 地面に這いつくばるように、男が震える声で呟く。


 だが、その口から出てくるのは謝罪ではなかった。


「俺だって、俺だって苦しかったんだよぉ……ムショから出て、カウンセリング行ってた時はよかったけど、行かなくなってからもう性欲が我慢できなくなってきたんだよ……」


 身勝手な言葉が、ぼろぼろとこぼれる。


「俺だってしたくなかったんだけど、誘惑してくるやつが悪いんだよ! そうだよ、悪いのはお前らなんだよぉぉ!!」


 最後は、自分の弱さを正当化する見苦しい絶叫だった。


 こいつは最後まで、自分が何をしたのか理解していない。

 苦しんだ被害者を、自分の欲望の言い訳にしているだけだ。


 警察官は男の腕を強引に引き上げた。


「詳しいことは署で聞く。行くぞ」


 男は抵抗する力もなく、ずるずると連行されていった。

 その背中は、さっきまでの威勢の良さが嘘みたいに小さく見えた。


 連行を見送ったあと、私服警察官が思い出したように制服警察官へ指示する。


「あと、駅員さんに頼んで、線路に落ちたハンカチを回収しておいてくれ。重要な証拠品だ。付着物も確認したい」


 男が投げ捨てたハンカチ。

 あれも証拠になる。粉だけじゃない、俺のスカートの繊維もあるはずだ。証拠を消そうとした行為そのものが、こいつの動きを物語っている。


 俺の中に、達成感みたいな高揚感はなかった。


 ただ、女性の敵を一人捕まえたという、重たい事実だけが残った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ