第23話 甘いものは正義
「相澤くん……」
相澤くんが顔を上げる。まだ目は赤いけれど、さっきまで張りついていた絶望の色は、少しだけ薄れていた。
「……念のため、友達に聞いてみて。『インスタに変な通知とか来てない?』って」
俺が促すと、相澤くんはおっかなびっくりスマホを操作した。部活のグループLINEか何かに送ったらしい。数秒後、既読がつく。
『は? 何それ。来てねーけど』
『変なの来たの?』
相澤くんの肩から、目に見えて力が抜けた。
「……行ってない。大丈夫だ……」
「よかったじゃん。ギリギリセーフ!」
愛ちゃんが、相澤くんの背中をバシッと叩いた。いい音が鳴って、相澤くんが「痛っ!」と声を上げる。
「痛いってことは生きてる証拠。人生、終わってませーん!」
「……お前なぁ」
相澤くんが呆れたように、でも少しだけ笑って愛ちゃんを見る。そのやり取りを見て、俺もようやく心の底から息を吐けた。
崖の縁まで行ったけど、落ちずに戻ってこられた。
その事実だけで、胸の奥が少し軽くなる。
そこへ、美桜が冷たい声で言った。
「で、いつ本気出すの?」
「……え?」
相澤くんが固まる。美桜は真顔で、相澤くんのスマホを指差した。
「『本気出したら強い俺』。いつ強くなるのかなーって」
愛ちゃんが吹き出した。
「や、やめろよ!」
相澤くんの顔が、今度は別の意味で真っ赤になる。
「あれは、その、ノリっていうか! 深夜のテンションっていうか!」
「へぇー。ノリで『強い俺』なんだ。ダサッ」
美桜、容赦がない。さっきまで散々振り回されたぶん、ここぞとばかりに刺し返している。
「あはは、やばい! 思い出しちゃった!」
愛ちゃんが机を叩いて笑う。相澤くんは「うわぁぁぁ!」と頭を抱えて身悶えした。
「忘れてくれ! 頼むから忘れてくれ!」
その必死さが、あまりにも中学生男子らしかった。さっきまでの地獄の気配が、少しずつ笑いに薄まっていく。
ひとしきり騒いだあと、相澤くんがすっと立ち上がった。そして、俺の方へ向き直る。
「田中さん。……本当に、ありがとう」
今度はふざけた顔じゃなかった。
相澤くんは深々と頭を下げた。
「田中さんがいなかったら、俺、マジで終わってた」
「ううん。……でも、もう二度と一人で抱え込まないで」
俺がそう言うと、相澤くんは一瞬だけ視線を落としてから、小さく頷いた。
「……うん」
その返事には、まだ少し震えが残っていた。軽く見せようとしているけど、完全には戻っていない。そこに、ようやく少し安心する。
相澤くんは次に、美桜の方を見る。
「栗原さんも……ありがとな。きつく言ってもらえなかったら、俺、たぶん逃げてた」
「……別に。私は朱音のためにやっただけだし」
美桜はぷいっと顔を逸らして、ストローを指でいじった。素直じゃないけど、悪い気はしていない顔だ。
「鈴木さんも、ありがと。ほんとごめん」
「はいはい。今度ジュース一本で許してあげる」
愛ちゃんがひらひらと手を振る。
「おう。じゃあ俺、一回家帰るわ。午後から部活あるし」
そう言って、相澤くんは店を出ていった。歩き方は軽く見える。でも、背中のどこかにまだ疲れが残っていた。
完全に元通りじゃない。それでも、前へ歩いていけるくらいには戻れたらしい。
嵐が去ったテーブルに、ようやく静けさが戻る。
「……一件落着、かな」
俺が言うと、美桜がじとっとした目で俺を見た。それから、相澤くんが消えた方向を睨む。
「ねぇ」
「ん?」
「私たちのパフェは?」
「あ……」
そういえば、終わったと思ったら、俺たちには何も奢らずに帰っていった。一番働いたはずなのに、報酬はゼロだ。
「……あいつ、絶対許さない」
美桜がストローをガリッと噛んだ。
「まあまあ。今度ちゃんと請求しよう?」
俺がなだめると、横で愛ちゃんが「私のパフェ食べる?」と笑ってスプーンを差し出してきた。その無邪気さに、俺も美桜もつられて笑ってしまう。
美桜が先にひと口。続いて、俺がひと口。
苺の酸味とバニラの甘さが、ずっと張りつめていた空気をゆっくり溶かしていく。
「……ん。美味しい」
「でしょー? やっぱり甘いものは正義!」
愛ちゃんはニコニコしながら、自分の分も口に運ぶ。そして、スプーンを口に咥えたまま、呆れたように言った。
「てかさー、マジで男ってバカだよね」
その一言が、導火線になった。
「それな」
美桜が即答する。食い気味だ。
「意味分かんないんだけど。見たいか?普通」
「ねー!女子の体見せるって言葉、なんで信じるんだろ。しかも自分のも送るとか、思考回路が謎すぎる」
愛ちゃんがケラケラ笑う。俺は苦笑いしながら、ストローで氷をつついた。
……まあ、思春期の男子の好奇心なんて、ブレーキの壊れた自転車みたいなもんだからな……
元・男としては、分からなくもない。秘密の共有とか、ちょっと変態的なリクエストとか、そういうのに「特別感」を感じて舞い上がっちゃう生き物なのだ。……もちろん、口が裂けても擁護はしないけど。
「褒められたらすぐ木に登るしね」
美桜が冷たく言い放つ。
「『日本人と話せて嬉しい』とか『優しい』とか。そんなの、画面の向こうの定型文かもしれないのに。コロッと信じて、個人情報まで出しそうになって」
「ちょろいよねー。うちの弟もそうだけどさ、男って『自分だけは特別』って思い込み激しくない?」
「分かる。『本気出したら強い俺』だしね」
美桜がまたその名前を掘り返した。
「ぶふっ!」
愛ちゃんが吹き出して、咳き込む。
「もー! 美桜ちゃん、それ気に入ってるでしょ!思い出し笑いするからやめて!」
「だって事実じゃん。あのアカウント名見た時、一周回って感動したもん。バカすぎて」
美桜は毒舌全開だけど、その表情はもう険しくない。むしろ、相澤くんのバカさ加減のおかげで、男性に対する「恐怖」よりも「呆れ」が勝っているみたいだ。
「朱音はどう思う?」
愛ちゃんに振られて、俺は少し考えてから答えた。
「んー……。単純、だとは思うかな」
「だよねー!」
「見栄っ張りで、かっこつけたくて、でも中身は子どもで。……放っておけない感じ?」
そう言うと、美桜が不満そうに口を尖らせた。
「朱音は甘いよ~。そこが朱音のいいとこだけどさ」
「そうそう。朱音ちゃん、お姉さんっぽすぎ。相澤くん、朱音ちゃんのこと女神か何かだと思ってんじゃない?」
愛ちゃんがニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。
「女神じゃないよ。ただの同級生」
「えー、どうかなー。あいつ絶対、明日から朱音ちゃんを見る目変わるよ。『俺の救世主!』みたいな?」
「えぇ~それは無いよ絶対」
美桜が本気で嫌そうな顔をした。
「もし相澤が朱音に変になれなれしくしたら、私がブロックするから」
「リアルブロックだ。頼もしい」
愛ちゃんが手を叩いて笑う。
フードコートの喧騒の中、女子三人で囲むテーブル。犯罪とか、脅迫とか、そんな重たい言葉はもう溶けてなくなって。残ったのは「男ってバカだね」という、ありふれた女子トークだけ。
それが心地よくて、俺も自然と笑ってしまった。
「……ま、バカな男子は放っておいて。私たちは賢く生きよ?」
愛ちゃんが綺麗にまとめる。
「賛成」
美桜が頷く。
「……そうだね」
俺も頷いた。中身が元・おじさんだということは、墓場まで持っていこうと改めて誓いながら。




